15歳ってそんなに大人だろうか

北京オリンピックでフィギュアのカミラ・ワリエワが批判されて、「15歳なんだから、善悪の判断がつくのに」論があるけど

15歳の自分はそんなに賢かったか

自分が15歳の頃そんなに、周りに惑わされない自己を保ててて賢い自分だったかと思うと全く自信がない。

今考えてもアホな行動を沢山とっていたし、そんなに分別がついていたとも思えない。精神的に安定もしてなかったから、大人に反発していたし、どうでもいいことで友達と仲違いしたり、どうでもいい嘘をついたり、それが周りから、大人からどう見られているかなんか把握していなかった。そのレベルの知能だった。

社会のことなんて知らなかったし、大学が結局どういうものかもわかってないレベルだった。

大人になると子ども時代は遠い昔であるので、まるで自分の思考判断力が15歳時の自分にも備わっていたような錯覚に陥る。

個人の責任論なのか

しかも日本で選択権と自立心を多少なりとも教育されていてそうだったから、ロシアでそういう環境で、学業と人間関係を犠牲にしてフィギュアをやってきた彼女が国を代表している中でいつも大人のように正しい選択ができるとは思えない。

だから彼女が責任を取らなくてはいいということではない。でも大人は彼女を追いやっていた環境を作り出していることを省みなければならない。

ドラッグが当たり前の家庭で育って、ドラッグやる青少年になったとしても、その青少年がその環境で拒否する権限を持っているのとと染まらないで逃げる別の選択肢があって初めて、ドラッグをやらないことができるんだと思う。

重圧を背負った彼女に選択肢はあるのか

私は国を背負う羽目になったことも、世界中の期待の目線も、世界を代表する選手になったこともないので 彼女の重圧なんて想像したってわからない。

しかしもし自分が15歳でフィギアの天武の才があって、見出されてしまって、国を背負うことになってしまって、死ぬほど努力をして、青春を捧げて、重圧の中、知ってか知らずか、自分が選択を誤ったとして、世界中から批判されて、ROCからの見放されたとしたら

一人の15歳としてこんな世界も社会もやってられるかと思うとは思う。







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