飛行機に乗って「すずめの戸締り」を観に行ってきた~エピソード編~
2023年が明けた明るい空の下で大きく深呼吸した。
離島から久々の小旅行なので、少しドキドキしながらも
やっぱり飛行機の中ではワクワクが止まらない。
昨年、原作を読んでから沖縄本島に映画を観に行くと決めていた。
年明けの最初の目的は映画「すずめの戸締り」を観に行くことだった。
それとは別に昨年末の2023年の目標がなかなか定まらず、その辺が今までとは違うお正月を過ごしていた。
さて、移動中の機内から見渡すと最初は雲が多かったけれど、上空に行くほどに晴れ間は広がり本島は快晴だった。いつだって雲を突きぬければ、そこは晴れ渡っている。まるで心のよう。
ずっと上空から見下ろすと、消えては現われる雲の合間から地上がクッキリと見える。それをずっと飽きずに眺めていると、今までじっくりと見たことのない景色が広がった。
それは雲の空間移動。
「雲」という呼び名は一般的に当たり前のように使われ、あのふわふわしたものを指す総称。
私の中ではこれまで「雲」はひとつのモノのように扱ってきた。でも、この日に見えた「雲」は今までとひと味もふた味も違っていた。
それは生きていた。
それと同時に〇(まる)型の白い光の輪がずっと雲に映っていたので、機体の窓からずっとそれを見つめていた。
そのうちに大量の雲がこちらに吸い寄せられるようにして、移動してきた。その瞬間
「ハッ!」「これはただの雲じゃない!」
不思議な感覚だった。
そう思った瞬間に目の前の〇(まる)型の白い光りの輪に、虹の輪がクッキリとピントが合わさるように映し出された。そこに重なるように飛行機のカタチが。
ああ、そうか。この世界にただの物体というものはひとつもないのだと
心底感じた瞬間だった。なぜか涙が湧いていた。
なんて素敵な時間を過ごせているんだろう。
その幻想的でリアルな光りの時間は飛行機が雲の下を降りるまで続いた。
それからというもの「雲」を雲として見れなくなった。それは言葉では言い表せないけれど。何か大きな流れみたいなもの。
知らない世界の扉を開けたような時間。
それまでは世界を「こういうものなんだ」というルールや決め事にそって見ていたから、自分の感覚を今さら説明しようとするのも不自然なのかも。
空の上では美しい虹と太陽に照らされた機体のカタチがクッキリと見え、この不思議な美しさと一緒に本島までの時間を過ごした。
ここで肝心の「すずめの戸締り」に話しを戻します。
前回は原作を読んだ話しを書きました。こちら
新年早々、おもろまちのシネマℚのシートを予約した時は、まだ私しかいなかったけれど、観る当日は高校生や20代から30代の友達同士やカップルが多かった。私と同年代の人もチラホラ。
今回の新海監督の感想は、最初から最後まで重いシーンは感じず、すべてが観ていて楽しかったし、思わず笑う場面も多かった。
そして新海監督の作品に貫かれているものを今回は痛烈に感じ取った。それはまるで文字を受け取るような感覚で。
前回も表現方法は全く違うんだけれど、やはり今回もそこなんだなぁとも思う。しかもそれは私の中にもとても近いものがある。
それはRADWIMPSの洋次郎の歌に描かれているように。
ただ、心に残る部分って人によっては違うこともありますよね。
ラストの部分では、「究極の自己対話」や「深いところの癒し」が場面から豊かににじみ出ている。
物語の途中で、すずめのお母さんの形見の椅子にされてしまった草太が、シリアスでスピードのあるシーンでは走る音が滑稽で笑ったこと。
あの横たおしになっていた大型の船は本当に大きいのか、それとも小型なのか?配役の歩き方でサイズが違うように感じたりしてふと「?」となった(笑)
完璧に描かれ過ぎないことへの「ほっ」と感や、自分の中の物と者のサイズ感の違いに「え?」と一瞬疑問を持つような、今までにないツッコミどころや面白さがある。それは自分の中の新感覚だ。
「あれ?」となる度に、体よく新海トリックにはめられているような感じさえしてくるのだ。
原作を読んでいるからこそなおさらに、これが新海ワールドなのかもと思った。
そしてこの映画の後半から最後に向けての物語の流れの中で、自分の中に浮上した「思い出し」。これは忘れていて潜在的にあったもので。
そう言えばこの頃(約12年前)は、世間を元気づけようというものが自分の中にあったなぁと思った。
だけどそれで元気になった人が実際何人くらいいたのかは分からない。
自分が本能的にやったことだ。
ただそのスタンスは今少しづつ変わってきている。
みんなのためにというのはもちろんだけれど、まずは自分のためにやるという順序が変わったということだ。
それが総じてみんなのためになっているというのは少なからずあるなぁと今は実感している。
ただ、「自分でいること」というところだけはあの頃と大きく変わったところだ。
などと思いめぐらせて。。。
ここまで、計算されて映画を作ったのではあるまい、新海監督。
それにしても優れた作り手って潜在的なものを動かしたりすると思う。
この記事だってカンタンに、もっと手短かに書こうと思っていたのに、旅中のエピソードがありすぎて長くなってしまった。
翌日の朝、ホテルのそばに大型書店を見つけて入ってみたら
「ハッ!」としたのが、「ああ、今回の旅行はこれに会うためだったか」と言う本があり、思わず手に取りました。
「ああそうか、これだ!」とわたしの今年の目標が定まったのです。やはり優れた本にはタイトルからしてパワーがあると思うところです。
あなたにもありませんか?
目的はこっちだったんだけれど、ひょっとして今回必要としていたのはこのこと?みたいなことって。
やっぱり、小さなことでも大きく動いてみるもんだわと心底思ったのでした。
映画鑑賞のために時間とお金を使い行動したことは、最初は贅沢過ぎるとも思ったのだけれど、気づきや新しい目標ができたことは思ったより以上に収穫がありました。
家族に心から感謝。
そして読んで下さったあなたにも心から感謝しています。
後記
それにしても、この映画の中での「戸締り」とは誰もが日常の中で何気なくやっていることなのかもしれない。人知れず。
それは心の中で平和を実感して感謝することや、愛する人を大切に思う気持ちや、先祖への感謝の祈りなど日頃外からは全く分からないような部分なのかもしれない。
自分を愛することも、そのひとつなのだと思った。
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