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3.11。あの日から9年。今日この日に思うこと。

さて、本日は3月11日。あの日から9年経ちました。やはり、今日という今日はあの日を思い出さずにはいられません。

毎年この日は、今日というこの日を振り返るようにしています。あの時、感じたことを忘れてはいけないと思うから。

そんなわけで、2020年3月11日という今日に、思うことを書き綴っておきます。


↑写真は、2013年に宮城県女川町の山の上から、津波が襲った港を見下ろした時のものです。とても優しい夕陽でした。

当時の状況。

私自身のことで言えば、パーソナルトレーナーとして独立1年目を終えようとしている時でした。当時は、パーソナルのセッション数が右肩上がりで増えていて、勢いに乗り始めていた時でした。

そのタイミングで、活動施設の1つの建物が半壊し、仕事が激減。収入は3分の1程度になってしまいました。

「これはまずい」

フリーランス、個人事業主として働く怖さをこれでもかと体感しました。

当時のパーソナルトレーナーとしての成功モデルは自分のジムを構えることであり、私もその1人でした。トレーナー界で活躍されている先輩方に追いつき追い越せと、同じようにビジネスモデルを考えていました。いや、それしか知らなかったというべきかもしれません。

生き方、働き方を考え直した。

当時の収入源は、パーソナルのセッション売り上げが8割、グループレッスンが1割、物販が1割程度でした。

今後いつまた震災が起こるかもわからない状況、原発事故の影響がどうなるかもわからない段階で、箱を構えるリスクを痛感し、いつ何があっても身一つで生きていけること、リスク分散し、収入の柱を増やしていくことを考えました。あの時、根本からビジネスモデルを考え直しました。

そこから専門書以外の勉強にも本気で取り組み始めました。今では、セッションとしての収入源は逆に1割程度となり、今回の新型コロナの影響も今現在は受けておりません。先週末は、三重県で勉強会の予定でしたが、ZOOMでのオンラインセミナーに変更し、対応しました。

60〜70年周期で、時代は変わる。

細かいことは長くなるので省きますが、大体60〜70年周期で、大きなパラダイムシフトを迎えており、2015〜2022年くらいはその転換点が来ていると考えられます。

一番近いパラダイムシフトは、75年前の敗戦です。あの時、日本は全てを失い、現人神とされていた天皇は人間となり(人間宣言)、当時の大日本帝国のリーダーたちは、A級戦犯として扱われました。昨日まで正しかったことが、真逆に価値観が転じたのです。

1945年の77年前の1868年には、明治維新が起こりました。徳川幕府260年が終わり、それを起こしたのは薩長の下級武士たちであり、その後の日本のリーダーとなっていきました。また、神仏分離が行われ、国家神道となり、仏教の立場がかなり厳しくなっていきました。昨日までの価値観と今日の価値観が大きく転じたわけです。どうやらそうやって、時代は繰り返しているようなんです。

今がまさにパラダイムシフトの移行期。

おそらく、2011年の東日本大震災をきっかけに、2022年に向かってパラダイムシフトの最終局面を迎えているように思います。2011年以降、自然災害が圧倒的に増えており、戦後日本が目指してきた物質的な豊かさから、精神的な豊かさに価値観がシフトしているように感じています。

また、命の尊さ、人間とは何か、そこに向き合うきっかけになっているようにも思います。AI、AIと騒がれ始めたのは、2015年くらいからです。2022年の70年前の1952年に、日本は主権を回復しました。

また、70年周期とは別に、東洋的な易学では60年周期の時代の転換が考えられておりますが、2020年の60年前の1960年は、高度経済成長期の真っ只中です。1964年の東京五輪に向かって、さらに発展している時でした。その60年後、同じく東京五輪の直前です。何かが起こってもおかしくない。そこで新型コロナの登場です。

これは、大きなパラダイムシフトのきっかけになるのだろうと思います。逆にいうと、この大きな時代の転換点で、ここで変われないような人は、かなり厳しくなるのではないかと。時代は変わる。新しい時代にパラダイムシフトする。そのきっかけなのは、間違いないと思っています。

おそらく、リモートワークのきっかけになるでしょうし、働き方改革の最終局面でしょう。それぞれ色んな状況でしょうが、徹底的に内省して、今後の生き方、働き方を考えるといいと思います。

人生観、死生観が変わった日。

東日本大震災をきっかけに、人生観、死生観が大きく変わりました。いつ死んでもいいように、後悔はしないように、やりたいことをやり切って生きてやろうと。この命、与えられた命、生かされた命、使い切ってやろうと。活かし切ってやろうと。自分の使命を全うする。そう決意しました。

あの日犠牲になった人たちがいて、今の私たちがいます。生きたくても生きれなかった人たちがいます。私たちは生きている。いや、生かされている。この命の火を、命の灯を無駄遣いしてはならないと私は思います。

自分の使命を全うする。

自分の使命を全うする。誰かのためになること、世の中のためになることを必死でやる。自分にできることなんて大したことはないかもしれない。でも、自分にしかできないことがあるはず。

一燈照隅。万燈照国。
一つの灯火を掲げて一隅を照らす。
そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。
一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって国をほのかに照らすようになる。
だからまず自分から始めなければいけない。
そのためには自分自身が明りにならなければいけない。
それは手燭を持つことではない。
そんなものは吹き消されたらそれっきり真っ暗になってしまう。
そうではなく、自分自身が発光体になるのだ。
(安岡正篤)

私という存在が、私の火が、誰か1人でも明るく照らすことができるのならば、もし、誰かの何かのきっかけに少しでもなるのならば、これに勝る喜びはありません。

一隅を照らす人が増えれば、いつか全体が照らされて明るくなっていく。日本は良くなっていく。そう信じて。

今も昔も、世の中色々問題だらけです。でも、今この瞬間を生きている我々は、未来を見据えて、あの日に起きた事、感じたことを忘れずに、命ある限り自分のやれることを、やるべきことを一生懸命生きていくべきではないかと。少なくとも、それが残された我々の使命とも言えるのではないかと。そう思います。

今日というこの日に。

生きよう。

震災で亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。

↓2013年に宮城県石巻市に訪れて感じたこと。

昨年5月にも、再び石巻市、女川町を訪れました。

町の人から当時の話などもお聴かせいただき、改めて自分が思ったこと、感じたことは伝えて行かなければならないと思いました。

原発問題も何も解決していないし、これからも解決する見立ては立っていません。




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