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そして、運動会当日

運動会当日。前日より空気が冷たい朝だった。

すっきり目覚めた娘は、最近ブームになっている朝食の卵焼きづくりに専念していた。焦げ目がなく、きれいな黄色の卵焼きを作り、満足気に

「今日も、ママが作るよりきれいにできたよ」

と、食卓に並べてくれた。

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ワクワクしているのは・・・

朝食を食べながら娘は言った。

「ママ、今日はいつもより早く行きたいの。通学班の子たちが出たら、すぐに私も出る。着いたらすぐ着替えなくちゃならないから」

「いいよ、食べ終わったらすぐに支度しよう」

「パパは、見に来るの?」

「もちろん!行くよ」

「やったね!」

前日の夜に、着ていく洋服も準備していたので、身支度はスムーズだった。通学班で登校する子どもたちを、10mほど先に見ながら、娘と私と、そして夫も一緒に学校に向かった。

校門をくぐると、そこには、運動会のお手伝いをするPTA役員が集まっていた。私も、お手伝いをすることになっていたが、もしかしたら娘を教室まで送り届けるかもしれないと、朝いちばんの割当てからは、外してもらっていた。

娘は

「ママ、お仕事があるんでしょ。今日はここから一人で大丈夫」

と言い、黙々と、昇降口に向かって歩いて行った。その背中には、気負いというか「頑張らなくちゃ」という感じはなかった。

事情を知っているPTA役員の人たちが

「運動会、出られそうだね。よかったね。頑張ってる」

と声をかけてくれ、私も嬉しかった。

夫は、張り切りすぎて時間より早く到着してしまい、お手伝いの役員しかいない中、若干照れくさそうに、娘の出番の時間まで、散歩しに行った。

ワクワクしている夫が、面白かった。

楽しむ、笑顔

2年生の出番は、一番最初だった。

夫は、準備万端なビデオカメラを出し、娘から聞いたベストポジションを探し、走り回っていた。

保育園時代から仲良くしているお友達の両親は、娘の姿を見つけて

「よかったね、今年は出られて。少しずつでいいよね」

と、一緒に喜んでくれた。とてもありがたかった。

娘は、一生懸命というより、運動会を目いっぱい楽しんでいる様子だった。徒競走も、お友達と一緒に走る喜び、運動会に出られた喜びを全身から発し、隣のレーンを走るお友達の様子を見ながら、ペースをあわせて走っているように見えた。マスク姿ではあるが、確実に笑って走っていた。「競争」をする意思は殆ど感じられなかった。

2回だけ参加した運動会練習を経ての、縄跳びの演目も、縄に引っかかりながら、笑顔で楽しそうに跳び、恥ずかしいと言っていた静止ポーズも決めていた。

待ち時間には、周りのお友達に声をかけ、おしゃべりを楽しんでいた。

・・・楽しそうで、本当に、良かった。

感動と喜びで、涙腺がゆるむかと思ったが、不思議と涙は出なかった。じわじわと胸の奥から湧いてきたのは、安堵の気持ちと、ここまで導いてくれた先生方やお友達、そして、私自身を整えるために力を貸してくれた目に見えないエネルギーへの感謝だった。

夫も、嬉しさと興奮のあまり、ビデオカメラを持つ手がぶれたのか、撮影した動画はブレブレだった。

「がんばったよね」

「ほんとだね」

「楽しそうだったね」

私は夫に、自然に「ありがとう」と言った。言葉は、意図して口から出た感じではなかった。体が、口が、勝手に動いた感覚だった。

私たちは、お互いに感謝を伝え合った。

お楽しみの「ご褒美」

下校してきた娘は、即座に

「公園でお友達と遊ぶから、行ってくる!今日は宿題ないんだ!」

と、飛び跳ねて出て行った。公園で暗くなるまで遊び、満たされた様子で帰宅したが、今日はお楽しみの計画が、この後に控えていた。

それは、お友達との夕食。

運動会を頑張ったら、〇〇ちゃんとご飯に行きたい、と、1週間ほど前から娘に頼まれていた。頑張っても頑張らなくても、一緒に夕食を食べようと、そのお友達のお母さんには伝えていて、快く承諾してもらっていた。

にぎやかな夕食時間になった。◯◯ちゃんと娘は、共通して大好きなプロ野球の話で盛り上がっていた。父親同士はお酒も飲みながら、なぜか仕事の話・・・(^^) ここで仕事の話?と、母親同士は顔を見合わせて笑った。

お酒が入った大人のおしゃべりの勢いで、食後、急きょ、〇〇ちゃんのお家にお邪魔することになった。以前からずっと誘われていたのだが、娘はなぜか、お邪魔することを拒んでいたので、どうかなと思ったら、大喜びで、何のためらいもなく、玄関を上がった。

〇〇ちゃんのお父さんが

「こういうのは勢いが大事なんだよ!」

と屈託もなく豪快に笑い、迎え入れてくれた。そして、親は更にお酒を飲み、子ども同士はおもちゃで遊び、笑いの絶えない夜になった。

許容とは

今回の出来事は、単純に、不登校の子が運動会に出られて良かった、学校に行けて良かった、という話ではない。

もちろん、親として、我が子が他の子どもたちと関わる時間が持てたことは、嬉しいし、安心できることではあった。コロナ禍で学校行事が中止になる中、運動会が開催になり、それを他人事のように見ているよりは、我が子が出ていたほうが盛り上がる。

けれど、たとえ娘が運動会に出なかったとしても、私たち夫婦は、それを認められたと思う。残念な気持ちはゼロではないにせよ、なぜ出ないのかと娘を責めたり、あからさまにがっかりして、ため息をついたり、他の子と比べるような言葉は、出なかったと思う。1年前と比べたら、それは、私たちにとって大きな変化だ。

私の根底には、親子間、夫婦間で、相手を自分の思い通りにコントロールしたいという強すぎる思い、正しいのは自分だという思い上がりがあった。その思い上がりに気づけと、娘は全身全霊で私に訴えてきた。相手をコントロールしたい思いを手放すことが、私にはなかなかできず、挑戦しては撃沈し、被害者意識に溺れ、自責の念に駆られ、苦しかった。

相手をコントロールしようとしている瞬間を自覚できるようになるまで、とても時間がかかった。ようやく自覚できるようになってからは、自分の頭によぎる思い、言いたくなる言葉を、口から出す前に小声で反芻したり、書き出して、客観的にその言葉を眺めるようにした。そうすると、自分を正当化しようとしていることや、相手との価値観の違いを、冷静に見ることができ、次第に「相手の考えは相手のもの」「私と違っても正す必要はない」「私が正しいとは限らない」と考えられるようになり、許容できるようになってきた。

何かをしていない人間は、価値がない、という思いも、次第になくなっていった。仕事を辞めてしまったことで感じていた無価値感や、稼ぎがない罪悪感も、知らないうちに、感じなくなっていた。

そして巷で言われるように、相手を許容できるようになると、相手からも許容されるようになった。「許容」の意味を、やっと、理解できた気がする。



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