許可をとる癖は将来の足枷になりうる
私たちは生きていく中で、様々なことを選択しながら生活している
その選択には、お昼ご飯などの気軽な選択から大型プロジェクトの方針決定など責任の重いものもあるだろう
では毎日の小さな選択をこなす中で、私たちはなにを基準に周りに相談したり、許可を得ているだろうか
思い返してみるとどうでもいいことや、自分で決めても問題ないことでもついつい家族や上司に許可を得る癖はないだろうか
いつのまにか責任から逃れるために許可をとり、ものごとの選択から逃げる癖が自然と行い、むしろそれを正当化する考え方にすら変換しているのである
これは私たちが小さな頃から刷り込まれた教育の一つで
集団行動を重んじるあまりに自分勝手な行動を制限し続けた結果だとも言えるのである
今の日本でもこの感覚は続いており、子どもたちは親に許可を取らなければ叱られる場面が複数存在する
では自己判断の基準をどのあたりにするのがよいのか
それはズバリ家族によるとしかいいようがない
なぜなら家族ごとにコミュニティは分かれており、小さなルールはそれぞれで形成されるからである
要は自己判断する基準をもう少し上げても良いのではないか
これが今回伝えたいことである
今、育児に携わっている方々は子どもの行動をどこまで制限しているだろうか
その制限は子どもを守るために設定したものだとは思うが、その基準は適切だろうか
子どもには子供の人生がある
自分で選択し、自分で決めた道に進むためには自己判断する力が必ず必要となる
あの人はいつも人に聞いてばかりで自分で考えない人だ
そんな大人になる可能性は子どもへの信頼によるのである
私たちは子どもを信頼して任せる
やはりここでも対等に扱うことと繋がってくるのである
まずは小さなことから任せ、子どものことは子どもに任せられる教育にシフトしていこう
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