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【aftersun】〜抱えるもののサイン〜

はじめに


知っていた前情報は
「離れて暮らす父親と過ごす11歳の夏休み。miniDVテープが映し出す思い出の過去を20年後に娘が見返している構図の映画。しかし実は父親にはある事情が…?」というもの。
サブスク見放題落ちを待っていましたが、耐えきれなくなりアマプラに¥2,500払っちゃいました。見終わった後の感情はぐしゃぐしゃで、大分余韻で虚無ってましたが、これは見てよかったと思ったし、探していたのはこんな映画だったんじゃないか、とさえ思えるものでした。

aftersun”をおすすめできる人
・最近ホームビデオを見た人
・全人類

※以下はネタバレを含みますので、ぜひ鑑賞後にお読みください※

aftersun - Amazon PrimeVideo
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CNQJJD6S/ref=atv_dp_share_cu_r



父の裏の顔

まずこの映画は無駄な表現が一切ないです。導入も説明も答え合わせもありません。一見するとビデオテープが映し出すのは仲睦まじい親子のただのバケーションです。前半は退屈に思う人もいるかも。
しかし水面下で確実に蠢いている何か。はっきり言うと、父親がもつ “ 生き苦しさ ”です。俗っぽい言葉をあてがえば ”鬱 ”です。
この父親(以下カラム)は死んでしまいたいのだろうな、というのが要所要所のシーンで感じられます。

①「40歳なんて想像がつかない」と言う
②ベランダの柵に立つ
③ダイビングライセンスがあると嘘をつき深海へ泳いでいく
④後先見ないで高い絨毯を買う
(※カラムが夜中に海に入っていくシーンはソフィの想像←監督談)

②〜④は特に死への誘惑に揺さぶられ、自ら死に近づこうとしています。
わざと己の首を絞めて、さらに自らを苦しめるというのを心が病んだことがある方は経験あるかもしれません。
最後の行動はまさしく堕落していく人間の心理をうまく表していて、観ていてざわざわします。


破綻していく父親

娘(以下ソフィ)以外には言いたいことを言えないカラム

・ビリヤードで兄妹と間違えられた時にすぐに訂正しない
・ホテルでベッドが一つしかなくても許容して簡易ベットに寝る

対照的にソフィには人のモノマネやジョークを言ったり心を開いている気がします。
しかしソフィにも本当に言いたいことは言えないそんな性格です。

・ソフィが「パパの好きなところは…」と続けるところでビデオのモニタを閉じる
・ソフィの「すごく最高の日を過ごした後は落ち込んじゃう」というネガティブな言葉に何も返さず、歯磨き粉を鏡に吐き付ける。

後者は行動にしないだけじゃなくて、フラストレーションが外に出てしまってます。相当限界がキているんだなことがわかります。
これらの振る舞いには父親・男として弱さを見せてならないという考えもあると思います。しかし幼少期愛されなかった経験、うまくいってない現状やそれらからくる自己肯定感の低さなど、(あくまでも娘から見た父親なので真実はわからないようになっていますが)そのような要因によって絶望しているのかな…と伝わってきます。
なのにソフィに「男でもドラッグでもどんなことでも言ってくれ」なんて言っちゃいます。
まさしく上手に生きれない男という感じです。


歌わないカラム

歯磨き粉のシーンと同じくらい記憶に残ったシーンがあります。
カラオケでカラムが歌えなかったシーンです。
このシーンを見て、俺が想起したエピソードがあります。
幼少の頃ニワトリの着ぐるみを着て写真撮影をするアトラクションがあり、父親はノリノリな感じで着ぐるみを着た後、俺にも着せて写真を撮らせようとしてきました。が、知らない大勢の前でコスプレをするというのが恥ずかしかった俺は結局着ず、代わりにいとこが着ていたのを今でも思い出します。
人前で恥ずかしいから親のいうことを聞かない。しない。なんて経験は誰しもがあると思います。イヤイヤ期は恥ずかしさからきていたものなんでしょうか。よくわかりません。
で、す、が、そうなんです。「恥ずかしい。そんな気分じゃない。だからしない」なんていうのは子供の思考なんです。このカラオケのシーンは親と子の立場が逆になっているわけです。
そんな父親と、キスや若者との交流を通し子供から大人になろうとしている娘が逆に親が好きな曲を歌い、気を使い、楽しませようとする。うまい具合で対比になっているシーンでした。ですがこれはカラムが父親から子供に退行しているというより、気持ちが抱えきれなくなり余裕がなくなって、弱さが露呈した結果と言えるでしょう。


チカチカしたあのシーンの謎

一方彼にとって唯一そのような自分を解放できるのがダンスでした。
この映画で印象的なチカチカするシーン。この所々挟まれる断片的に映し出されたダンスフロアで踊るカラムは本当のカラムです。
ソフィがダンスフロアで彼を見つけるのは、
カメラの映像越しに感じた or 11歳当時に感じていた 父親の内なる本性に、
大人になって気づいたメタファーです。

最後に

カラムの境遇というのは特別なものではないし、気持ちを押し殺して生きている姿に誰しもが自己投影できてしまうと思います。最後のシーンでソフィを見送った後、赤ん坊の声が聞こえる搭乗口からダンスフロアへと去っていくカラムは、父親というロール(役割)を降りて、死を選んだ隠喩なのではないでしょうか。


ここまで読んでまだ見てないよという方は是非見てみてください。

(文:バーサルナイト)

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