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【ドーピング、燃え尽き症候群、持続不可能】競技(社会)が成熟すると必ず起こる問題とは

さてさて、前回記事に引き続き、平和(?)について。(思想強めか)


アスリートという生き物の危険性と、僕達一般人にも実は身近な問題なので、ちょっと提起しておきたいのです。

スポーツって、それぞれに「習熟度」というものがあります。

古いスポーツ、人気のスポーツ、競技人口の多いスポーツほど、そのトップのレベルは人間の限界値に近いところで戦っているというのは、想像しやすいですよね。

例えば(これ言っていいのか?)冬のオリンピックで言えばカーリングとフィギュアスケートって、誰がどう考えてもレベル違うじゃないですか。

競歩と100m走とか…

同じ世界大会であっても、そこにチャレンジしてる人口の多さと、肉体の強い人間が集まってるかどうかと、その競技の研究がどの程度進んでるかなどで、人間の限界ギリギリで戦ってるか、まだまだ進歩の余地がたくさんある競技なのか。というところでしょうか。

で、です。

パワーやスピードが求められる競技でいうと、肉体のピークを迎える20〜30歳までにトレーニングと技術とメンタルを詰め込んだ選手が世界のトップに君臨するのです。

低年齢化が起こる。

さらにその先どう習熟するか。

ゴルフでは40歳台の選手が勝ったりしますよね。まだ肉体のピーク年齢までに技術を修得しきれない難しさがあるということなので、これから世界のトップを取ろうと思ったら、40歳台の選手にドーピングをかまして筋力増強するのが良いですよね。

フィル・ミケルソン選手が長尺ドライバーで飛距離を手にして勝ったというのは方向性としては近い話かもしれません。

競技の習熟度が上がる
→人間の生活の範囲内での努力では勝てなくなる
→幼少期からトレーニング、食事、練習を詰め込む
→一旦低年齢化する
→ドーピングに走る選手が現れる

問題は2点あります

人間の生活を犠牲にする
人間を超越するために薬物に頼る

どう考えても、心身共に不健康だし、続くものではないですよね。

体を大きくするための食事なんて不健康の塊(ケガのもと)ですが、アスリートには仕方ない。

「持続可能な○○」って、よく環境問題として話に上がりますよね。

つまり、習熟度が上がりすぎるということは、必ず持続不可能な世の中がそこに出来上がるということです。

人間というか生物を超えてしまった瞬間からそれが始まるということですね。

さて、ビジネスの現場、そして教育はどうでしょうか。

習熟度の高い業種に働いてらっしゃる方は、人間を遥かに超越することを求められてますよね。

そして、そこに入って戦うための教育も、子どもに人間を超越することを求めて詰め込みまくりますよね。

持続不可能なので、燃え尽き症候群も当たり前ですね。


超越した人間を見ると感動するので、それでショーは成り立つのですが、そのショーをやってる本人たちが不健康にならないことを祈るばかりです。

まぁ、理想論や机上の空論になりかけるので、ここで何を提起するかなのですが、

「習熟してないところで戦うことを選ぶ」

という選択肢が人間らしく生きていけるベターな解なのかもしれないですね。

もし習熟した世界で生きていくなら、そのジャンルの中でも習熟してない場所を探してひっそり生きるとか。

子どもたちに超越した人間になることを求めて、家より塾や習い事の部屋にいる時間が増えまくって、アンドロイドのようなメンタルの人間ばかりが増えて、人間が分からなくなって、ただただスピードアップした世の中が仕上がっていくのはちょっとストップをかけたいところはあるのですが、いや、むしろもうそうなってるのかもしれないですが、多少でもマシになってほしいものです。

寿命が延びたら万歳
生きてる間にたくさん無駄なことができたら万歳

それを目指して沢山の人がバーンアウトしてるんじゃないかと。していくんじゃないかと。

人間の健康を祈るばかりです。

書いてて最後に気づいたんですが、習熟じゃなくて成熟でした。

良い一日を〜

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