見出し画像

専門性、専門家、“専門家”のぐるぐる~35日目

 東京=新規感染28人、都内累計4987人、入院1413人、宿泊125人、自宅352人、退院等2901人、死者196人(本日7人死亡確認)(18時時点)
 国内感染確認15874人、入院等6065人、退院8920人、死者643人(12日0:00)

【5月12日(火)】今日はナイチンゲールの誕生日にちなんで「看護の日」だそうだ。ナイチンゲール生誕200年、記念の年。看護師の皆さん、ありがとうございます(14時半追記)毎年5月12日は「看護の日」
https://www.nurse.or.jp/home/event/simin/index.html

【本日のお題】専門性、専門家、“専門家”のぐるぐる

 昨日の日記は、勢いで筆が滑り文章をちょっと尖らせたなと思ってたら、多くもないビューが微増。やはり「悪口」の方が読まれるのかな。タイトルに少し意識して少しどきどきして「弊害」ってうたったもんね。ただ、基本、新聞について書きたかった(過去形になってるが)のは「効用」です(一応、今の時点でも)。
 論文などの文章であれば、最初に基本の効用を書き、その後、例外的な弊害を書くべきなんでしょうが、日記ですしね、それに先に「効用」を書きたい、として書いた、と言い訳してみる。

社説は「すべき」、コラムは「どうかな?」かな? 

 「社説」と「コラム」の違いを自分なりに再整理。コラムは読売の編集手帳を対象(朝日の天声人語、毎日の余禄は最近あまり読んでいない)。
・社説は「我々」(we)の「主張」であり、大方は「すべき」(should)で展開する。本日の社説は2種計28段落だが、その段落最後は「必要がある」「目指してもらいたい」「支えてほしい」「重要な課題だ」「求められる」「維持すべきだ」「心がけたい」、及び「つなげてもらいたい」「理解できる」「仕方あるまい」「当然と言える」「安くできるはずだ」「努めねばならない」「なるのではないか」「軽くなろう」「重く受け止めるべきだ」「大切だ」などの言葉で〆られ、強い語気の主張と言える。
・コラムは「私」(I)の「思い」think)であり、伝聞形式を多く用い、決めつけず、他人に対して呼びかける際もせいぜい「しよう」「しませんか」Let’s)で〆る。mayとかその辺? 書くこと自体が主張だが、極力押し付けない格好をとる。ちなみに、今日の編集手帳の段落最後は「いいらしい」「だという」「日もある」「大切だろう」「ギラッとしていた」(途中「夏雨に、注意が必要だ」の記もあるが)。語感が比して柔らかめ

 なので、昨日の話は、もともと「上から目線」の媒体の中でも「すべき」が前提の社説で「相手を思いやる。そんな積み重ねが、ウイルスに打ち勝つ道につながるだろう」と書いたので、自分はカチンときた。ふむ、こうして比較すると、いつもの社説の語気より弱めかな、でも、社説で書くこと自体「すべき」なのだ、と自分は受け止めている。また、スーパーの項は無くとも全体の論が成り立つところに無理やり入れた感に変わりはない。

 実は主張しているけどあまり主張していないふりをしているコラムでうまいこと書いた方が、読者に伝わりやすかったかもしれない(いや、その方がさりげなく懐に忍び込みそうだから、より危ないか)、と回りくどく思う。

テレビの「Let’s」呼びかけモード

 そうそう、最近テレビのアナウンサーやキャスターが、今「Let’s」の呼びかけモードを強めていることは意識しておきたい(おっと、社説のようだ)。テレビは報道機関だが、限られた公共の電波を用いる放送法などの関係があって言論機関ではないため(新聞は報道機関かつ言論機関)、通常は「主張」せず、客観的に情報を伝えている。「主張」する場合は「主張」と明示したうえで、あくまで個人の主張として出しているはずだ(会社の主張はしない)。
 しかし、今は「地の文」的なところで、Let’s外出自粛、Let’s命を守ろう、である。これがshouldにならないよう、“監視”しておく必要がある(社説的)。

「専門性」「専門家」とは何か

 で、今日は「面白くもない新聞の効用」を書こうと思ったのだが……。既に今の時点で、ぐるぐる頭が回っている。今日は「効用」を書くのはあきらめ、代わりに、「専門性」「専門家」って何だろうぐるぐる、を書く。

 昨日の日記に、以下の2文があった。書いたことで思考が引っ張られた。
・ちなみに、この論に関しては、たとえば医療や経済、外交など、「専門家」でなくても、自らの思うところを組み立てれば、読み解ける。ある程度の知識と専門性が求められるほかの社説と性格が異なる。
・なお、憲法や消費税等に関し、社によって社論が異なることを前提に読む文と違い、一見、「普通の人なら……」的なこうした文の方が、わかりにくいだけに危うい。

