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記念日によせてホンマのこと

今日はみなさんどれだけの可愛いウソをつくのでしょうか。

私にとってエイプリルフールは母になった記念日です。
2006年のエイプリルフールにムスメはこの世にやってきました。

これからイタリアに住むのか
それとも日本でこのまま残るのか・・・
実はまだはっきりしていない中彼女はやってきました。

妊娠初期からとにかくつわりがひどかったのと、
父親以上に親しかった実家の隣のおじさんが手術だったのもあって
それを理由に妊娠4ヶ月になるまえにイタリアからさっと実家に戻ってきました。

結婚をしていなかったので、モシモシは親になる気持ちの準備が出来ていなかったし、家族も同様にパニックってしまったままだったので一緒にはいられなかったのです。

これから私らどうなるんかなぁ〜・・・
これから先を明確に想像しようとしても全く出来ず、
周りからも心配の電話やメールが届くしどうしたものか・・・
と、思いながらもどこかで

「どうにかなる。大丈夫な気がする
とにかくこの子には会わなくちゃ。」

としか言えない自分がいました。

幸いなことに、モシモシとも連絡は頻繁に取っていましたし、
話すたびに徐々に親になる気持ちが育まれているのは感じました。
そして、いざという時は働いくれていいよ!といってくださる心の優しい社長が大阪にいてくれたのもあって、私の道はまだどっちに行くのかはっきりしていませんでした。

出産予定日は4月21日だったので、それよりも3週間早く突然に破水をして、自力で病院へ駆け込みました。先生にもどんな状態かを診てもらって希望していた部屋に入院完了・・・

お腹が痛くて一晩中看護婦さんを呼び続けたなぁ・・・
優しい看護婦さんと冷たい看護婦さんがいて、
次はあっちの優しい方の人来て〜〜と祈りながら(笑)

陣痛は18時間くらいだったか・・・
母が付き添ってくれて一生懸命背中をさすってくれました。

隣に百貨店があったのでたまに買い物に出かけて、何を買ってきてくれたかというと、おさるの形をした鈴でした。
赤ちゃん売り場ではなく、楽器売り場でゲットしてきたらしく音がすこぶるいいおさるさんで、今もイタリアで元気にしています。

朝10:00くらいから

「もう出てくるよ!!!」
と、言われて分娩台に居たのですが、
我が子はお腹の中でものんびり屋さんだったらしく、全然出てくる気がありませんでした。
あんまりのんびりしているので、もう一人の妊婦さんが
古い方の分娩台で出産することになり、カーテン越しに出産されるのを一部始終聞くことになりました。
後で聞いたら、彼女たちは旦那さんの立会いを希望していたのが、私が居たために、無理になり外で待つことになっていたらしく申し訳なかった!!


先生は、
「このまま自然に出てくるのを待ってくださっても良いですし、
促進剤で出てくるのを助けるのでもどちらでもかまいません。
その場合は誓約書を書いていただきます。」

と言ってきました。

私は母になるけじめにサインをしなくては!という気持ちになり、
促進剤をお願いしました。

激しく足が開いた状態でサインをするのもなかなか出来ないことでしょう。

この世に出てきたかわいこちゃんは光り輝いていました。
そして、その顔を見たときに

「この子はイタリアで育つなぁ」


と直感で思いました。

毎日ムスメの写真をイタリアに送って、様子を見せている間に
モシモシの父親心も育ってきたようで、お医者さんに3ヶ月経ったら飛行機に乗って良いですよと許可が出たのでそれに合わせて7月に母子を迎えにやって来てくれて今に至ります。

なんというか・・・色々ありました。

日々の心の葛藤を綴ればなかなかに重いものがありますが、
実家の片付けをしたり、おじちゃんの手伝いをしている間に母親になる自覚はしっかりと育て上げて迎えられて良かったなぁと思います。

まさか14歳の誕生日を国閉鎖期に迎えるのは想像できませんでしたが、
いつものように感慨深いです・・・。

 
ムスメ、誕生日おめでとう♡
これから益々楽しもうね!!!!
 

サポート頂けたらすご〜く嬉しいです。 言葉にできないほどに。