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GENESiS vol.12に行ってきたハナシ❣️

ハロー、ごほちダヨ。
先日7/12に、ごほちが本当に心の底から
尊敬しているお方の主催のイベント
GENESiS vol.12
に参戦してきたヨ。

今日はその振り返りとか、
主催のQujaさんとの想い出とか、
あとは今後の言欲という表現者の歩みたい道に
ついてなんかを綴りたい。
鉄は熱いうちに打てっていうからネ❣️

GENESiSとは?

さて、この記事を読んでくださっている
大半の読者様は
GENESiSってなんだよ💢
って思ってることでしょう。

端的にいえばパーティです。
お酒飲みながらみんなで踊って
はしゃぐの。
(実はごほち自身なんと定義したらいいのか
よくわからないのはナイショ

主催はQujaさん。
ごほちが詩を書き始めた頃からだから、
もう7年くらいずっとお世話になっているお方。

12回目の今回は神楽音って言うハコだった。
ごほちの住処からもそう遠くないけど、
知らない町にあった。
住処のあたりが小雨だったからって油断して
タオルも傘も持って行かずに向かったら、
雨強すぎて5分でずぶ濡れになった。
一緒にいく予定だった後輩に
タオル買ってきてもらおうとしたけど、
半ば無理やり誘ったからやめた。

ずぶ濡れのまま会場入るの、すごく申し訳なかった。
多分受付のスタッフさんも内心
(なんだこいつ……)
って思ったと思う。

ごほちが同じ立場だったら思うもん。

いざ始まると
色んな表現者さんがいた。
アツかった。
内臓がぶるぶる音で震えて
魂が言葉でびりびり震える感覚。
久しぶりだった。

大半の人が初めましてだった。
Qujaさん含め顔見知りは2人しかいなかった。
ごほちは非常に人見知りなので、
終始自分から輪に入れなかった。

が!

みんな優しくて
Qujaさんもごほちのことを
他の人に紹介してくれたのもあり、
本当にありがたいことにお友達が増えた。
お酒も入って気持ち良くなって、
少しだけ自分から声かけたりもした。

お礼を言いたかった人や
パフォーマンスが素敵だと思った人にも
頑張って声かけた。

ごほちは基本的に作品以外での
他人とのコミュニケーションを取るのが
本当に苦手だ。
でも、あの場にいたみんなは、
回りくどいことをしなくても
等身大の詩人の僕を
暖かく迎え入れて
握手してくれた。

あったけえなあ、って思った。
en(縁)だね。感謝。

Qujaさんとの想い出

想い出話の前に
Qujaさんとは何者なのか。
アマゾンの奥に向かった探検隊の記録ではなく
ごほちの主観を大いに交えた紹介を読んでほしい。

Qujaさん。
ラッパーであり、DJであり、映像制作もできて、
ミックスもできるすごい人。

表現の幅が広くて
知識が深くて
物事の見方や捉え方が鋭くて
気さくで優しくて
今まで出会ったどんな大人よりも尊敬できる人。

そんなQujaさんを知ったのは17歳の時。
当時はromonosov?という名前で
活動されていて、ごほちが敬愛する
東方アレンジサークルの楽曲で知ったのがきっかけだった。

ツイキャスのコメント越しにお話しさせて
もらうようになったのが、ちょうど詩人として
スタートしてすぐくらいだったと思う。
10代後半の迷いの多い時期、
あの時もらった言葉の数々が、今の言欲の大きな糧になっている。

正直、一緒にお酒を飲ませてもらったり
自分の作品を読んでアドバイスをくれたりする
この現実は、今でも時々夢なんじゃないかって思ったりする。

言欲にとって、Qujaさんは大恩人だ。

ごほちが言欲を名乗り始める前、
書くことが全てだった僕は、
好き放題に暴れ散らかして
時が来たら死のうと思って東京に来た。
上京2日目、ダメ元でDMで飲みのお誘いをしたら、二つ返事で快諾してくださっけ、
そこで初めてきちんと挨拶をした。

