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【みじかい小説No.9】女の手

今夜もまた、あの手が現れる――。
俺の体をなでさする、みだらな手――。
俺は今日も、その手を待ちわびている――。

その手が現れたのは、ちょうど一ヶ月ほど前の、まだ蒸し暑さの残る夏日のことであった。
俺は仕事を終え自宅に戻り、いつものように晩酌と洒落込んだ。
一杯、二杯と盃をあけてゆく。
五杯目まできたところで気持ちよく酔いが回り、それを確認してから布団に入った。
俺はこんこんと眠った。
こんこんと眠る俺のつま先に、何かが触れた気がしたのは深夜もせまった頃だったように思う。
何せ酔いつぶれているのだから時間など分かろうはずもない。
俺は寝ぼけまなこで自分の足をさすった。
すると、ふと、また何かがつま先に触れる。
大方虫か何かだろうと思った俺は、さして気にも止めなかった。
しかしそれがよくなかったのか、それはつま先から足首、ふくらはぎへと登ってくるではないか。
俺は感触を記憶の中から探った。
すると、ぽんと思い当たるものがあった。
女の手、女の手なのである。
細やかな肌の質と絡められる指、足全体を包むようにまさぐる手は、まさに女の手そのものであった。
そう思ってしまえばもうそうとしか思えず、俺は自分の身に起こっていることが急に空恐ろしくなってきた。
そうこうしている間にも、その手は、俺の太ももへと這い上がってくる。
こりゃあ、いかん!
このままいくと何か下手なことをされるのではないかと思った俺は、がばと布団をめくり状態を起こした。
先程までの感覚は、ついぞ消えていた。

そのようなことに毎夜見舞われるようになり一ヶ月、おれとその手の間にはひとつの約束のようなものができていた。
あれから連日連夜、俺の下半身を這ってのぼってくる女の手ではあったが、肝心の部分へは一度も到達しないのであった。
今夜こそは、と覚悟を決めて眠ってみた夜も、その次の夜も、そのようなことは起こらなかった。
俺ははて、と思い出した。
この女、男を知らぬのではないか――。
そんな思いが俺の頭に浮かんできた。
以来、女の手には好きなようにさせているが、別段、困ったことにはなっていない。

しかし年が改まった頃、俺はなんの気なしに、昔ここいらの下宿を管理していたという寺に入ってみることにしたのだった。
俺は恥ずかしげもなく、笑いを交えて毎夜の不思議を語った。
すると住職は、俺が住んでいた場所は昔、女郎屋があってねと語ってくれた。
男に春をひさぐ女の霊が、毎夜現れているのだろうか――?
何のために――?
俺はいよいよ怖くなった。

その夜、果たして女の手がやってきた。
「もう、来ないで欲しい」
俺はぽつりとそう言ってみた。
すると手は、明らかに狼狽した仕草をした。
こちらの言っていることが分かるのか――。
遅い気付きであったが、俺はこの夜一晩、女の手を相手に晩酌をした。
女の手は相変わらずの俺の足に絡みついて離れなかったが、明け方、これを最後とばかりに太ももの毛を二、三本むしられた。
ははは、と、俺は笑って別れを告げた。

あれが夢であったのかは定かではないが、たまに起きると太ももの毛が抜けている、そんなこともあるのであった。

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