公演終了から1年。あらためて講談研究室をふり返る。
2020年2月6日。平日の夕暮れ時にもかかわらず、お江戸日本橋亭の前には長蛇の列。この冬一番の寒さに見舞われた東京は、2℃そこそこの気温に加えて強烈な北風が吹きつけたこともあり、足元からじわじわと冷えてゆく。
この日行われたのは、第44回講談研究室。
「あれ?講談研究室ってやっていたんだっけ?」とお思いの方もいるだろうが、実はとある事情で、こっそりと行われていたのだ。
講談研究室とは?
まずは、この講談研究室という会について説明しておく。会が始まったのは2012年8月。3代目神田松鯉とその弟子の神田松之丞が師弟で連続物(続きものの講談)を読むことをテーマとした会だ。
第1回の開催に先駆け呟かれた松之丞さんのツイートには、このように書かれている。
発足当初から松之丞さんは、勉強会・親子会という形はとりながらも、裏テーマとして「自分が聞きたいネタを師匠にやってもらう」ということを掲げている。もちろんそれは独りよがりなものではなく、お客さんも師匠神田松鯉の変わったネタが聞きたいだろう、という考えがあってのことだろう。
松之丞さんの二ツ目昇進が2012年6月だから、昇進の翌月には会の案内をしていることになる。この会が誰の発案で行われることになったのかは分からないが、このツイートが示すように、少なくとも前座の段階で松之丞さんがある程度準備をしていたろうことは予想できる。前座の頃から用意周到、抜かりがない。
講談研究室の変遷
松之丞さんは当初から「師匠に読んでほしい演目、しかも連続物を読む会」というテーマを掲げていた。実際に第一回の講談研究室では、松之丞さんが村井長庵「お小夜身売り」を、松鯉先生が同じく村井長庵「重兵衛殺し」を師弟で連続読みしている。ただ発足当初は、現在と違い前座が開口一番を務めた後は、仲入り前に松鯉・松之丞が連続物ではない噺を1席ずつ、仲入り後に連続物を1席ずつ車読みする、という形式がとられてきた。実際に第1回講談研究室では、仲入り前に松之丞さんが「寛永宮本武蔵伝~桃井源太左衛門」を、松鯉先生が「四谷怪談~お岩誕生」を読んでいる。
このように、発足当初は連続読みとともにそれ以外のネタも読む会だった。二ツ目になりたての松之丞さんの勉強会も兼ねていた面もあるのだろうと推測されるが、このような形式は2016年4月16日の第23回講談研究室まで続いた。
この日は、仲入り前に松之丞さんが淀五郎を読んだ後、仲入り後に松之丞さんが天明白浪伝の「徳次郎の生い立ち」を、松鯉先生が天明白浪伝「稲葉小僧」を読んだ。この回がこの後も続く天明白浪伝の連続読みの初回になるのだが、これ以降講談研究室は連続物の話のみが読まれる純粋な車読みの会となっていく。いわばこの回を境に、勉強会+連続読みの魅力を伝える会から、純粋な師弟による連続物の車読みを楽しむ会にシフトしていったと言えるだろう。
それでは改めてメインとなった連続物の演目を振り返ってみる。
2012年8月~2013年4月 村井長庵
2013年6月~2013年12月 役者伝、怪談、相撲、赤穂義士と月替わり
2014年2月~2015年6月 慶安太平記(1度目)
2015年8月~2016年2月 怪談、侠客、赤穂義士と月替わり
2016年4月~2016年12月 天明白浪伝2017年2月~2017年12月 畔倉重四郎2018年2月~2018年12月 寛永宮本武蔵伝
2019年2月~2020年2月 慶安太平記(2度目)
会の発足直後は村井長庵の車読み。途中単発のテーマを経て、2014年2月から慶安太平記、その後また単発テーマを挟み、2016年4月からは天明白浪伝が読まれている。以降、途中鯉栄さんが加わったこともあったが、原則的には松之丞さんと松鯉先生が二人で連続物を車読みする会となる。
当日でも入れる会から超人気の会へ
当代きっての人気者と、後に人間国宝にまでなるベテランの師匠の会というだけあり、ずっと人気の会であったと思われそうだが、実はそうではない。じつはほんの数年前、2016年までは当日でもふらりと入れる会だったのだ。この会がどのような流れで超人気の会になっていったか、松之丞さんのツイートを振り返りながら追っていきたい。
