第十回ゴイサギ読書会『meal』山下 翔 

<進行>
①レポータのtoron*さんよりレポート発表(添付資料参照)
②参加者からの歌集の感想と気づいたことを発言
③自由発言および歌集に関する討議

<読書会内容>
開催日時:2022年8月11日 15:00~17:00
参加者:魚村晋太郎、榎本ユミ、川本千栄、近藤かすみ、toron*、
藤田千鶴、沼尻つた子、いわこし
レポーター:toron*

参加者の感想)
・連作という作り方について
 最近は一首で独立する歌が多いが、山下さんの歌は1首ではわかりづらい   うたもあり、連作を前提としてつくられているように思う。

・食べ物のうたについて
 歌集の中でト書きや背景として歌われているように思う。
 その中の主題として家族、母のうたがある

・きみについて
 「きみ」と呼ぶ相手は場に応じて変わっている。
 →議論の中では年下が多いという指摘の声があった。

・作中主体は兄として家族を見ている

・食べ物のうたはいわゆるインスタ映えするようなものではない
 おいしそう、楽しそうに食べる歌をうたいながらもその向こう側に思い出
 がある。さみしいイメージがある

・放浪の人というイメージ

・全体的にさびしい、せつないというイメージ
 食べるところだけがいきいきとして救われている感がある

 はじめはみんなおもしろが付き合ふものをだんだんとはなれ母のゐません p45

・食べ物のうたは多いがさびしい。歌集ぜんたいがさびしい感じがする

 塩辛い汁を交互に飲みながらくいふ夜が欲しかつたんだ  p178
 正月にもどる家なきいくたりと興奮をしてすき焼き食べつ p224

・おばさんのうたが印象にのこった
 以下引用の歌について
 →大切に〜をわざわざ入れている。
 →相手との時間が短い

 きみがなんでもわかつてくれてゐることを大切に秋の川辺を歩く p150

・うたが二行分けしていることについて
 いわゆる歌の滞空時間を考えたときに2行にすることもある。
 山下さんの歌集は2行分けにしたことがよかった

・食べ物と人の関係
 自分の中にある空洞を埋めるようにどうしようもなく食べている。
 うどんがよく出てくる
 →せつない、さびしい感じ

 もう何も言へなくなつてひたすらご飯を詰める胸の奥から p160
 食べたもの食べた夜そのきらめきが冬の真闇にともしびのごと p161

・どこに行っても浮いている
 なじみきれない。食べることが好きだから、いっぱい食べていっぱいうた
 にしている食べていないと生きていけない。食べることは共通。
  
・きみについて
 いろいろな「きみ」が出てくる
 「長友」だけが名前が出てきている。実在性の強さ
 
・冒頭の連作の「つま」の連作は読者に対する挑戦のように思う

・セクシャリティを想起させるうた
 以下のロフトのうたは、ロフトという場所、経過した時間をカットする
 ことでの処理をおこなっている

 捩子といふにも雄、雌の別あることのその比喩のことにがく思ふも p14
 起こさないやうにロフトをくだるときたちまち起きてきみが振り向く  
 p191

・食べ物の歌については文体が味わいぶかい
 →以下のうたの"ぞ"の使い方

 とろとろのたこ焼きはあまき食べ物ぞ口の中にも息吹きかけて p28

→以下のうたの"は"の部分

 紅しやうが溜まるそこひをかきまぜてラーメンは汁飲み干さむとす p59

・家族について
 歌集の構成として配置されている

 しかしでも孤児とはなにか湿りある布団に顔を伏せて息する p297
 十一年暮らしし寮もあをくさの畳なりにき入ればにほふ p300

<文語/文体について>

・文体が相当に考えられて練られている
 うたの「や」など、口語で歌うと身も蓋もないことを文語でくるむことで
 歌として成立させている。文語だと、現実の自分との間にガードが入る。 
 そういう意味では、文語で書かれているがすべて口語で考えたことを文語
 で歌っている。小池光を思う

 足の爪剥がしてあてたるよろこびや爪の付け根に血は滲み出づ p245

・小池光的ユーモアとさみしさ。共通点がある。

 シャリの上に秋刀魚冷たしきみが手を握りたること一度もあらず p65

<比喩の巧みさについて>

 うしろから来てわれを抜く一片の黄揚羽かかる逢ひ一つあり p76

以下のうたのあじさいと人の集合の相似性

いつの日の集合写真あぢさゐの球が濃闇に浮かびてゐたり p253

<連作について>

・一首ずつではなく読者を信用しているつくりがすごい
・まとまって読まれることを前提としている。
・大きなものがあるから一首ごとにしていない。読者を信用しているのでは
 なく短歌という詩形を信頼しているのではないか
・題詠でうたうと一首単位になるため地のうたのようなものがなくなる

<食べるうたについて>
・食べ物を味わいつくす。この世の終わりのように食べるという幸福缶を味
 わうように、食べものがこの作者にとっての希望に見える。そのことがこ
 の歌集の中心にあるように読んだ

→以下のうたのある章の題は「究極のかにかま」

きみと過ごしし時間一斉に咲くごとく桜はしろき弾力を咲く p69

「究極のかにかま」なれど蟹にあらずかかる接近にきみと過ごしつ p66

<その他>
・その他、うたにうたわれる暴力性について、メッセージ性についての言及
 があった

ウシジマくんの映画4本見終はりてなにかはじまるごときすがしさ p40
殴らなくなつたなあ人を恋ひながら結ぶ拳がなにもつかまず p236
かたくなってしまひし人は開かない、苔じゃない、もうわたしの前に p239

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