 で(どうしようもない接頭辞だ)、「一見専門性がありそうな」記事の方が、かえって危ういのでないか、と、昨日と違うことを言ってみる
 昨日は、特段の専門性を持たずとも読める(つまり書ける)記事だったので、わーわー言えたのであって、専門性が「高そうな」な記事だった場合は、論理のすり替えが発見し難い可能性が高い
 たとえば「国債」「一帯一路」「シーア派とスンニ派の違い」「年金はどういうシステム」「ips細胞ってわかったようで何だったっけ」みたいになってくると、面倒くさいので忌避するか、その知識を確認するだけでわかった気になって終わらせてしまうか、になりがちだ(自分だけか)。

 新聞の通常の組み立てで言うと、社会面や家庭欄の記事は事前知識があまりなくてもだいたい読めるはずだが、政治や外交はこれまでの経緯を、経済や科学はそれに加えてその世界のルールをある程度知っていないと、簡単には読み進められない。それでも、今はネット検索で調べやすくなったが。

 また、たとえば「教育」に関し、誰でも何か意見は言える。何らかの形で教育を受けてきたから。教育を受けていないのであれば、受けていないことについて何か言える(日本国憲法で「教育を受ける権利」は保障)。

面倒なので、専門家に“丸投げ”する

 そうでない「わかりにくい世界」について、面倒くさいので、専門家に考えることをお任せする。悪く言えば“丸投げ”する。まあ、そのための専門家なんですけどね。でないと、毎日忙しくて、世界のことを全てイチから考えている暇なんかないし。

 その「わかりにくい世界」は、主に専門的知識を用いて技術につなげる「理系」全般、文系に入れられがちだが数字を駆使する「経済」、及び、表裏の交渉力が左右する「政治」「外交」「軍事」あたりか。
 任せると、人間の性(さが)として利権濫用だの隠蔽だのに走りがちなので、チェックが必要となる。国会なり、報道機関なりの役割だろう。
 その中でも、何となくやばいと思ってたけど何だか難しいし何となくアンタッチャブルだし、ものすごく頭のいい人たちの集まりだし、まあねえ……としていたのが専門家集団「原子力村」だったように思う。

 ちなみに、話がまたまた飛ぶが、昨年、福島と東京、大阪で上演された、福島の原発事故をめぐる谷賢一さんの『戯曲・福島三部作』、中でも第二部『メビウスの輪』は、いい人間、悪い人間と、一刀両断できない世界をち密に描いた傑作・力作だった。書籍化もされている。これだけのものを書けるようにもなりたいが、相当な人間観察力、覚悟、取材が必要だ、なあ。

 また、専門性、専門家と言っても、「資格」などで明確な線を引いている場合、あくまで相対的な「熟練」度合いを示す場合、など様々あると思う。いずれにしても「この辺から専門家かな」の線引きである。

実務に携わる専門家、その世界に詳しい“専門家”

 話を戻すと、専門家にはある程度任せざるを得ない。しかし、ミスは必ず起こるし、過程的あるいは結果的な「悪」もほぼ生まれる。そのチェックは必要だ。

 さらに話をそれっぽく「書くこと」に戻すと、その世界に詳しく「専門的なこと」を書いている(あるいは発信する)人が専門家かどうかは別だ。
 実務に携(たずさ)わる専門家と、その世界のことに詳しい“専門家”がいる。
 実務に携わり、かつ書くこと(発信する)も得意な専門家は、たとえば医師や起業家、あるいは元その世界の実務家などだろう。しかし、その分野は細分化されており、隣の分野の専門家が、その分野の専門家がどうか。
 実務を行わないがその世界に詳しい専門家が、いわゆるジャーナリスト、書き手、評論家か(経済の世界だとアナリストもか)。書き手がなぜ必要かというと、利害関係を持たない第三者の立場から物を見て言うためだ(「書くこと」「発信すること」に関しては書き手は実務的な専門家と言える)

 政治は少し事情が異なる。政治は人間関係で出来上がる部分が大きく、その中に書き手が入り込んで力を持ったり、あるいは利用されたりする場合がある。しかし、選挙という洗礼を受けたかの明確な線引きがあり、首長や議員でない限り、裏で糸をひくフィクサーであっても政治家とは言えないが。

「新型コロナウイルスの専門家」は“まだ”“ほぼ”いない

 「わかりにくい世界」で、今一番注目されているのが、コロナだが、皆さんご承知のように「新型コロナウイルスの専門家」はまだいない(たぶん)。全容が「ほぼ」にしてもわかっていないのだから。ある程度終息し、対処法が定まらないと、その全容はわかったとは言えない。※ウイルスそのものの研究者などは専門家かもしれない(15時追記)
 そこにかなり近い世界の専門家が集まって、日々知恵を絞っている。
 また、新型コロナウイルス(の問題)に取り組む専門家はいる。現場の医療従事者が筆頭となる。

 じゃあ、どうすればいいかの答えはない、すみません、頭のぐるぐるを開示しただけです。以上が、本日の妄想ぐるぐるです。そうそう、ぐるぐるだけど、書くと次が生まれます。またぐるぐる。だから書きます。

 皆さまのご健康を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?