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近況

書きたいとは思っていても、久しく文章を書いておらず、なかなか筆が進まない日々を過ごしている。

思うことはあれど、それを自分の中から出すことが難しく感じるようになり、考えたことも出さなくてはよいかと飲み込むことが多くなった。

昨年末に引っ越しと転職をし、その後のバタバタが過ぎ去った今の気持ちはというと、どこに向かったらいいのか分からないのと、またこのような停滞した状態に陥ってしまったということである。
だからといって、無気力ではなく、精力的には過ごしてはおり、山に登ったり、新しいお店に行ったり、行ったことのない県に旅行に行ったりと留まっているようには見えない。

先日、山に登っていた時、自分は行ったことのない場所に行くことにワクワクするということに気付いた。
これは新しい発見で、なぜ山に登るのかという問いかけに対して、知らない場所に行きたいという明確な答えを返せるようになったのかもしれない。

安心できる場所は必要ではあるが、そこにいるばかりだと次第に息が詰まり、どこかへ行きたくなる。しかし、どこかへ行ってばかりだと疲れてしまい、安心できる場所の必要性にも気づくことができる。
同じことをしていると、それと正反対の行動をしたくなるのは不思議だ。

最近はますます他人と関わるのが億劫で、おそらくこれも他人と関わる回数が増えたから、反対にそう思うのかもしれない。
本来、自分自身と愛する他人ひとりのことだけを考えて生きていたいのだが、愛する他人ひとりを選ぶために、何人かの異性と関わらざるを得ない。

関わる回数が増えるほど、関わる他人全てに愛着が湧き始め、どうしたらいいのか分からなくなっている。相手に感情を注げば注ぐほど、上手くいかなかった時の反動が怖いのだ。自分から決断するのが怖くなっている。

それに尽きる。その反動を恐れるあまり、自分が安全だと思うまで判断を先延ばしにしていると、相手の方から好いてくることも多く、その思いをぶつけられたりすると、更にこちらの感情も揺れ動いてしまい、でもそれに応えられる訳でもなく、ただただ時間が欲しいばかりである。

それ以外のことについては、いつも通り冷静に対処できているけれど、信頼できる他人を探すことだけは、どうもいつもの思い切りが足りず、大きめの傷がついてるんだなあと実感する。

この傷はいつか塞がるのか、開いたまま付き合っていくしかないのか、いつもなら不安は取り除けるけど、なかなか上手くいかないと感じる、そんな日々を過ごしている。

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