実績

フォロワーのみなさまへの感謝note

しゅんしゅしゅんです。

noteを始めて1年がたちました。実は、1年とタイミングと合わせてきりのよいダッシュボードを目指していました。いつものようにひそかに、誰にも宣言せずに…

達成しなかったらだまってて、達成したらお知らせする。あいもかわらず自分に甘いずる戦法。でも。

ビュー:50,000万回
スキ:3,000回
フォロワー:400人

突破です。ぱんぱかぱん。

1年前に「書くことをライフワークにしたいからnoteはじめてみます」と書いてnoteをはじめました。当時の気持ちをふかぼると、もう少しざらざらしてます。

”スキなコトをシゴトにしてジユウにいきていく”

1年半前にそんな感じの本を読んでて、そんな感じの生き方に感化された僕は、自分の腕1本で書いて、多くの人に影響を与えるなんてかっちょいい。まさにスキをシゴトだと思った。

”オレがホンキをだしたらデキルさ”

自分は文章を書くのが得意。自分の考えは深くて特異。頭の良さが自分の最後のとりで。そのとりでは堅牢だと思っていた。ほんとは「とりで」ではなく「かくれみの」なんだけど。

”オレはコンナモンでオワル器ではない”

いくつになってもふと何者かになりたい気持は芽生える。著名なインフルエンサーやブロガーを知り、俺にもできんじゃない?なんて根拠なき自信をもつ。

何かをはじめる前って、なんで過信するんだろう。だいたいの人間は何事においても自分を平均以上だと過信するらしいですね。僕の場合は平均以上ですまない。いつだってトップレベルにいると思ってしまう。頭の中にあるうちは、いつだってなんだって傑作なんだよな。

戦う前の遠吠えがすきなんだろう。1年前はたんまりと創作過信があった。

当時の僕の気持ちはそんなかんじ。

書き始めたら、すぐに誰かの目にとまって、拡散とかされちゃって、寄稿依頼とかブックライターの依頼がきたりして、うふふふ。みたいなかんじ。

まあ、そんなサクセスストーリーはかんたんにはあらわれない。でも別に傷つきはしない。ポジティブな過信をもつと同時に、常に最悪な状況は想定しておくのが僕なので。ほんと傷つきたくない性格なんです。

そして今回でいうと、僕の自信はくだかれていない。あ、そんなにうまくはいかないよなと少しは謙虚になってますよ。

なぜならば、読んでくれる人がいるから。

創作において見てくれる人がいることのパワーはすごい。


誰も見てくれなくても、自分を表現できればそれでいいというアーティストはいるのかもしれない。僕は無理。

アドラー心理学では「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言する。人と人との関係性の中で何かを求めることから僕は抜け出せそうにない。

400人もの人がフォロワーしてくれている。50,000回も何かを感じてnoteを開いてくれた人がいる。3,000回も「共感する!役に立った!」と思ってくれた人がいる。

目の前の事実が、ただ嬉しい。

ほんとは1年後の今は、もう有名なクリエイターになっているかもって思ってたけど。そんな虚像よりも、目の前の事実にいやされる。

自分が書いた過去の文章をよみなおすと、その読みにくさ、論理の飛躍、散漫なメッセージ、読み手への想像の欠如に嫌気がさすときがある。俺、ほんとにセンスがあんのかなって。いや、あるはず。いや、ないのかな。気持ちが迷宮入りする。

うまくかけたなと思う渾身のnoteのビューが伸びない時がある。まあ土曜の夜にあげたからだよねとか、たまたまみんな忙しかったんだなとか無益な要因仮説をつくりあげながらも少し凹む。

文字数が2,000字超えているから多すぎたかな?1,000字くらいがいいんだよね。タイトルが小難しい言い回しになっていたかな。などと内容自体には問題ない理由をあげつらいながらも少し凹む。

でも、どの記事だって数百人の人が開いてくれ、スキをつけてくれる人がいるんだと思うと、迷宮も凹みもきえていく。

たまにお気に入りの渾身のnoteが、対自分の過去のnote比ですごい時がある。こんな時はほくほく。なんでもっと読まれないのだろうとまた不遜な僕が出てくる。そして創作意欲がマックスになる。

なんかね。書いている、輪廻だ。

グルグルしている。それが螺旋階段みたいならいい。

真上から見ているとただのグルグルだけど、横からみたらグルグルしながら上に向かっていればいいなと思う。そして向かっていると思う。

まわりくどく、感謝を伝えてしまった。これまた悪いくせ。

みなさまへ

ほんとありがとうございます!

大好きです!!

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