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【みじかい小説No.12】無限の雨だれ

今日は朝から雨がしとしと降っている。
屋根から落ちてくる雨だれを数えることができたなら、今朝の最初の一滴から数えて、いったい現在その数はいくつになるんだろうなんて、どうでもいいことを考えたりする。

生暖かい喫茶店の店内から、急に肌寒い屋外へと出て、ミキは一度鼻をすする。
季節は11月、街は既にクリスマス一色となっており、喫茶店の入口にも腰の高さを越えるツリーが飾られている。
ツリーに飾られているボール状の飾りの数はいくつかしら?
ミキは思う。
けれど思うだけで、もちろん数えたりはしない。

いつ頃からだろうか、ミキが数に興味を抱き始めたのは。
あれは確か小学校の頃のこと、父が算数のドリルを買ってくれた時のことだ。
ミキは父が喜ぶ顔が見たくて、そのドリルを一生懸命に解いたのだった。
国語や理科のドリルもあったのに、ミキはなぜだか算数のドリルばかりをやっていて、その熱中ぶりに父は「将来は数学者かな。」なんて言っていたものだった。
母も一緒になって笑っていて。
あの頃は楽しかった。
何もかもがきらめいていて、すべてが輝いていて。
けれど、その父も亡くなってもう1年になる。
母は同居しているが、最近では体のあちこちが痛いと訴えるようになってきている。
私は夫と結婚して十年になるし、二人の子供は5歳と3歳になる。
このあいだまで学生で、数学者の夢を持って毎週の講義に必死になってついていっていたと思ったのに。
何もかもが変わってしまった。
数学者になる夢は高い競争率の前に断たれ、私は普通に働きだし、結婚をして、二人の子供をもうけ、今ではこうして子どもたちが幼稚園に行っている間に喫茶店に入って息抜きをする日々を送っている。
何もかもが、変わらずにはいられないのだ。
分かっている。
分かってはいるが、情け容赦のない時の流れの速さに、時々「ちょっと待ってよ!」と叫びだしたくなる。
一方で、昨年の父の死の悲しみから立ち直らせてくれているのも時間のおかげだったりする。
分かってはいるけれど、どうにも抗うことのできないこの時の流れというものそのものの存在に、ミキはやはり、大声で叫びだしたくなることが、ここ最近増えていた。

「最近、夫とレスなんだよね。」
いきなり夜の夫婦の営みに関する告白を友人のアキコから切り出されたのは、先週の金曜日のことだった。
「ねぇねぇ、ミキんとこはどうなの?」
「どうって…。」
その時は言葉をにごしてしまったが、正直なところ、夫とはもう五年はしていない、などとは口が裂けても言えなかった。
5……ご……ファイブ……いつつ……片手の指の数。
夫とは、体だけでなく、ここ数年で急速に距離ができてきている。
どうしてこんなってしまったのか、何が原因なのかは分からない。
ただ、子供が成人した後は、もしかしたら離婚するかもしれない、と考えている自分がいる。
離婚をしてどうするの?
自分に問うてみる。
働く。
働いて、食べていけるの?
一生?
一生――。
私の寿命って、いくつなんだろう。
数えることができればいいのに。
寿命さえ分かれば、そこから逆算して人生をもっと有意義に設計することができるのに。
本当に?
内なる声はやまない。
本当に、寿命が分かれば思い通りの人生を歩めると思っているの?
――いや。
何が起こるか分からないのが人生だ、とはよく言われていることだ。
ミキのこれまでの人生も、思い描いた通りにはならなかった。
ではこれからも?
この先、夫との関係はどうなるんだろう。
子どもたちはどんなふうに大きくなってゆくんだろう。
母はどうなってゆくんだろう。
「待って!」とミキは叫びだしたくなる。
もっと考える時間をちょうだい、と。
しかし無情にも時間は流れてゆく。
誰の上にも平等に。
「相対性理論」なんて言葉が、ミキの脳裏に去来する。
「待ってよ!」
ついにミキはそんな自分の寝言で目が覚めた。
「どうしたの」
夫が気づかいの言葉をかけてくれる。
ミキは思う。
ああ、今はこれで十分だ、と。
決して贅沢はできないがそれでも二人の子供を育てるのには十分な稼ぎのある夫に、元気な二人の子供、それに弱ってはいるものの同居中の母親。
これ以上何を求めると言うのだろう。
確かに、今後、夫との関係は冷えてゆく一方かもしれない。
母は確実に亡くなる。
子どもたちは大きくなって家を出てゆくだろう。
けれど、それがどうしたというのだ。
私は今生きてる。
そしてこれからも死ぬまで生きてゆく。
この体で。
この頭で。
であるなら、せめて楽しく、有意義な時間の使い方をしたいじゃないか。
そう思わずにはいられない。
いいや、「せめて」なんていう枕詞も消極的でおかしい気がする。
「絶対に楽しくて有意義な人生にするんだ!」これくらいの勢いでいいのかもしれない。
なあんだ、簡単なことじゃない。
ミキは大きく息を吸った。
夫は隣で寝息をたてている。
それからミキは、大きく息を吐いた。
可能性は無限大!
死ぬまで楽しみ尽くしてやる!!
外は雨。
ミキの眠る部屋の外では、無数の雨だれが降り注いでいた。

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