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327人/8072件、ポアロは幸せか、「青春」の“卒業”~310日目

 再宣言44日目。
 都内新規感染327人/8072件、65歳以上69人。14日連続500人を下回る。都基準重症者82人(前日比2人減)。27人死亡(累計1248人)。

 G7,東京五輪パラの開催目指す方針。
 バイデン米政権一か月。トランプ氏と違って静かなのですっかり忘れていた。それでいい。有事の時にきちんと行動できればよい(コロナ禍の今は有事と言えば有事だが)。
 テニスの大坂なおみ、全豪オープンで2年ぶり優勝。

某アーティストのチケット、秒殺で完売

 最近気になるアーティストのチケット購入に挑戦したが、秒殺で完売。ま、いいか。それもご縁。音問題に比べれば何ということはない。

 いや、行きたいけれど。。いや、大丈夫だ。

「話せばわかる人」だけでない、me too、憧了

 たいしたことのない人生だが、一応「話せばわかる」という性善説をメーンで生きてきたと思う。まあ、家庭や学校はそれほど悪い環境でなかったのだろう。真面目に「頑張れば」いいと思っていた。
 途中、いろんな人に会った。
 嫌みと皮肉とウィット・ユーモアの使い分けができない人に会ったり。
 ひたすらマウンティングしてくる人に会ったり。
 ひたすらにらみつけてくる人に会ったり。
 ……あれ?
 仕事で何を提案しても却下した上ににらみつけてくる人に会ったり。
 ……あれ?あれ?あれ?

 気が付くと、ものすごい頭痛と肩こりと首こりと動悸の日々。でも、頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃ。
 職場で、手にしたA4用紙に書かれた字を、目は見ているのに何も頭に入らない。メガネの下から(コンタクトは極度の疲労で外していた)涙が頬にどーどー流れてくる。そこで、ギブアップした。うつの初期症状だった。
 しばらく休んで家にいた。その時に自分を救ったのは、この家。だから、大切な家。

 「話してもわからない人」が世の中にいる、離れるしかない時があると、つくづく思った。傷ついて、やっとわかったのだ。と同時に、自分自身も「話しても分からない人」だったりするのだ、そう感じている他人も少なからずいるのだ、と理解した。
 「わかりました」の表現がいろいろある中国語(少しかじったことあり)で言うと、「憧了」かな(検索してみた、多分この意味)。

相手が「話せばわかる人」かどうかの不安

 で、今、自分の頭を占めている、音。せっかく、気の合わない人間との接触をできるだけ減らしても生きていける日にシフトし、心穏やかに過ごそうとしたら、入り込んできやがった。
 この発生源が果たして「話せばわかる人」かどうかの不安が非常に大きい。相談した人たちは、「世の中に、変な人はめったにいない、大丈夫だ」と言うけれど、わかったもんじゃない。「音を出していることに気づいていないかもしれない」というが、気づいているかもしれない。気づいても逆ギレするか、開き直るかもしれない、そっちがうるさいと言ってくるか。
 普通の顔の下に渦巻くどろどろを自分も持っているので、それは相手にもあるだろう。それを表に出すか、どうかだ。
 交通事故の過失割合に似ている。こちらも生きて、何らかの音は出している。ゼロはない。1:9か8:2か(もしかして、逆転していたりして)。そして、それを客観的に判定する人、できる人は、ほぼいない。交通事故より難しい。
 音は、今もしている。軽い頭痛が起きている。

 そして、今、相手が「話せばわかる人」だった場合と「話せばわかる人」でなかった場合、の両方に備え、淡々と記録し、専門家も含めた複数の人の意見を聞いている。
 なぜ、自分がそんなことをしなければいけないのか、変だと思うが。

謎は解くが、人を幸せにするとは限らない、ポアロ

 エルキュール・ポアロだから、な。謎はほぼ解いた。ただ、ポアロと異なるのは、自分が利害関係のある当事者になってしまっていることだ。そして、ポアロは謎は解くが、登場人物が幸せになるとは限らない。そして、ポアロ自体が幸せとも限らない。てか、幸せってなんだっけ。
 
そして、音問題の場合、最後に謎解きして「お前が犯人だ!」ではすまないのだった。。ああ、厄介。
 ポアロ中の注意。バリバリ「上から目線」で他人に話しかけること。僕ちゃん、灰色の脳細胞を動かしてるよ~ってポアロがよくやってるが、あれはフィクション、これはリアル。ああ、面倒。これが人生。

※ポアロ系は最近こちらで書いた
371人/2084件、灰色の脳細胞が覚醒・夜の空港譚~304日目(2021/02/14)

 そして、往々にしてこういう考えすぎる人間(自分のこと)は、いざという時に、突然ぶちキレるか、面倒になったり相手に忖度したりで遠慮して引いてしまうか(信じられないがそういうことはあり得る)、の行動に出がちだ。そうならないために、今、ここに書いている。どうどう。
 今のところ、相手がwin、こちらがlose(と自分は感じている)。これを、win-win(ほぼ不可能)かlose-lose(痛み分け)に変える際に、自分の取り分は最大限にとるのだ。

 さっさと怒鳴り込めばよかったのか? 正解はない。
 ただ、このままでは、うつになる。なので、このまま我慢はない。その時は壊れた時。
 
ここまで書いておけば、万が一壊れても、壊れる前の自分はいたと言える(たぶん)。

小さな「青春」の“卒業”を繰り返す人生

 と言いつつ、久々に某所に足を延ばす。
 人々が創作活動をしているのを見る。固まっていた心がまた揺れて、融ける。おいおい、融けるな、と言っても融ける。不器用で柔軟な人間なのだ。
 戦い、ではなく、話し合い、ができるなら、すべきか。見極めが。。

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 久々の光景を通り過ぎながら、そこで過ごした日々を思い、また自分の中で小さな「青春」が終わり、“卒業”と、胸が痛く苦しく寂しくなる。
 いや、だから前に進めるのだ。終わったから。全てを抱え込んでは前に進めない。いいのだ。
 青春は、大きな青春は、若い時しかないかもしれない。でも、小さな青春(なんてものがあれば)は生きてる限り、何度でも味わえる。色気関係に限らず。

 固まっては融け固まっては融け、まるで冷凍繰り返しの魚のような。
 さ、新しい青春を探しに行こうかな。もう春が目の前だ。

お願いだから、静かになってくれ

 音、今はあまりしない、多少はするが我慢できる範囲、というか、日常生活が普通にできる(これがどんなに幸せだったか、無くなって気づく)範囲だ。しかし、たまたまか? 期待して裏切られるのは辛い、心臓をぐぐぐとつかまれるように。お願いだから、このまま静かになってくれ。。

 皆様のご健康を。 

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