まずは会の発足から1年余りたった2014年2月の松之丞さんのツイートから見ていく。
まだそれほど、神田松之丞という名が演芸界全体に知れ渡っていなかったであろう2014年。当時はまだ思ったように客が入らなかったことが見て取れる。
またそれから1年余りたった2015年8月のツイート。
お江戸日本橋亭はキャパが約100名なので、この時点でもまだ8割くらいの客の入りだった。
さらに、それからさらに1年経った2016年8月のツイート。
2016年と言えば、TVでの露出も徐々に増え始めていたし、演芸ファンの中ではかなり広く知られるようになっていたころだ。そんな時期でも、まだ事前の予約数は少なかったようで、当日にもふらりと行ける会だった。
あえてチラシを配らず、常連さんは多く繰るけれど、当日に気が向いて訪れても見に行くことが出来る、そんな会だったように記憶している。
事実、私も2016年12月23日の天明白浪伝の最終回公演に当日ふらりと行ったが、無事入ることができた。2016年末と言えば、松之丞さんが演芸界では広く知られる存在となり、世間的な人気が爆発する寸前の頃だ。そんないわば「松之丞夜明け前」といった状況にもかかわらず、この会は当日でも入ることができたのだ。
ところが、そんな状況も翌年から一変する。
2017年1月の松之丞さんのツイート見てみよう。
講談研究室を広く知ってもらうべく、チラシが作られたのだ。デザイン的にも目を引くこのこのチラシを自身の会などで配ったことで認知度が爆発的に上昇。状況は一変することとなる。その様子は松之丞さんのツイートにも現れている。
このツイートからは、チラシがいつ撒かれたかは分からないが、ツイートから分かる限り、少なくとも2週間ほどで予約完売している。この回を境に、講談研究室は予約完売があたりまえ、当日券無しの人気の会へとなってゆく。
講談研究室の人気高騰とプラチナ化
この予約完売の状況は2017年以降もずっと続く。
松之丞さんもそんな状況を憂慮してか、しきりにツイッターで「キャンセルの方は必ずご連絡を」というアナウンスをしていた。当日までキャンセル待ちの客が多数いたことがうかがえる。
たとえば、これは2017年6月の講談研究室を前に呟かれたツイートだ。
この人気は、この年からチラシを配って会の存在が広く知られるようになったことに加え、連続読みという会の性質上、参加した人の大半が次回の会を予約する、ということも大きく関係しているだろう。定期的に開催される演芸会は他にもあるが、連続読みの会は文字通り演じられる話が一続きのストーリーなっているため、余計に聞き逃したくない、という思いが強くなるのだろう。いわゆる“常連さん”が多くなり、限られた席数のほとんどを占める、という状態になってゆく。
そして何より、この状況にとどめを刺したのが、松之丞さんの世間的な認知度のアップだ。それまでも、演芸界では確固たる人気を確立していた松之丞さんだったが、2017年の4月から始まったラジオ「神田松之丞 問わず語りの松之丞」によって、その人気は世間一般にも広まることになる。このころから松之丞さんの会には、それまでの演芸ファンに加え、演芸に親しんでこなかった新たなファンが押し寄せることになる。例えば、ラジオが認知されだした2017年夏以降、松之丞さんが出演した渋谷らくごの公演は、例外なく満員となっている。
もちろん、この講談研究室も例外ではなく、結局このメディア露出の急増が、それまでの当日ふらりと見に来られる会から、予約必須、キャンセル待ちが当たり前の人気公演となったことの大きな、そして決定的な要因となった。
以前までの、気軽に師弟の高座を楽しめる会ではなくなり、ますます講談研究室のチケットはプラチナ化していった。
2019年の講談研究室
松之丞さん、そして松鯉先生の人気もあり、会としてのキャパシティが限界に達していたのだろうか。2019年の講談研究室は、それまでと開催スタイルを大きく変えることになる。
