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被信頼感を持てない中での議論

おはようございます。
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さて、タイトルの話です。



だいぶ前に「私がSNSで議論しない理由」を書いたと思いますが、今日はその関連です。
 

相互信頼というと、
「お互いが相手を信頼している」ことを指します。
それに加えて、
「自分が信頼されていると感じる(被信頼感)」ことも大事ですね。
 
 
「お互いに信頼する」と「お互いが信頼されていると感じている」は異なることもあると思います。
信頼しているけど、信頼されていないと感じることはあるし、
人の頭の中だけの話なのか、言動として相手に伝えているのか、それによっても温度差はありそうです。
 
 
今日、行政の調査報告書の途中経過を確認する打ち合わせがあるのですが、
「テリーさんはどうせやってないだろうなと思われている」のであれば、
多少手抜きでも良いかなと思っちゃいます(笑)。
「彼はやってそう」と信頼されてると感じるので、ギリギリまで頑張りますけど…。
 

お互いに信頼や信頼関係があると感じられるから、話し合える。
例えば、ある親子が子どもの進路を巡って対立しても、「子どもの将来を思ってくれている」という信頼は感じられるので、違う意見であっても話し合いは続けられます。
 
 
SNSはどうかというと、相手を十分に理解する機会もなければ、どの目的や意図でコメントするかも捉えにくい。

 
まずは、信頼を得るためのコミュニケーションに時間をかけたいが、文字情報だけだと難易度高め。
 
そんな中で議論してもなぁというか、コミュニケーションにかける時間がもったいない(割に合わない)。

基本、お金にならないですしね。
 


 
「信頼されている」と感じられることは対人援助職でも重要だと思います。
 
本日は以上です。
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