出演されているイベントは、
地元から6年間の間に2回ほど、
遊びに行ったが、忙しい方なのもあり
直接挨拶をする機会も、10代後半の言欲を導いてくれたお礼も伝える機会がなかったのだ。

ちょうど去年の今頃、真夏の渋谷のハチ公前。
キックスケートに乗りながら現れた大恩人の手の大きさと温もりは、今でも消えない想い出だ。

酒を酌み交わしながら、今までの感謝や、
自分の様々な話を聞いてもらった。

最近聴いている音楽の話
地元を飛び出した理由
遊びに行ったイベントの話
自分の詩の話
詩というジャンルの話
彼のおかげで呑み込めるようになった言葉の話
死生観の話
座右の銘の話
彼のルーツの話
朗読に関する話

全部昨日のことの様に思い出せる。
即興で詩を書いたりもした。

そんな夢の様な酒の席で、憧れの人は
ずっと夢見ていたことを、予想外の角度で僕に提案してくれた。

朗読に関する話の時だ。
言欲が自分の声が嫌いだという話をした時、

「俺が読もうか?」って。

間抜けな声を出したあと、涙目になったのを覚えている。

書くことを辞めて死のうとする
未来を選んだ理由については伏せるが、
この時の僕はもう二度と
公の場で何かを書いて世に出そう、なんて
到底思えなかった。
殆どの物事への情熱という蝋燭の火が消えていた。

Qujaさんはそんな僕の消えた蝋燭に、
優しく火を灯してくれたのだ。

その日初めて
「こんなに素敵なことがあるなら、
死ぬのはもったいない」って思った。

あの夏の日からもうすぐ一年。
時々一緒に飲ませてもらったりしながら、
書いて、言葉と向き合う日々が続いている。

ちなみにこの記事で語った令和版“醍醐の花見”の主催も彼だったりする。

あれからまた、たくさんの想い出をもらって、GENESiSでもさらに想い出とエネルギーと縁をいただいたし、詩人としての自分の目指したい場所もより明確に見えてきた。

今後の目指したい道

GENESiSの際、「今後どこかで機会があれば
詩の朗読パフォーマンスをやってみないか?」
というお誘いをいただいた。

パーティが終わりに近づく頃、
「もしステージに上がるなら」をテキーラに
侵されて楽しくなったアタマで考えていた。

「単に読むだけじゃつまらないよな」

答えはパーティの序盤に転がっていた。
ポエトリーディングのパフォーマンスをしているアーティストさんがいたのを思い出した。
すごく震えた。
声色、表情、動き。

「ああ、これだ」

思い返して腑に落ちた。

ごほちはやっぱり、
自分の声は好きになれないけれど、
こちらに来てからの一年間、
たくさんの人に「声が落ち着く」と
お褒めいただく機会があった。
嘘だらけの街で生きているので、
心の奥底で「へっ、うそつきめ!!!!」
なんて思ってたけど、
嘘吐きは自分の気持ちを偽る僕の方だった。

失敗して恥かきたくなかったんだ。
これ以上他人から嗤われたくなかったんだ。

人見知りで、スポットライトは当たるより
当てる側が性に合っていると
ずっと思い続けてきた言欲だが、
それは単に当てられる光に目が眩まないかを
心配して怯えているだけだと気がついた。

認めたくなかったけど、認めたら楽になった。
「嗤う奴ら全員黙らせるくらいの表現してやろ」
なんて思ってる。

ずっと抱えていたQにAを求めていた。
囲まれて恵まれて、向き合って。
自分れのUをやっと掴めた夜だった。

というわけで、もしかしたら今後どこかで
ポエトリーディングのパフォーマンスをさせていただく機会がくる かもしれないヨ
と小さな声で宣言させて欲しい。

というかやりたいので頑張りますネ❣️

改めてGENESiSで出会った皆さん
そして言欲というちいさな詩人と関わってくれているみんなへ。
ありがとう。
これからも見守ってね。

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