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【みじかい小説No.14】セイタカアワダチソウの思い出

「セイタカアワダチソウって、知ってる?
土手とかに生えててね、背が高くてね、てっぺんに黄色い花をたくさんつけるんだよ」
僕が皿を洗っていると、キッカがそんなことを言い出した。
「へぇ、知らなかった」
本当に知らなかったので、僕はその通りに答える。
会話はそこで終了、僕は引き続き無言で皿を洗い始める。
僕らの間にそれ以上の会話は生まれない。
それは僕らがこれ以上の関係を望んでいないから、なのだろうか。

僕とキッカは、二人とも同じ雑貨屋でアルバイトをしている。
半年前にどちらからともなく接近し、当然のようにキスをし、セックスをした。
以来、なし崩し的につきあっているが、別れる理由もないので、いまだに別れないでいたりする。

僕とキッカは、毎週の土曜日に、どちらかの家に泊まりに行く。
今週はキッカが僕の家に泊まりに来た。
夕飯は二人で鍋をつついた。
準備はキッカが主にしたので、後片付けを僕がしているというわけだ。
会話について言えば、つきあいはじめて半年の間に、僕らの間に存在する話題らしい話題は、あらかた尽きてしまった。
お互いが、おもに会話の聞き役ということもあり、自分から何かを積極的にしゃべるということが、僕にもキッカにもあまりない。
食事をしている時も、テレビを見ている時も、夜の営みを終えた時も、僕らはだいたい無言である。
だからせめて、さっきのセイタカアワダチソウのように、どこかで仕入れた知識を、思い出したように互いに披露する、ということがお決まりになっているのだった。

キッカの様子がおかしいことに気づいたのは、月曜のバイトの時だった。
いつもより、化粧が濃かったのだ。
そして、この日、いつもは一緒にあがるバイトでキッカだけが残業を命じられたのだった。
四十そこそこの雑貨屋のオーナーは手が早い、と他のバイトのメンバーに言われていたっけ。
僕はぼんやりとそんなことを思い出していた。

その日を境に、キッカの態度は目に見えてよそよそしくなった。
「今週は、どっちの家にする?」
そう僕が尋ねたときも、「私の家でいいよ」と答えたきりだった。
「でいい」ってなんだ、「でいい」って。
僕はこの頃から、キッカのささいな言動にいらいらし始めた。
この週の土曜の夜、つきあいはじめて僕らははじめて週末のセックスをしなかった。
思い返せばそれが決定打だったように思う。

「別れよう」
キッカの決断は、早かった。
「分かった」
僕の返事も、早かった。

あれから十年が過ぎた。
僕は結婚し、二児の父親になった。
キッカとは連絡はとっていない。
携帯電話の番号を変えた時に、もういいだろうと、あえて知らせなかったのだ。
「あなた、今日は土手に散歩にいきましょうよ」
妻の誘いで僕らは近所の土手を散歩する。
「あっ、セイタカアワダチソウ!」
妻が指差す。
「違うよ、あれはブタクサ。ほら、葉っぱの形が違う。
ブタクサはアレルギーを持ってる人も多いからね、気をつけてね」
僕は、キッカと分かれてから仕入れた知識を披露する。
結局、キッカに披露する機会のなかった知識だ。
キッカは今頃何をしているんだろうか。
まだオーナーとつきあっているということはないだろうな、さすがに。
今度、あの雑貨屋に顔を出してみようかな。

もう二度と会うことのないキッカ。
彼女とのつきあいで、会話の大切さを知った。
会話は、互いの努力の上に成り立っているということ。
その学びは妻との関係に生かされている。

僕は死ぬまでにどれだけの人と会話をするのだろう。
死ぬまでにどれだけの言葉を紡いでいくのだろう。
キッカと分かれてから長かったひとりの時間の中で、僕はよくそんなことを考えるようになっていた。
そのせいもあって、僕はキッカとつきあっていた頃と比べて少しおしゃべりになった。
キッカ、君はどうだろうか。
僕たち、もっとお互いに言葉を尽くしていたら、未来は変わっていたろうか――。
「あなた?」
「ああ、ごめん、ぼーっとしてた」
キッカ、君の未来にエールを送るよ。
ねがはくは、君の口からこぼれ出る言葉たちが、感謝やよろこびにあふれていますように――。
青空の下、土手には一面、セイタカアワダチソウが気持ちよさそうに揺れている。

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