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春のエネルギー

私に行動する意欲が戻り、季節も冬から春に向かって徐々に光にあたたかさが感じられるようになってきた。臨時休校期間、今までと変わらない日常を過ごしているうちに、あっという間に新年度になった。

半年ぶりのランドセル

娘は、始業式の日は「学校行こうかなぁ」と言っていた。新しい担任の先生と、クラスメイトが誰なのか、気になる様子だった。新1年生と遊ぶことを楽しみにしてもいた。だが、時々思い出したように「私、学校に行っていなかったから、2年生になれるのかな」と口にしていた。

結局、始業式はなくなり、学年ごと、クラスごとに、新しいクラスと担任の先生の発表、教科書類の受け渡しのための登校日が設けられた。娘には、通学班での登校ではなく、親と一緒に登校し、クラスと先生を確認し、2年生の教科書をもらいに行く日があると伝え、それとなくカレンダーに書いておいた。

「通学班じゃなくていいんだ。よかった」と、娘は安心したようだった。

当日の朝。

娘はちらちらと時計を見て、時刻を気にしていた。行くつもりなのか、行かないつもりなのか・・・私は声をかけるかどうか、すごくすごく迷ったが、ぐっとこらえ、娘の行動を観察した。

出発時刻になると、娘は当たり前のようにランドセルを背負い「ママ、肩ひもがきついから1つゆるくして」と言った。

半年間、背負っていないランドセル。背負わなかった間に、一つ、ベルトの穴の位置をずらすほど、身体が大きくなっていたことに、私は涙が出そうになった。入学式の翌日から、かぶるのを拒み続けた学年帽子も、ためらわずにかぶり、泣かずに靴を履き「ママ、行こう」と言われた時には、私の涙腺はもう、崩壊寸前だった。

娘と手をつなぎ、光に包まれながら、ゆっくり通学路を歩いた。太陽の光は、あたたかさだけでなく、天から降り注ぐ特別な光だった。

氷が少し融けた

校門が見えてきた。あれほど校門をくぐることを全身で抵抗し、門の前の道路にうずくまったこともある娘だったが、何事もなかったかのように門をくぐった。そこで、児童を迎えに出ていた校長先生に会った。

「来てくれたんだね!久しぶりに元気な顔を見られて嬉しいよ!」

先生から嬉しい言葉をかけてもらい、娘は照れていたが、開口一番に

「先生、プロ野球、開幕しなくて退屈だね」

と言った。

校長先生と共通して盛り上がれる話題をとっさに思い付いたと思えば、なかなかのものだが・・・私は思わず笑ってしまった。

そして、クラス発表が張り出されている場所へ向かった。

娘は自分のクラスを確認し、凍りついたように、その場で動かなくなった。

はじめ私は、クラス発表がショックだったのかと思った。頼りにしていたお友達と、別のクラスになったのかもしれない。聞いてみると娘は「違う」と言った。

クラス発表は、昇降口に張り出されていた。靴箱は目の前。だが、校舎に入るその一歩が、どうしても出ない。娘は泣くのを必死に我慢して震えていた。小さな声で「ママ、怖いよ」と言っていた。

娘の手をとり、さすりながら「怖いよね、ドキドキするよね」と言って、抱きしめようとしたら「人がいるからやめて」と断られた。昇降口付近には、先に登校した同級生の保護者が何人も待っていた。私はただ黙って、陽射しを背中に強く感じながら、娘の視線に合わせてしゃがみ、手を握り続けた。娘の呼吸は浅かった。

どのくらい経っただろうか。

校舎から、同級生たちが用を済ませて出て来た。知っている顔のはずだが、お互いに目を合わせない。マスクをしていることもあり、表情もよく読み取れなかった。久しぶりの登校だからか、明らかに恥ずかしそうにしている子もいた。それぞれが親元に行き、帰って行った。

続いて、娘のクラス担任の先生が出て来た。4月から異動で赴任された先生だった。先生は入口で立ちすくむ娘にすぐ気づき、歩み寄って来てくれた。

挨拶を交わし、よく来たねと言われ、中に入るよう促された。娘は動かなかった。娘の手を握りながら、ここで無理強いするのは逆効果。中に入れるとしたら、娘自身が、よし、入ると自分で決めた時。時間はかかるかもしれないが、時計を気にして、急かしてはいけない、そして、入れなくてもいい、ここまで来られたのだからと思い、私は黙っていた。

たまたま子どもがほとんどいなかったからか、先生も、娘を待ってくれた。

沈黙の時間が続いた。

「今なら、教室に誰もいないよ。先生と二人だけ。どう?行けるかな。お母さんと一緒でもいいよ」

再び先生に言われた時、娘は力強く

「はい、大丈夫です。一人で行きます」

と言い、私から手を離し、大きな大きな、境界線を越えて、校舎へ入っていった。

「待つ」ということ

外で娘を待っていると、保健室の先生と、1年生の時の担任の先生が「◯◯ちゃんが来たよって聞いて」と出て来てくれた。私が一人なのを見て「えっ!中に入れたんですか?」と驚きを隠せない様子だった。

先生方と娘の休み中の様子を話し、雑談をしていると、娘が笑顔で出てきた。緊張も解け、先生方に声をかけてもらい、リラックスしているのがわかった。

担任の先生は「沢山お話してくれました。好きな野球の話や、手作りした物のお話、学校の不安なことも少し」と私に教えてくれた。大人とはすぐに話せる娘らしいな、と思い、いつもの調子で話す娘の姿が想像できて、私はホッとした。

娘には、本人にしかわからない自分のペース、タイミングがあり、それは決して周りの大人の発言に左右されるものではないことを、ハッキリ教えられた瞬間でもあった。

ぱらぱらと登校してくる同級生をひと通り観察した後、私たちは帰路についた。娘の足取りは軽く「一人で中に入れた!パパに報告するんだ」「先生、優しかったよ。2年生になっちゃった。信じられない!」と全身をはずませて喜んでいた。

その後、臨時休校期間はさらに延び、いつ学校が始まるか、まだわからない。今回のことは、娘にとって自信になったとは思うが、休校期間が終わった時に、娘が登校できるかどうかは、わからない。

だが、娘が登校しようとしまいと、私は彼女が自分で決めたことを実行する力があると知っている。本人にとって最適なタイミングを自分で見極める力もあると知っている。私にできることは、その生命力を信じて見守り、種をまき水をやり、芽吹いて花が咲くのを待つように、娘がどんな花を咲かせるのか、その日を楽しみに待つことなのだ。きっと、娘には、この世に生まれてくる時に決めてきた「花」があるから。

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