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「相談する力を高めよう」への自己批判というかバランス


去年書いた内容についてです。

私は大学で相談援助技術(相談受ける力)も教えていますが、現場に出ると他機関(場合によってクライエントにも)へ「相談する力」を高めることを大事にしています。


先日本を読んでいたら、素敵な視点に出会いました。
「『助けて』が言えない- SOSを出さない人に支援者は何ができるか-」(日本評論社,2019)という書籍の中で、勝又先生が

「SOSの出し方や援助希求を教育することは『あなたが助けを求められるようになりなさい』と子どもたちの側にばかり変化を要求することにならないか」
という旨の内容を書かれています。

私の言葉に引き付けて考えると、「相談する力」を強調することは、「あなたから相談しなさいよ」という自己責任を背負わせることにもなりかねないということですね。

こういう副作用的な部分は自覚しないといけないし、言葉を使う時にも注意しないといけないなと思いました。

「何かあれば相談して」と言われて、社交辞令的に「はい」とはいうものの、相談しやすいかというとそうでもない。
あくまでも相談しやすくする環境を作る努力は大事ですね。


頭の中では当然そうだと思っていても、言葉にするということは
「何かを言うことで、何かを言わないことになる」
という意識を持っておかないといけません。


本日は以上です。

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