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わずかだが、大きな壁

緊急事態宣言の最中も、幸か不幸か、夫は在宅勤務ではなく、普通に出勤していたため、生活リズムが大幅に変わることはなかったが、午前登校、午後登校が入り交ざる日々は、どうなるだろうか。

たった1行が・・・

毎日登校することになった初日。その日は午後からの登校だった。

臨時休校期間に学校から出された宿題は、そつなくコツコツとこなしていた娘だったが、どうしても、何を書いたらいいかわからないプリントがあった。数学のようなわかりやすい正解がない問いで、自分の意見、考えを自由に書くのだと思われたが、誰に似たのか「正解」を書きたがる娘は、完全に鉛筆が止まってしまっていた。

たった1行、されど1行。その1行がどうしても書けないまま、朝を迎えた。いつやるのか娘に聞くと「午後の登校までに時間があるから、午前中にやる」と言うので、私は気にしながらも、しつこく促すことはしないでいた。宿題は、全て終わっていない状態で提出してもいいと、先生から言われていたので、その1行が書けなくても、大した問題ではないからだ。

だが、集合時刻が近づいても、娘は全く、プリントをやろうとしなかった。やらずに提出してもいいと言われていたが、念のため、私は娘に、

「プリントどうする?先生は、やらずに出してもいいって言ってたよ」

と声をかけた。

娘は慌ててプリントを出して

「やってからじゃないと、出せない」

と言って、やろうとした。しかし、プリントを見た途端、大きなため息をつき、明らかにやる気は見られなかった。

「ママ、何を書いていいのか、わからない。教えて」

そう言うので、ママも正解はわからないけど、と前置きして、こうかな、あぁかな、といくつか提案をした。すると

「そういうことじゃないの!」

と怒り出し、鉛筆を放り出して、娘はその場からいなくなってしまった。わからない、できないと言っているのに、娘が求める答えをくれない私に対して、イライラしているのは明らかだった。そのイライラを発散するまでは、何を言っても効果はないので、私は黙って、発散が終わるのを待った。

「もう、わかんない!」

と言って泣いて、ふと時計を見た娘は、集合時刻を過ぎていることに気がついた。そして

「もう!学校行きたかったのに!2年生になったら、学校に行くの、みんなみたいに頑張るんだって決めたのに!行けなくなっちゃった!」

そう言って涙をぽろぽろ流し、私を叩き、クッションを叩き、暴れた。

1年生の後半はずっと休んでいたのだ。今日一日、休んだところで、大して問題はない。だが、娘は

「今日は国語と算数をやるよって、先生が言ってた。休んだら、遅れちゃう。みんなと一緒にお勉強したい」

悔しい気持ちはわかるが、叩かれたこともあり、私はカチンときて

「学校、行くって決めたから、行きたかったんだね。行きたかったなら、どうすればよかった?時間はたっぷりあったんだよ。だったら、自分が納得するところまで宿題を片付けておけばよかったんじゃないの?泣く暇があったら、急いで準備して登校すれば、始業には間に合うんだよ」

ときつい口調で言い放った。

泣き声は、激しくなるばかりだった。

私は学校に、欠席連絡をした。その電話を聞いて、娘はさらに激しく泣きじゃくった。

娘の決意

1時間以上泣いただろうか。やっと落ち着きを取り戻した娘は、やり残していた1行を、ものの1分もかからずに一人で終わらせて、私に言った。

「私、みんなみたいに、学校に行くんだって、決めたの。2年生になったし、どきどきすることもあるけど、がんばるって決めたの。だから、準備もがんばる。忘れちゃう時もあるかもしれないけど。だから、忘れていたら、ママ、教えてくれる?」

「もちろん。ママも大きな声を出して、ごめんね。学校、行きたかったね。悔しくて、ママが怖くて、泣いたから行けなくなっちゃって、嫌だったよね」

「うん。ママ怖かった・・・」

私はぎゅーっと娘をハグした。余計なことは言わずに、ただただ、娘の大きな決意を、絶対、応援しよう。恐怖を与える自分からも、卒業しよう。

親子は鏡

今回も、娘を怖がらせ、委縮させてしまった。私はもともと顔立ちが「強面」だし、声も低いので、そこに怒りオーラが加わったら、さぞかし怖いに違いない。隠しカメラでもつけて、自分の表情を見たら、きっとドン引きするだろう。怖がらせるつもりはないのに、結果として怖がらせているのは、もうやめたい。

娘があれだけ激しく泣いたのは、「登校し教室に入る」ことに、相当な決意をしたからに違いない。宿題の、たった1行が書けないことで、欠席するなんて、すごく悔しかっただろう。そして、その1行を「やらないで登校する」という選択は、先生に注意されることを極端に不安がる娘には、できなかったのだと思う。

低学年は、まだまだ無邪気に自分を自由に表現できる年齢なのに、そこに戸惑う娘には、自分の行動や表現が、周りからどう思われるか、何を言われるかを恐れる傾向がある。それは、家庭内で彼女が自己表現した時、私たち夫婦が、それを受け容れず、違う、間違った考えだと否定しまくった過去、特に一年前の最悪な時期に起因していそうだ。

もちろん、当時は、娘の言い分に対して否定したつもりは全くなく、親として、自分たちの経験を踏まえて、より良い提案をしたつもりだった。だが、残念ながら、娘に刻み込まれてしまったのは「自分の考えを表現しても聞いてもらえない。何を言われるかわからない」という「恐さ」や「不安」だった。

そして実は、この「恐さ」も「不安」も、私が夫に対して感じているものと、同じで・・・。

親子は鏡、とは、よく言ったものだ・・・

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