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日常に出遅れる焦り、日本人観(適当)~45日目

 まだ自分の“スランプ”から抜け出せないまま、東京でも宣言解除が週明け25日にもという雰囲気となり、「え」と焦ったりしている。もともと遅くとも月内には解除、とわかっていたのに、どこかで緊急事態に“甘え”て、ずるずるしていた自分がいる。不謹慎だが、自分の人生で絶対訪れないと思っていた、非日常として、心のどこかで楽しんでもいた部分がある、この緊急事態を(突然降ってわいた異世界、オズの魔法使い的に)。
 ここしばらく、生活リズムが崩れ、ラジオ体操や散歩も嫌になってさぼる日が増え、体重も増えている。少し自棄な日々。
 その一方で、着々と自分の世界で頑張ってきた人と自分を比較する焦り(自業自得)。

やはり政治は魔物

 こういう時は、“失敗した人”を見て、自分を“励ます”ことをしても、内心なら、こんな小さな人間のレベルなら許されるだろう、と勝手に考える。小心者のけちなマウンティング。
 賭け麻雀で辞表を出した人は、「三権分立」うんぬん論争を真面目にされていたっぽいのが馬鹿らしくなる流れだが、とにかく、彼が出世競争に敗れたのは事実、ばれたことも含めて負けだ(今後別の形でがんばるかもですが、それはそれ、今回は負け。退職金の問題はわからん)。
 そこから、コロナで雇用が大変な時に、国家公務員の定年延長案自体が廃案という流れも現実化してきているようで、最初からそれを頭に入れて主張していた人はともかく、とんだ藪蛇、と慌てている御仁もいるのかな。やはり政治は魔物、駆け引きの世界。

 そうそう、メディアの人間が賭け麻雀していたことから思ったのが、メディアもしょせん、仕事で論を張ってる。特にマスメディアで雇われ仕事でやってる人は。検察も雇われだし。
 雇われで論を仕事をしている人(簡単には解雇されない)、自営業だけど論を仕事にしている人(評論家やフリーライターや“専門家”)に混じって、雇われの形はあるけど実態は自営業に近く、論で仕事してない人(今回は芸能人)、が論に参加するにはリスクが高いので、覚悟が必要だな、と思ったのが今回。論を仕事にしていない一般人でも論争に慣れているだろう欧米の人と違い、日本人(の中でも年齢の高い層)は、論争に慣れていないしね。

“仕事”軸で成り立っている日本人

 で、雇われかどうかはさておき、“仕事”の話。
 今の自分は、自堕落……?、と言っても、何もせずにゴロゴロしていただけ? 我ながら可愛いレベルのものだが。そんな人も多いに違いない。生活や家事に追われている人には怒られるだろうけど。
 日本人は、怠惰を楽しむのが下手というよりも、もともと、大半の人の心身、そして人生が“仕事”を軸に成り立っている気がする(昔から言われてるけど、改めて自分的にまとめ)。どこかに通って仕事をしたり勉強したりするだけでなく、家族と共に過ごし、世話をしたりされたりすることも“仕事”と言ったら、薄っぺらい人生の人間に言われたくない、となりそうだが。

 以前(最近は知らない)アメリカの、いわゆるパニック映画系を見た時に、「カップル」「家族」の絆を強調するところ、に違和感を感じ。
 と言って、ヨーロッパ系の(そんなに観てない)、どっぷりとした重い、個人主義的なのも、やや苦手で。
 対し、自分の脳みそから比較で出てくる日本映画は小津安二郎、寅さん、黒澤明、最近で三谷幸喜くらい?(よく見てなくてすみません)、是枝さんとかね。
 「家族」観、「個人」観の違いをなんとなく感じてきた。そのもとに、人間と人間の関係について、「家族」軸より「仕事」軸を重視する日本人観があるかと。だから、働きバチと言われても働く。

 日本と海外を比較する時、よく「海外では」と言う人を、「出羽守(ではのかみ)」と呼んだりする(自分もだ)。それぞれのお国事情や歴史的経緯を無視した比較は強引で、主張のためにわざと無視していることも多々ある(それも、主張を通すための戦法のうちだし、その主張が通れば結果的に正義になったりするから、面白いのだが)。

 仕事に関して言えば、「安息日」のある国と違って、日本は「勤労は美徳」の意識があるかどうか、ニワトリが先か卵が先か知らないが、生活のリズムに“仕事”。
 ラテン系の国の街角で、日本だとまだ働き盛りの年代(40代くらい?)と思われる男性たちが、平日の昼間からテーブルを囲んで暇そうに飲んだりしている。中国だと、もう少し上の年齢だが、麻雀か何かしている。その時、女性は家事も含めてずっと働いてたりするのがどの国も共通みたいな。男性は、いわゆる「仕事」がないと、「ああなる」んだな。と思ったら、日本ではやはり「70歳まで働きたい」人も多いし、ああなりたくないんだな。激務は嫌だけど、ほどほどに仕事でバランスとりたい、くらい?

 仕事は、オンオフあるし、日本は狭い住居環境のせいもあるだろうし、家族と一緒にいる“仕事”が四六時中続いたら、疲れちゃう。ああ、全然まとまらん、が次に行く。

「治安」の行方

 で、日本でも、都会と地方で違うと思うが、都会の匿名性の世界、が担保されているのは、間違いなく「治安」がいいおかげだ(これは、珍しく断言)。
 マフィア映画や海外での暴動などを見ると、治安の悪い世界では、グループでまとまって守り合い、敵を排除しないと生きていけない、特に女子供と呼ばれる弱い人たちは、と思う。
 家族という最小単位絆に頼らずとも、ふらふらと生きていける都会。世界で珍しく、女性が夜、一人歩きできる国。

 何かで読んだが、日本が親近感を持つ台湾は、その昔、日本が統治していたのに、なぜ日本を嫌わないか。もちろん、嫌っている人もいるだろうが、一般的に、日台関係は相思相愛、ぽい。その理由が、日本統治時代の「警察」「教育」制度にあるといい、それが台湾に根付いたことを感謝、みたいな。間違っていたら誠にすみません。

 教育について言えば、国民の平均的「理解」力は、やはり世界の中では高いだろう。文盲率の低さ。「創造」「打開」という分野で不得意かもしれないけど。コロナの怖さを「理解」したから、大方の人は自粛できた。

 警察権力が強いことがいいかどうかは別として、それにより日本国内の治安がある程度保たれてきたのは、事実。警察は一般的に信用されている(悪いやつもいるけど、一応例外的)。そこに「他人の目」がプラスされて、治安がよかった。「他人の目を気にする社会」は治安維持でもあった。治安維持と書くと、治安維持法を思い出してしまうが、維持は維持。

 その、治安の良さで、家族や組織の力に頼らず、そこそこゆるい関係だけでも、なんとかふらふら生きていけた都会。
 その治安が、今回のコロナ問題で悪くなっていくのか、そこがずっと気になっていた。
 街中に他人の目が減った分、一部、悪くなっている。自粛警察は、治安維持なのか治安破壊なのかわからん、やってる人たちは何考えてるのか。
 どうなんだろ。どうなっていくんだろ。

 皆様のご健康を。
 

 

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