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「何事も経験」とは言うけれど(車椅子体験の否定的感想文に触れて)

「福祉教育の~」と謳いながら、全然福祉教育の話をしてなかったですね。。。。

これは大学生時代の話。

もともと教育関係に進みたかった私は教育学を学んで福祉をついでに学ぶくらいのスタンスでした。

高校「福祉」という教員免許が取りたかったので、ついでに社会福祉士も取っておくかというくらいのノリですね(意識は大変低い)。
 

当時の総合的な学習の時間で体験的な学びの一例で福祉が取り上げられることもありましたが、
「福祉で学力上がるんですか?」という感じで、総合のねらいでもある教科の横断性を無視して、ただ体験させることだけを重視するような風潮、創意工夫しようとしない教育者の怠慢ではないかとさえ思っていました。

福祉教育も幅広く、教科としての「福祉」の話、「総合的な学習の時間」に取り組む福祉教育、学校行事としての福祉教育、地域での福祉教育など、分野によって私の認識も変わりますので、全肯定しているわけではないことは、ちょくちょく言及していきます。

ある小学校で

さて、ある小学校で、総合的な学習の時間を使って、車椅子体験をするというものがあり、講師の社協さんのお手伝いで参加させてもらうことがありました。

対象は小学校4年生。

車椅子を触ったことがある生徒も少なかったようで、楽しそうに班ごとに押し合っていました。


一区切りしてから、先生から生徒へある指示が。

「よし、じゃあ階段を登ってみよう」

うん?


生徒1人を乗せた車椅子を4人くらいで1階から2階まで持ち上げるんですね。

小学校4年生ってそんなに体格も大きいわけではありません。見てても怖ったです。
これ、怪我するかも。


本当に慣れていないと車椅子を持ち上げて階段を上がるのは大人でも怖いものです。私が社会福祉士の実習に行った時は、道歩く人に声をかけて階段上げるのを協力してもらうみたいなコミュニケーションを目的としたものはありました。

小学校4年生の段階では、エレベーターの大切さ、バリア(障壁)の問題について考えることができれば、十分ではないかと感じたので、私から先生に
「これ危ないので、段差を安全に越えるための方法とか考えて演習しませんか?」と提案しましたが、

「いや、何事も経験ですから」と終わりました。


何事も経験かもしれないが、「これで経験して本当に社会でやったら、下手すりゃ事故になるで」と内心思いながらも生徒たちの近くにいることしかできません。
 
「大丈夫か?」と声をかけると、
「先生が言ってるから、しゃーない(仕方がない)」
先生の言動に付き合わないといけないことを口にする生徒もいました。

悩ましい感想文の内容

1コマだけの単なる体験で、社協職員も操作方法くらいしか説明できず、車椅子をどんな時に使うのか、車椅子使っている方の生活について考える時間もありませんでした。

あとで、感想文のコピーを読む機会がありましたが、案の定
「車椅子って大変だと思いました。歳を取りたくないと感じました」
「車椅子に乗ってる人がいたら、優しくしてあげたいと思います」

みたいなものが多い(データで示せないので、あくまでも私の主観です)。

老化や障害を完全にネガティブなものとして植え付ける、車椅子に乗っている人は
「支援をしてあげる存在」という認識になり、その方の生活を想像するとか、双方向の関係を想像するような時間にはならなかった印象です。
 

これが福祉教育が問題提起してきた「貧困な福祉観の再生産か」と実感したものの、当時の自分では何もできず、ただただ福祉教育への苦手意識を持ってしまいました。


長くなったので、ここまでとします。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。






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