見出し画像

娘依存症

2学期のある日、娘は「ママが一緒なら、学校、行けるかもしれない」と言った。先生に相談したら、一緒に登校してもいいとのこと。毎日とはいかなかったが、娘が「学校に行く」と言った日は、私は付き添って登校した。

夫に嫉妬していた私は、娘と登校する日ができて救われた。

私のほうが、娘に依存していた。何だこの親子関係は?と思うと、滑稽だった。

いつまでも「優等生」

校門前には、長く子どもたちを見守ってくださっている、小さな学用品店があった。お店のおばさんは、遅れて登校する私たち親子に、いつも暖かく声をかけてくれた。「この子は大丈夫よ」と、お世辞でも上っ面のなぐさめでもなく、心から言ってくれているのがわかった。

私は、夫や先生、友人よりも、おばさんには素直に自分の心の内を話すことができ、本当に救われた。娘も何かを感じ取ったのか、すっかりおばさんと仲良くなり、校門をくぐる勇気を出すためなのか、ルーティーンとしておばさんにご挨拶してから、校門に向かうようになった。

学校の敷地内に入っても、教室に入るのは、娘にはさらにハードルが高かった。気持ちが落ち着くまでは、相談室や、保健室で過ごし、行けそうになったら教室へ向かっていた。

ただ、私は時々、早く教室に行かせたくて焦り、先生方の前で娘を叱りつけてしまうことがあった。学校で娘に怒鳴る私は、先生方にどう映っただろう。でもあの時、そんなことは、全く頭をよぎらなかった。

学校内での娘の様子を観察しながら、一体何が原因で、娘は学校に行きたがらないのだろうと考えた。同じ保育園から上がったお友達と関わるのは、平気な様子で、声をかけられたら応じ、自分から声をかけてもいた。調子がいい時は、私から離れて教室に行って授業を受けることもあったが、教室に入ったかと思えば、すぐ出てきてしまうこともあった。

娘と違うクラスの子は、「なんでお母さんと学校に来ているの?」と純粋なギモンを、私や娘に質問することがあった。質問されると娘は凍りついていた。私もどう答えていいのかわからず、適当に、はぐらかしていた。

いくら考えても、想像しても、娘の不登校の原因は、わからなかった。わからないことが、私を、夫を、苦しめた。わからないことをそのまま残すことが、かつて仕事で課題解決ばかりしてきた私の左脳には、気持ち悪くてたまらなかった。

先生方は、娘が学校で安心できるようにと、心を尽くしてくれた。

娘一人のためだけに、「メンタルフレンド」という立場で週に1日、来てもらう先生(大学院生)を手配してくれた。娘はすぐ慣れ、メンタルフレンドの先生と一緒に、教室に行ったり、給食を食べたりできるようになった。臨床心理が専門のメンタルフレンドの先生は、本当によく娘に寄り添って話を聞いてくれた。そのおかげで、娘と一緒に登校した後、私だけ一時帰宅しても、娘は学校で過ごし、帰りはお友達と下校できる日もでてきた。

たった一人のために…と思うと、私は胸がいっぱいになった。先生たちの期待に、私は何とか応えたいと思った。ここにきてもまだ、優等生でいたい母だった。

季節は秋になり、空が高く、風は冷たくなってきていた。

大人の事情・・・

娘は相変わらず、相談室、保健室、教室を行ったり来たりしていた。給食は、なぜか教室内で食べられない時があり、クラスメイトが一緒に廊下に机を並べて食べてくれたこともあれば、相談室や保健室で食べることもあった。

廊下に机を並べて食べていると、通りがかる他のクラスの子どもたちが不思議そうに見ていく。「なんで廊下で食べてるの?」と聞く子もいたが、「いいの!先生がいいって言ったから!」と、クラスメイトが答えてくれた。当の本人たちは、いつもと違う場所で食べるのが楽しいのか、おしゃべりが弾み、食事が進まないくらいだった。娘も楽しそうだった。

そんなある日。

下校際に、担任の先生から私にこっそり打ち明けられた話があった。それは、給食の時間に私が同席し、子どもたちが食べきれず残った給食を時々いただいていたことを、疑問視する声が保護者から上がっているというものだった。もちろん、私は給食目当てでその時間に同席していたわけではなかったが、食品ロスをするよりはと、先生のご厚意で少し、いただいていた。

子どものために給食費を払っているのだから、その費用で作られた給食を、残ったからと言って保護者がいただくのは何事か、ということだろう。お金が絡むことなので、やめたほうがいいと先生とお話し、それ以降は給食の時間は同席しないとか、同席するならおにぎりなど持参するようにした。

しかし、その変化を、娘は敏感にとらえた。

帰宅後、娘は私に聞いた。「なぜ、ママはご飯を持っていくようになったの?」私は答えた。「給食は、子どもたちみんなと、先生たちが食べる分を作っているの。だからママの分は、ないんだよ。余ったとしても、それはママが食べる分ではないの。」

すると娘は「この間、先生がママにひそひそ話してたのって、このことでしょ?誰かに、何か言われたの?」と言った。

図星過ぎて、私は一瞬黙ってしまった。娘は「やっぱり」という顔をして、私を見ていた。

翌日、娘はいつも確認していた、給食のメニュー表を見ず、学校にも行かなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?