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“良いものをちょっとずつ”の年齢になったことを実感

皆さんは、“良いものをちょっとずつ”を楽しめますか?


私は今思い返せば、昔は“好きなものに全フリ”で生きてきたように思います。

バイキングで、大好きなおかずだけ集中して取っちゃう感じ。


そんな私が、気が付けば“良いものをちょっとずつ”という、まるで幕の内弁当のような人生を楽しんでいることに気付きました。



🔷娘と出かけた日曜日

日曜日の午前中。私と小2の娘二人で家にいたら、娘が「自転車に乗りたい」とリクエスト。

そこで、近所の広場へ出掛けることに。


行ってみると、誰もいないしたんぽぽの綿帽子がそこら中にあるしで、娘のテンション爆上がり。

綿帽子を10本くらい集めて一斉に飛ばすことを繰り返していました。

そんな娘と一緒に綿帽子を集めてみたり、娘の写真を撮ったりしていて、

「普段ゆっくり遊んであげられないけど、休みの日にこうしてのんびり遊んであげる時間を作れて良かったなぁ」

としみじみ感じていました。


時間にして1時間半位だったと思います。

それでも、二人で出掛けて娘の好きなことをして、楽しい時間を共有できました。


「大事なのは、時間の長さじゃない」

と思いましたが、ふと、これは子供を持つまでは考えたことが無かったことだと改めて思いました。


🔷“ちょっとずつ”で生きる日々

独身時代は、社畜として仕事に全振りして生きていたという自覚があります。

そんな生き方を楽しんでいました。


「1つのことに打ち込めるの楽しー!」という位、仕事第一で生きていました。

そんな私が、子供が生まれた途端、育児に翻弄され始めました。


そして、育児しながら家事をして、育休が終われば仕事も加わり、なけなしの自分時間を絞り出し……

どれもこれも譲れない。


そうして、“どれもこれもちょっとずつ”な生活が当たり前になっていきました。


それまで全振りしていた仕事も時短勤務になり、子供が熱を出したら自分は元気でも会社を休み、子供の行事のために有給休暇を使う…。


帰宅したら、家事と育児を曲芸の如くこなし、最後の最後の僅かな時間で「何かやらなきゃ、このままでは終われない!」とリベンジ夜更し…。


1つのことに集中するなんて不可能。


🔷これはこれで楽しいと思えた変化

昔のように、たった一つのことに全力で生きる日々が懐かしいと思うこともあります。

でも、正直体力も無いし、もう同じ生き方はできないだろうな。


もう二度と、あんな生き方はできないことをちょっと寂しいと思う気持ちもありますが、今は

「育児も家事も仕事も、全部手放すことはできない」

「ちょっとずつ、でもそれを“良いもの”にしていきたい」


そう思います。


今、昔のように100%自分のためだけに時間を使えるようになったとしたら、この“良いものをちょっとずつ”だと物足りなくなるかもしれません。


どれも手放せないくらい大事なものに囲まれているからこそ、どれもちょっとずつ楽しみたいと思えるのだと思います。


そう考えたら、家事に育児に仕事に…色々なことで忙しい毎日も、素敵な日々だと思えるようになりました。

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