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映画ドラえもんでしっかり泣く

おっくんというドラえもんが好きな男の子がいた。おっくんの自由帳には毎日毎日ドラえもんが描かれる。誰もそれをからかったりしない。おっくんはドラえもんが大好きであることをみんなちゃんと分かっていた。おっくんはドラえもんを描きながら、どんなことを思っていたのだろう。小学校三年生の時のクラスメイト。

私は昔からわりと泣き虫だ。心がいっぱいになったり、疲れると泣きたくないのに泣いてしまうことがある。やさしい一言だったり、心うたれる出来事があるとぶわっときてしまう。けれど、しばらく泣いてなかった。私のことをよく知っている代表に「そういえば、最近泣いてないね」とこの前言われ。私、強くなった?それとも感受性が弱くなった?なんて思っていた矢先。7歳の娘に「お母さん、恥ずかしいからちょっと隠して」と言われるほど泣く時がやってきた。


「映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)」を家族で見に行った。息子は11歳で4月から六年生。もう気まぐれ。ドラえもんの映画を見に行くかどうかは気分で決める、などと言う。まあ、それも分かるから「その日の朝の気分で決めていいよ」って言った。映画の後、マックを食べることになって、ならば行く、とのこと。

朝9時の一番最初の回を見に行った。「ちょっと左側でもいいよね」なんて言う夫に「やっぱり真ん中から見ないと」といつの間にか張り切る息子。息子の決めた席は素晴らしかった。映画館はポップコーンを抱えた家族が数組いる程度でガラガラだった。

映画開始早々、不覚にも私はうとうとし始めてしまう。正直、…ドラえもんに期待していなかった。パーフェクトネコ型ロボット、ソーニャとの出会いのシーンなどはおぼろげだ。うとうとなんてしたくないんだよ、と何度も画面を見つめるうちに、無事生還。大画面にちゃんと引き込まれた。
いつものジャイアンとスネ夫じゃない姿のシーンが強烈だった。そして何度もパーフェクトって一体なんだろう、と投げかけてくる。誰もがもしかしたらパーフェクトに憧れるけれど、それって一体…。とにかく投げかけてくる。私は子どもにパーフェクトを実は望んでいて、そう教育できない自分を責めていて、ありのままを大事にできていなったかもしれないと気づく。私自身も。そのあたりから、涙がどんどんあふれてくる。映画館のライトがついて、さあ行こうとなっても、泣けて泣けて仕方ない。「もー、最後あくび出ちゃったよ。それで泣いたみたいになって」とか三回くらい言ってくる息子の目はちょっと赤い。私の泣く姿に苦笑いしながら「ちょっと最後泣いちゃったよね」と夫。どうやら泣いたのは私だけではないようだ。娘も飽きずに最後まで集中して見ていたし。

ドラえもんやるなあ。

来年、息子はもう見ないと言うかもしれない。家族4人で並んで見たこの映画。きっと子どもたちが大人になっても、心にずっと残るだろう。この思い出は宝になる。私の心にある宝の島にしまっておこう。

クラスメイトのおっくんも、しっかりおじさんになって、きっとドラえもんを見ていることでしょう。もしかしたら私のように家族と一緒に見ているかもしれない。そしてきっと、泣いている。日本中でこうしてドラえもんを見て感動したひとたちがいると思うと、心がとてもあたたかくなる。

映画ドラえもん、本当にありがとう!
ドラえもん、大好きだよ。