まず、会自体がホームページやチラシで知らされることがなくなった。つまり、広く一般に来場者を募らなくなったのだ。これは、講談研究室が事実上のクローズドの会になったことを意味する。もちろん、新たなお客さんにも門戸を開くことは、講談ファンの獲得という面では何よりも大事なことだろう。だが、なんせ会場はキャパが100人そこそこのお江戸日本橋亭だ。新規のお客さんを受け入れる余裕は物理的にも全くなかった。したがって、参加者は原則、それまで講談研究室に参加していた人に限られた。その結果、客席はそれまでずっと講談研究室を追いかけてきた熱心かつ熱狂的なファンで占められることになる。
また会の参加者には、講談研究室が開催されていること、自分が参加していることをSNSなどで口外しないよう、事実上の箝口令が敷かれた。こういうと悪い印象を持たれる方もいるかもしれないが、それまでの会のキャパシティと会の人気とのアンバランスさを見るに、一部の客からのクレームなどがあったことは想像できる。「会をやっているのにいつまでたっても見られないじゃないか」「宣伝しているのに入れないとはどいうことだ」などの声があったのかもしれない。そういった状況を鑑み、なんとか会を開催するための手段が、この口外禁止、SNS禁止になったのだろう。2018年末にそれまでの参加者宛に案内された書面には、会に来られないお客様とのトラブルを防ぐためにも、会自体をやっていること、自分が会に行っていることをSNSなどで広めないように、と明確にアナウンスがされた。主催者としても、会を最後まで無事に開催するための苦渋の決断だったと思う。
このような経緯から、講談研究室は松之丞ファンと松鯉ファン、そして講談ファンによるクローズドな会になった。
そんな特殊な状況で行われた講談研究室だが、読み物は慶安太平記が選ばれた。これは2014年から2015年に行われた講談研究室でも読まれた話だが、この時とは読む話を変えて行われたとのこと。今や松之丞さんの得意ネタとなった『鉄誠道人』を松鯉先生が読むなど、松鯉先生が今ではなかなか演じることのない演目が見られるというのもファンにとっては嬉しい趣向だったはずだ。
それでは、2019年の講談研究室の全演目と演者を改めて見てみよう。
・2019年2月17日(日)
松鯉「1話 正雪の生い立ち〜紀州公出会い」
松之丞「2話 楠木不伝闇討ち」
松之丞「3話 丸橋忠弥登場」
・2019年4月28日(日)
松之丞「4話 忠弥・小説の立ち会い」
松鯉「5話 秦式部」
松之丞「6話 戸村丹三郎」
・2019年6月23日(日)
松鯉「7話 宇都谷峠」
松之丞「8話 箱根の惨劇」
・2019年8月25日(日)
松鯉「9話 佐原重兵衛」
松之丞「10話 牧野兵庫 上」
松之丞「11話 牧野兵庫 下」
・2019年10月13日(日)
松之丞「12話 柴田三郎兵衛」
松之丞「13話 加藤市右衛門」
松鯉「14話 鉄誠道人」
・2019年12月15日(日)
松之丞「15話 旗揚げ前夜」
松鯉「16話 丸橋と伊豆守」
松之丞「17話 奥村の裏切り」
・2020年2月6日(木)
松鯉「18話 正雪の最期」
松之丞「19話 一味の最期」
真打昇進襲名披露直前 師弟座談
このように、基本的に1回の公演で3話読み進められ、松之丞さんが2席、松鯉先生が1席を演じる、という形式で進められた。
年が明けて2020年2月には講談研究室の事実上の最終公演が行われた。松之丞さん、松鯉先生がそれぞれ1席ずつを読み、慶安太平記の、そして長年続いたこの形式での講談研究室は、無事大団円を迎えた。
実はこの日、数日後に松之丞さんの真打昇進を控えていたこともあり、お客さんを前にして、師弟座談会が行われた。基本的には松之丞さんが、師匠に対して質問を投げかける形式で進められたが、なかなか他では聞くことができないオフレコな話もたくさん飛び出し、ファンにはたまらない一夜となった。1年間、暑い日も寒い日も、遠いところから足を運んでくれたお客さんに向けての最後のサービス、といった面もあったのだろうか。師弟のトークはとても盛り上がり、最高のフィナーレとなったことを覚えている。
講談研究室の最大の魅力とは?
