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御国が来ますように

20年ほど前、まだ若かった頃、東京でお世話になったクラウス・リーゼンフーバー神父のことは以前投稿した。
神父が主宰していたカトリック信者の社会人から成る「アガペ会」の会報の巻頭言など、神父があちらこちらで書いたものが、「クラウス・リーゼンフーバー小著作集」全5巻にまとめられて、知泉書館というところから出版されている。今になってあらためてそういった本を熟読している。わたしは学歴も高くないし、頭の中で漠然と感じていることをうまく表現したり、ましてや文章にしたりするのは苦手だが、神父の本を読んでいて、自分が漠然と感じていることを、立派な文章で読むことができると感じる。例として小著作集の「信仰と幸い」という本の中の文章を紹介する。キリスト教会の最も基本的なイエス直伝の祈り文「主の祈り」に「御国が来ますように」という文言があるが、それに関して、

世界に満ちている苦しみに参与する心のうちからこそ、「御国」を求める動きが芽生えてくる。すなわち、あらゆる災いと人間の悲惨、人生の艱難と失望、病と痛みと死への不安、冷淡さ、差別、不正によって被る心の傷、世界のはかなさを前にしての無常感、理解してもらえず愛されない孤独、人間・社会・諸民族における分裂、不信感、圧迫、とりわけ自分自身の意志の弱さ、理解の鈍さ、だれにも転嫁できないような罪ーこうしたあらゆる自然的・倫理的な限界と欠点を目前にして、人間はその無力さを認めるほかなく、残されているのはこの悪から解放されたいという呻きと、救いへの叫びだけである。こうして御国の到来を願う祈りのうちに、このようなあらゆる苦悩に「声」が与えられ、不朽の完成に与る希望が開かれてくるのである。

以上のように書かれていて、わたしが漠然と感じている生きづらさの中で、それでもなくならない希望のようなものが、見事な文章になっている。こういった文章が随所に見受けられ、とても刺激的な読書体験をしている。
20年前、四谷の教会の講座で直に神父から教えを受けていた時期を思い返す。かけがえのない時間だった。上智大学の文学部教授だった神父の話はわたしには難しくて、3分の1くらいしか理解できなかったが、今から考えるとスリリングな体験をしていたと思う。リーゼンフーバー神父様、なつかしいです。

#リーゼンフーバー神父
#カトリック
#主の祈り

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