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デリバリーと余裕

何年か前からデリバリーが浸透してきています
アプリで近所の、または近所ではないお店の食べ物が数十分で届く便利なサービスです

私もたまに利用しています 1ヶ月か2ヶ月に1回ほど、どうしても「ああ、これは今日だ」という日がくるのです

それが昨日でした もともと自分の足でテイクアウトするつもりだったので、お仕事が終わり家に帰り、先に全て終わらせて万全の体制を整えました。

しかし実際に整ったのは寝支度。あとは寝るだけ、という状態になってしまったのです。こうなったら、さあお腹はすいているけれど歩いて10分......?15分はかからないか......?おや......雨が降ってきたねえ......

......UberEATS......しようか......?


ここで即決できない理由としては、ひとつだけ、「高くなる」ということです。それはそうです、行き帰りの手間ひまを他人に一任することで 自分自身が楽をできるのですから、お金はかかって当然なのです  しかし高いのです 場合によっては倍近くの値段になることだってあります

この時中途半端に貧乏/給料日前だと、デリバリーをしなかった場合そのお金を何に使えるか、という無意味なことを考えてしまいます 今回このデリバリー代金は完全に消費でした、そのデリバリーの時間を利用してなにか有意義なことをする場合だったら、その代金は投資に早変わりするのですが、今回は残念ながら消費という結果になりました

このような時 いくらか潤いがあれば、よしっデリバリーしてその間に〇〇を済ませてしまおう!とキラリとした表情で決意できるのですが、目先のお金の動きだけ見ていると、どうしても1歩を踏み出すのに遅れてしまい、負けた気分になりながら決意をしなければいけません

実際に使ったお金は同じですが、気持ちの面でいうと負けながらの消費は心の貯金まで減った気がします

1、2ヶ月後は輝かしい決意とともにデリバリーを利用したいものです

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