2021年

今年を振り返ってみようと思う。最近は前日に食べたものさえ覚えていないことが多い。おそらく前日食べたものを意識的に思い出そうとしないからなのだろう。食事が身体を動かすためだけの作業になってしまっている。そんな僕が1年を振り返ることができるのだろうか。

今年は、例年に比べて山に登った年だった。冬場は雪が降ってしまうので、雪のない県外へ、1月から遠征した。シーズンを迎える前に、過酷な山に登る準備を意識的に行った。記録を見返すと計27回だった。全て単独行の日帰り登山だった。そのうち日本百名山が10。これも意識的に登ろうと思っていた。週末の約半分は山に登っていた計算になる。
一番記憶に残っている山は飯豊山だ。夜中の1時に家を出て、4時頃から登り始め、往復21.4キロを10時間かけて歩いた。累積標高差も過去最高だった。山の奥深くに入っていくにつれて、すり減っていく精神と、蓄積される膝へのダメージ。挙句の果てにピークはガスに包まれていて、何も見えない。下りは死んだ膝の痛みと戦いで、もう二度と来るんもんかと思ったけど、きっと再チャレンジするのだろう。
山登りは自分という小さな存在を、否が応でも意識させられる。その自然の中では自分は無力で、集中力を切らすと死へ直結する。自分の足でしか行けない場所へ行くという、その過程に魅せられてしまったのかもしれない。
自分の無力さを感じると生きることが楽になった気がする。自分には、何か出来る力があるのかもしれないとか、何かを残さなくてはならないとか、誰かのために、みたいな謎の使命感が無くなった。

1年を通してやっている訳ではないが、マッチングアプリも細々と続けている。今年はペースが落ちたかなと思ったけど、8人の方にお会いした。2回目も会ったのは3人。そのうち2人は、そのあとも会いたかったけど、上手くいかなかった。残りの1人は、しぶしぶ2回会ったけどこちらがアウトだった。今年はお付き合いする人はいなかったが、日常生活で出会いが全くないので、出会いを求めるためにアプリは良い手段になっている。
前みたいに情熱的な気持ちを持って、相手にぞっこんみたいな感じにはなれない。そもそもそれだけの相手に出会っていないのかもしれない。年を重ねるにつれて、落ち着くんだと思うけど、落ち着いてしまったら、恋すら始まらない気がしている。
パートナー関係では、どちらかが上の立場になると破綻してしまう。ましてや相手を教育するなど、もってのほか。そういう意識は気持ち悪さすら感じてしまう。見定めは必要だけど、それが過度になると、ただのこじらせた年増になってしまうし、いつか自分を認めてくれる人を待っていても、やはりただの年増になって、死んでいくのだろう。
相手に求めるのではなく、自らが変わっていく。そういう意識を今後も持っていきたい。これは年齢を重ねていく上で、最も重要な要素の一つだと感じる。

色んな音楽を聴き漁った年でもあった。欧米のガレージバンドから、韓国や中国のロックバンド、海外のドリームポップ、インディーロック、シューゲイザー、アンビエントを聴き漁った。探せば探すほど、新しい音楽が見つかって楽しい。時代を越えて残るもの、世代を越えて聴けるものは、偉大だと感じた。小難しい理論的なことは全然分からないので、自分の直観を大切にしている。そして常にSpotifyを起動している。
ギターを11月から始めた。毎日30分くらい触っているけど、劇的には上手くならない。でも最初の頃に比べれば、徐々に弾けるようになっていて、毎日コツコツと地道に練習することの大事さを身を持って体感している。すぐに結果を求めることも必要だけど、自分には瞬発的なパワーが欠けていると思っているので、計画的にちょっとずつ進んでいきたい。

あとはざっくりと、親知らずを3本抜いた。正常に生えていたため、普通に抜いただけだったけど、抜いてからはじくじくと痛み、そこに食べ物が挟まらないように神経を使った。でも奥歯の絶対磨けないところが無くなり、すっきりした。
クラフトビールもたくさん買った。自分の好きなスタイルが定まりつつあり、それを作ってくれているブルワリーのビールを買うことが多くなった。
元嫁から慰謝料を返還された。これが一番驚いたことかもしれない。理由は僕に悪いからということ。当時の感情が薄まりつつあるのだろうか。一緒に飲んだり、今でも憎まれているとは感じない。本心はどうなのか分からないが、元から中身を読めるような人ではなかった。

もろもろの現実的な禊が済み、来年は加速度的に進んでいきそうだ。まだ現実的に出来ないとうっすらと考えていた転職と移住が、より鮮明になってきた。
自分の進む方向をしっかりと決めなくては、いや決めなくてもいいのか。
緩やかに死に向かっている。どうせ死ぬんだ。来年も生きよう。


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