マッシリアのマグダレナ
われらの主イエスがご昇天になり、15年ほどたった。弟子たちは、さまざまな国に出かけていって、神の言葉を宣べ伝えていた。さてキリストの道の反対者たちは、マグダラのマリアやそのほか多くのキリスト信徒たちをいっしょに船に乗せ、海上につれだして、舵を取りあげ、ひとりのこらず海の藻くずにしようとした。しかし、神の思召しのおかげで、船は、マッシリア(マルセイユ)に漂着した。
ある日のこと、多くの人びとが偽神たちに供物をささげようと神殿に集まってきたのを見たマグダラのマリアは、いつわりの神々を礼拝することはやめなさいとたくみな言葉で話しかけ、キリストの教えを説いてきかせた。その後、マッシリアの領主が、妻と一緒にやってきて、子宝をさずかる願をかけるために偽神たちに香をそなえようとした。彼女は、この領主にもキリストの信仰を説き、供香をやめさせた。さらに数日に渡って、マグダレナは、まぼろしになって領主や夫人にあらわれ「あなたがたは、キリストの十字架の敵です。自分たちは山海の珍味を腹いっぱいつめこんで、ぬくぬくと眠っているのに、神の聖人たちが渇きに苦しみ、飢えに死にかけているのをそのままにしておくつもりですか。 こんなに長いことあの人たちをうち棄てておいたような人でなしには、かならずや天罰がくだりましょうぞ」と言ってかき消えた。領主と夫人は、ぶるぶる身ぶるいし、悲鳴をもらし、ため息をついて、「あの女のひとが言っている神さまの怒りをまねくよりは、あのひとの言ったとおりにしたほうがよろしゅうございましょう」そう決まると、領主夫妻は、聖人たちを迎えて宿をし、必要なものはなんでも用だてた。
ある日、マグダラのマリアに領主は「あなたが信じよと説いておいでの神さまにお願いして男の子をさずけてくださいましたら、なにごともあなたのお言葉にしたがうことにいたしましょう」 と言うと、マグダレナは答えた。「子宝のことでしたら、かならずさずかるようお祈りしてあげましょう」そう言って、領主夫妻に男の子をおさずけください、と主に祈った。主は、彼女の代願を聞きとどけられた。そして、領主夫人は、まもなくみごもった。
ところで、領主は、ペテロのところへ出かけていって、マグダレナがキリストについて説いていることが真実ほんとうであるかどうかを確かめてみようと思いたった。これを聞いた夫人は、わたしも一緒に行くと頑固に言い張った。領主は言った「身重のからだだし、海の上は危険が多い。どんなひどい目に会わぬともかぎらない。どうか家にのこって、領地をしっかり守ってもらいたい」。しかし妻はついに自分の言い分を通した。 ふたりは、必要なものを船にじゅうぶん積みこむと、残りの財産をマグダラのマリアの手にあずけて、船出した。
一昼夜たって、海が荒れだし、風が吹きすさんだので、一同は、時化の恐ろしさに生きた心地がしなかった。なかでも、身重の夫人は、すっかり弱りはてた。しかし苦しみがが大きくなると、不意に陣痛がはじまった。こうして彼女は、肉体の痛みと嵐の恐怖の中で男児を産みおとすとともに、みずからは息を引きとった。あわれな巡礼の領主は妻の亡骸を見、母の乳房をもとめて泣くかわいそうな我が子を見て、なすすべを知らなかった。彼は大きな声で嘆いたが、「死体は早いとこ海にに投げこまなくちゃならん。でないと、わしらの身も破滅だ。死体を船にとどめておくあいだは、風がおさまらんのだ」と言うが早いか、水夫たちは、遺体をつかんで、海に投げこもうとした。巡礼は必死になって叫んだ「あんまりじゃありませんか。わたしと妻はいいとして悲しげに泣いているこの子だけは、かわいそうだと思ってやってください。 いましばらく待ってください。妻は、痛みのために気絶しただけで、いまに息を吹きかえしますよ」そのとき、船から遠くないところに岩礁がひとつ姿を見せた。領主は、それを見ると、妻の遺体を子供といっしょにそこに置いておくほうが海の怪物どもの餌食にするよりはましだとおもった。そこで、水夫たちに、あそこへ船をつけてもらいたいと拝みたおし、やっとのことで岩礁にあがることができた。岩が固くて墓を掘ることができなかったので、洞穴になったようなところに遺体をはこび、自分のマントをひろげて、そのうえに寝かし、赤ん坊を母親の胸もとに寄りそわせて、こう言った。「おお、マグダラのマリア、妻が子宝にめぐまれるよう神にお願いしてくださったのは、妻を死なせるためだったのですか。妻は、みごもりはしましたが、出産と同時に死んでしまいました。子供も、死ぬために生まれてきたようなものです。乳を与えてやる者がいないからです。これが、あなたに祈ってもらってわたしが得たものです。しかしわたしは、自分の財産をことごとくあなたにゆだねてきましたが、それをさらにあなたの神にゆだねます。 あなたが言うように、神がほんとうに力をもっておられるのなら、母親のたましいと子供の命を神におゆだねします。どうか神があなたの代願に憐れみをおかけくださいますように」彼は、このように言って、妻の遺体と子供をしっかりマントでくるんで、ふたたび船に乗リこんだ。
さて、ローマに着いて、ペテロと会った彼は、一部始終を順を追って話した。すると、ペテロが言った「あなたのおつれあいが、お子さんといっしょに休んでおられることを悲しんではなりません、というのは、主は、だれに対しても思召しのままに与え、 奪い、再び与える力、悲しみを喜びに変える力をお持ちだからです」。ペテロは、そう言ってから、彼をつれてエルサレムに旅し、キリストが説教されたところや奇跡をおこなわれたところなど、すべての聖跡に案内し、さらに、十字架にかかられた場所とご昇天になった場所も見せた。 このようにして、彼は、ペテロから熱心に信仰の手ほどきを受けた。そして、2年たったとき、ふたたび船に乗って、帰途についた。
海を渡っていくと、彼が妻の遺体と子供をいっしょに寝かせておいた岩礁の近くにさしかかった。彼はまたもや水夫たちにたのんでその島につけてもらった。一方、子供は、そのあいだマグダラのマリアに世話してもらって、すくすくと育っていた。そして、よく浜辺に出ては、無心に砂や石で遊んでいた。父親は、海岸に着くと、子供がいつものように浜辺で石遊びをしているのを見てびっくりした。子供はこわがって、母親の胸に逃げていき、母のそばにあるマントのなかに隠れた。巡礼は、もっとよく見ようとそばに寄っていくと、愛くるしい男の子は、母の乳房を吸っていた。妻はぱっと目をあけてからこう言った。「おお、マグダラの聖女マリアさま、ありがとうございます。称賛と栄光があなたにありますように」巡礼は、これを聞くと、とびあがるほどびっくりした。「おまえは、生きているのか」 妻は答えた。「はい、生きておりますとも。そしてあなたが帰ってこられた聖地巡礼の旅から、わたしもいまもどってきたところです。あなたの巡礼のあいだずっと、マグダレナさまのお導きであなたのおそばにおりました」。そこで良人は妻子を連れてうきうきとして船に乗り込み、まもなくマッシリアの港に着いた。
町に入っていくと、マグダラのマリアに自分たちの身に起こった一部始終を物語った。そして、聖なる洗礼を受け、その後、彼らは、マッシリアじゅうの異教の神殿をことごとく取りこわして、キリストの教会を建てた。
ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」より。
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