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ペテロの逃亡

新約聖書外典「ペテロ行伝」は、使徒パウロがローマを旅立つ場面から始まります。パウロの伝道によって、ローマでも信者が増え、信仰が強められていました。信者の群れに惜しまれつつ、パウロはイスパニアの伝道へと旅立ちました。その後、ローマに魔術師シモンが現れます。魔術を奇跡に見せかけて、信者の群れに動揺を巻き起こしました。シモンはローマの町の城門の上を飛翔し、みずからを「神の大能」と呼び、キリスト様ではないのかと人々から言われました。その時、主キリストから、幻で「お前が化けの皮を剥いで魔術師であることを証明し、ユダヤから追い払ったあのシモンが、ふたたびお前たちに先んじてローマに着き、わたしを信じていた者たち総てを、狡猾とその力によって背教させている。急いでローマに行くのだ」と言われた使徒ペテロがローマに到着し、改めて信仰を呼びかけて、魔術師シモンと対立します。ペテロとシモンは広場で公開対決をしますが、死んでいた若者をよみがえらせて、ペテロが勝利します。その後、ローマで信者がますます増えていきます。
多くの婦人たちが、純潔を勧めるペテロの説教に心を捕らえられ、その夫たちから身を遠ざけました。信者の群れの中に、長官アグリッパの妾たちもいました。彼女たちはアグリッパと寝所を共にしなくなったので、アグリッパは悩み、そして言いました。「ペテロがわたしと交わらぬよう教えたのだな。あのキリスト野郎を生きたまま火あぶりにしてくれる」。また皇帝の友人アルビヌスも妻のクサンティッペが同じ寝台で寝ようとしないので、ペテロを手にかけて殺したいと思いました。アルビヌスはアグリッパに「ペテロを魔術使いの男として殺し、妻たちを取り返そう」と相談しました。

彼らがこのようなことを思案していた時、クサンティッペは彼女の夫がアグリッパにもちかけた相談を知るに及んで、人をペテロのもとに遣わし、ローマを去るように言わせました。マルケルスもともどもに、ほかの兄弟たちもローマから去るように勧めました。そこでペテロは彼らに言いました、 「兄弟たち、わたしたちは逃げ出すべきなのだろうか」。彼らは答えました、「いいえ。そうではなく、そうすればあなたは未だ主にお仕えすることができるということです」。ペテロは兄弟たちに説得され、「あなたたちのうちだれもわたしについて来ないように。わたしは変装してひとりで出て行くことにします」と言い、ひとりで出て行きました。そして彼が市の門まで来た時、主がローマにはいって来られるのを見ました。 ペテロは主を見て、「主よ、ここからどこへ行かれるのですか」と尋ねました。主は彼に答えられました、「わたしは十字架にかけられるためにローマにはいって行く」。そこでペテロは主に言いました、「主よ、ふたたび十字架につけられるおつもりなのですか」。主は彼に答えられました、「そうだ、ペテロ、わたしはふたたび十字架につけられるのだ」。その答えを聞いた時、ペテロはわれに帰って、主が天に昇ってゆかれるのを見ました。そして彼は大喜びで、主を讃美しつつローマに舞い戻りました。なぜなら「わたしは十字架につけられる」と彼ご自身が語られたからです。そのことはペテロに起こるべきはずであったことでしたから。
ペテロ行伝第35章


この後、ペテロは十字架にかかり、殉教の死をとげますが、そのことは、キリストに預言されていました。

「よくよくあなたに言っておく。あなたは若かった時には、自分で帯を締め、行きたい所に行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばし、ほかの人に帯を締められ、行きたくない所に連れていかれる」。イエスは、ペトロがどのような死に方で神に栄光を帰すことになるかを示して、こう言われたのである。こう話した後、ペトロに仰せになった、「わたしに従いなさい」。
ヨハネ21・18〜19

ペテロ自身も書簡の中で述べています。

それは、わたしたちの主イエス・キリストがわたしに示してくださったとおり、この幕屋を脱ぎ去る時が迫っていることを、知っているからです。
Ⅱペトロ1・14


「ペテロ行伝」の上述の話は有名な小説「クオ・ヴァディス」の素材にもなりました。キリストが信徒のひとりひとりのために再度苦しまれるという思想は、新約聖書正典の中にも見受けられます。

堕落してしまえば、その人々を悔い改めさせることは不可能です。彼らは自分で、神の子をまたもや十字架につけてさらしものにしているからです。
ヘブライ6・6
わたしは律法によって律法に対して死に、神に対して生きるようになったのです。もはやわたしはキリストと共に十字架につけられています。
ガラテヤ2・19

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