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欲求を素直に受け止めよう

赤ちゃんがその場にいると純粋に可愛い。先日、FBに掲載された友人の親子の写真を見た。彼はもう赤ちゃんではなく立派に4歳の子供だが、その二人の表情を見た瞬間、なんというのか、いわゆる幸せな気分をいただいた。そこに言葉がなくても幸福感が伝わってくるといったらいいのか。

ここ数日、思考について考えていた。いつからか、こんなに知識を集めまくり、自分がかき集めた情報に基づいて行動し・・・全て頭では”理解できている気”(=理解しているつもり)になっていたんだろう・・・。人生よきに変わった部分もあるけど、一方、ある部分は変わらぬ現実を見てふと思った。現実の人生では、むしろ何も考えずに、感覚で動いていた時の方が物事スムーズでごきげんであったのではないか?と。

理想のライフスタイルにより近づく思考はオッケーだけども、感覚的に「これいいな!」とか思う時に「いやいや、私にはちょっと豪華すぎる・・・」とか「いやいや、今ではないな」とか無意識に自分で自分にストップをかけてしまう思考はどうだろうか。はっきりいって要らないのではない?!

考えてみれば、赤ちゃんや幼児で好き放題やっていても、その場にいるだけでいいエネルギー発しているし、思ったままを素直ーーーーに表現してきて、大人はそれに対応する。もちろん、面倒をみないと彼らは一人では生きていけないということもあるけど、とにかくある意味自分の欲求に対して、とても純粋なのだ。年齢的に(なにせ、赤ちゃんや幼児だったらね。)それを自分で叶えてあげることができないので、大人を通して欲求を満たしている。

はて。大人はどうだろか?「〇〇したい!」と思った時に、誰かに頼まなくてもできることはいっぱいある。その叶えたい程度によっても人との関わりが必要となってくることもあるだろうけど、小さな望みから、大きな望みまで本来、「あ!これしたいな!」と思ったら一人でもできることはいっぱいある。なので、遠慮せずにやったらいいのだ。

ところが、思考の囁きが邪魔して、「そんなこと言ってもできないよー」ということが多々ある。過去の私はそれがなかなかできなかった。何年か前に、中華系のスーパーマーケットにタピオカドリンクが売っており、それを本来は飲みたかったのに、「高いから」(実は大した金額でない!!)とか「外で飲むのはお行儀悪い?!」(海外だから全く違和感ないんだけど・・・)とか自分で自分に制限をかけて、「タピオカドリンク飲みたい」と本来あったちいちゃなちいちゃな欲求ですら殺してしまったのだ。まぁ、些細なことなのですが・・・ですが!!この些細な欲求くらい満たしてあげればいいのです。小さなことから自分にそれを許す。そうでなければ大きな欲求に気づいた時に、ますます許可が難しくなります。

実は、周りで見ていてものごとうまくいっている人というのは、自分の欲求に忠実であり、その人自身が満たされているので、周りに対しても優しくできる。自分を満たしている人は、そこで余裕が生まれ、自然と周りを満足するお手伝いもしていたりする(相手からの欲求に応えるとか)この好循環がお互いのごきげん度をアップに繋がるんだろうなぁと。

頭で考えるのを一旦ストップし、純粋に感じる。今何欲しい?今何したい?

そして素直に自分の欲求に従う。

すぐに叶うものもあるだろし、時間のかかるものをあるかもしれない。が、それを自分で打ち消すのは勿体無い。

さて、今日も自分で自分のごきげんをとりますかな♪





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