以上、時系列で講談研究室の変遷を追ってきたが、私は幸運なことに、2016年12月の公演から2020年2月の最終公演まで、約3年にわたりこの講談研究室に参加することができた。2017年以降の徐々に高まる会の人気や、2019年のいわば秘密クラブのような空気感も肌で感じることができたのは、今考えても非常に幸運だったと思う。
それまでも、松之丞ファン、そして松鯉ファンが多い会ではあったが、人気が高まるにつれ、明らかにその度合いは高くなっていった。事実、2019年の客席は、松之丞さんの会でよく見る顔が多く、昔から松之丞さん
を応援してきたファン達が多数を占めているといった印象だった。これは前述のとおり、新規のお客さんが講談研究室に参加できないという弊害を生み出すことにはなったが、その一方で、いわゆる変な客、迷惑な客がいない、非常に落ち着いた会の空気を醸成することにつながったともいえる。運営側や出演者、そしてお客さんも互いに信頼しあっている、そんな安心できる雰囲気に満ちた会だったと思う。
ここからはあくまで私見になるが、おそらく松之丞さんは、この会を自分のホームグラウンドのように感じていたのだと思う。マクラでは愚痴や文句はこぼすが、過剰に毒づくことなく、とても自然な高座だった。自分のことをよく知ってくれる、応援してくれるファンの前で、純粋な素の”神田松之丞”が話してくれているように感じられた。
松之丞が伯山となり、テレビラジオにひっぱりだこの売れっ子となってしまった今、あのようにフラットに客席に語り掛けるような会に出会うことはかなり難しくなるだろう。独演会は講談初心者の人が一定数いるだろうし、それなりに配慮した高座にする必要があるし、なにより数百人が入るような大ホールでは、どうしてもそのような雰囲気にはなりにくい。あの100人そこそこの会場で、あの距離感で松之丞さんの、そして松鯉先生の講談に触れることができた講談研究室は、とても貴重な会だった。
アットホームな講談研究室の復活はあるか。
2020年2月に大団円を迎えた講談研究室。同月に松之丞さんは6代目神田伯山となり、もはや伝説といっても良い30日間の披露興行、そしてYouTubeチャンネル『神田伯山ティービィー』の開設とギャラクシー賞の受賞もあり、いまや演芸界でも抜きん出た存在となった。ラジオのレギュラーは丸4年を迎えようとしているし、テレビのレギュラーも多く、まさに時代の寵児といえる活躍をしているのは皆さんご承知の通りだと思う。
そんな人気者になってしまった神田伯山の高座を、大ホールではなく、講談研究室のような、演者との距離が近くアットホームな会で楽しむことはもうできないのだろうか。
結論から言うと、講談研究室のような100人程度のキャパシティの会を催すことは、現状では難しいだろう。
第1に、伯山さんと松鯉先生の人気が100人のキャパシティに収まらなくなってしまったことだ。仮に企画をしたとしても、チケットは争奪戦、見に行けない客のうっぷんがまたラブルの種にならないとも限らない。人間国宝となった松鯉先生も出演するとなると、それはなおさらだ。
第2に、伯山さんが真打となり、師匠と勉強会をするというコンセプトが伯山さんにそぐわなくなってきたということだ。講談研究室は、もともと二つ目になったばかりの松之丞さんが、自己研鑽を兼ねて始めた会だ。真打、そして講談界を代表する大看板になった今、小さなキャパシティの会場で自分の師匠とともに勉強会をする、というのは少々違和感を感じる。
ではもうこのようなこじんまりとしたアットホームな会で伯山さんの高座を見ることはかなわないのだろうか。これは私の希望を多分に含んだ、いわば夢のようなものとして聞いてほしいのだが、もし今後このような会が行われるとすれば、それは伯山さんとその弟子との会ではないだろうか。
伯山さんはここ最近、今年2021年10月から弟子を取る、と公言している。二ツ目時代から幾度も弟子入り志願者が訪ねてくるなど、入門希望者が絶えなかった伯山さんのことだ。本人の気持ち次第だが、きっとすぐに弟子を取ることになるだろう。
伯山さんはかねがね「師匠から受けた恩は後輩に返す」という言葉を口にしている。師匠から受けた恩を師匠に返すのではなく、弟子たち、後輩たちに返す、そうやって伝統を芸を受け継いでいこう、という意味の言葉だ。
もしこの言葉を実現に移すのであれば、自分が受けた恩、つまり二ツ目になって早々に師匠と親子会を催すことができたという恩は、弟子たち、後輩たちに返すのが自然ではないだろうか。
通常、日本講談協会では二ツ目に昇進するのに4年~5年を要する。2021年にもし伯山さんのもとに入門するとなると、二ツ目になるのは2026年頃だろうか。もしこの「師匠から受けた恩は後輩へ」の言葉通りになるとすれば、もしかするとそう遠くない将来に、再び講談研究室で伯山さん(とその弟子)の高座を見ることができるかもしれない。
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