娘の2学期
運動会を終えた娘はほっとしたように、翌週はのんびり過ごした。週末はお友達と遊び、夕方、先生に会いに学校に行くことは続けていた。先生はいつも、温かかった。
見学イベントに向けて
2年生には、地域のお店を見学しに行く授業があるらしかった。先生にそのことを聞き、3つのコースがあることを知らされた娘は、あまりなじみのない方向のコースに行ってみたいと言っていた。
「せっかく行くなら、いつも行かない所に行ってみたい」
そんな言葉が娘の口から出たことに、私は成長を感じるとともに、自分の「思い込み」「決めつけ」に、呆れた。
幼いころ、初めて会う人に緊張し、初めて行く場所に行きたがらない娘を見て、親は「人見知り」「場所見知り」と決めつけてしまっていた。そんな時期も確かにあったが、成長の過程であり、娘のパーソナリティを決定づけるものではなかったのに。
「町探検」と呼ばれるそのイベントに向けて、娘はカレンダーを見ながら
「前日は、絶対準備のお話があるから、行かなくちゃ。当日は絶対行くんだ」
と話していた。
そして、有言実行の娘は、朝の不安を乗り越えた。
「ママのため」
その後、図書館見学という学年での行事があった。町探検を乗り越えられたので、きっと大丈夫だろうと思っていたが、通いなれた図書館を見学するのと、あまり言ったことのないお店を訪問する町探検とは、魅力の度合いが違うのか、行きたいと口では言いつつも、前のめり感はなかった。
当日の朝、今思えば私が、きっと行きたいだろうと、連れ出したのかもしれないが、暗い顔をして娘は登校した。
昇降口で、次々と出てくる同級生。声をかけてくれる子もいたが、娘の足は動かなかった。
出発時刻になった。
担任の先生が残ってくれ、二人で歩いて行こうと提案してくれたが、気持ちを切り替えられない娘は、泣きながら、私の手を握り離さなかった。
ただその日は、私には用があった。娘もそのことを知っていて、ずっとこうしているわけにはいかないことも、わかっていた。
堰を切ったように泣きながら、娘は「私が行かないと、ママが出かけられない」と言い、私から離した手を先生と繋いで、何度も何度も振り返りながら、私から離れていった。
自宅のドアには、いつ残したのか、付箋紙に書かれた娘からの書き置きが貼られていた。
「ママのために、私は学校に行きます」
胸が締め付けられる思いだった。
・・・毎日!
12月になった。紆余曲折あったが、クリスマスとお正月というイベントが控えているからか、娘は
「わたし、12月は毎日学校行く」
と宣言した。
私は毎朝、一緒に校門をくぐり、教室の前まで付き添った。いつまでも付き添い登校でいいのだろうかと考えたり、なかなか教室に入れない姿を見ては心配になったり、そうかと思うとあっさり「じゃあね」と中へ入ってしまい拍子抜けしたり・・・。1度として、同じ朝はなかった。
娘を送った後、私はただ祈り、自分のことに集中した。大丈夫かな、廊下で泣いていないかな、そんな心配や不安もあったが、そんな波動は娘に迷惑、自分で決めて、登校したのだ。信じるのが親の役目だと言い聞かせた。貴重な一人の時間、誰にも邪魔されず、より集中できるように、1カ月でセーターを編み上げる目標を立て、毎日コツコツ編んだ。無になる時間は心地よく、落ち着いた。
12月には授業参観日があった。娘は夫に「ママとはいつも学校に行ってるから、パパに来て欲しい」と伝えていた。夫は喜び、45分の参観のために仕事を休み、運動会の日のように朝から胸を躍らせていた。もともと子ども好きな夫は、保育園時代も参観日には積極的で、娘だけでなく、子ども達と触れ合えるのを楽しみにしていたのに、小学校は、とても「遠い」場所になってしまい、訪れるチャンスがないことを寂しがっていたので、その喜びはよく理解できた。
参観を終え帰宅した夫は、
「算数で九九をやってたよ。それにしても、40分授業って、あんなに長かったっけ。子どもたちの集中力が持たないのもわかる」
授業終了後に、顔を知っている子どもたちに声をかけられて、少し遊んだとも話してくれた。
そして、たまたまその日お休みしていた保育園時代からのパパ友と連絡をとったようで、二人でおつまみを買い出しに行き、昼から我が家でビールを飲み、楽しそうに笑っていた。
私も授業参観には行きたかったが、娘が教室に入れず廊下で過ごす時、何となく「参観」していたので、夫に行ってもらえて良かった。
そして、二学期の終業式を迎えた。娘にとっては、入学後初めて出席できた終業式だった。
娘は
「ママ、わたし、12月、毎日学校行けた!」
と笑顔だった。
「自分で『毎日行く』って決めて実行したね。よかったね」
と言うと
「ママ、私ね、一年生の時、学校が怖いって思ったのは、男の先生たちに抱えられて連れて行かれたからだと思うの。今もドキドキすることはあるけど、ママとお家でいるより、学校の方がお友達がいるから楽しい」
***
「子どもが毎日学校に通う」ことは、当たり前のことではない。地球上にある国々を見渡すと、そうであることがわかる。何も、学校に行く・行かないだけの話ではなく、一部の人たちの「当たり前」を、常識だとか、一般的だとか、そういう言葉で「是」とする風潮が、なんと多いことか。自分の信念や常識にしがみつくのは、それがないと、自分自身を肯定できないからなのかもしれない。
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