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穏やかな春の空気に混じる毒について

ハロー。ごほちです。
ぼーっと生きてたらもう4月。
春。春ですよ。
きっと多くの人が新生活に抱いた期待と不安にも
心と身体が少しずつ慣れ始めた頃でしょう。

春といえば
皆さんどんなことを考えますか?
ごほちにとって春はいつだって
出会いと別れの季節
そんなふうに感じます。
毎年春が来るたびに
新たな出会いといつかくる別れに期待をしてしまいます。

さよならの愛おしさについて

ごほちは「さよなら」って言葉や
別れにまつわるもの全て、美しく感じてしまう。
ごほちの人生20数年の中で、
本当に欲しかったものはいつだって
手が届きそうで届かなくて、
そんなことの繰り返しの中で育った価値観なのかなあ。

人でも物でも、また巡り逢えてもそうでなくても。
特に春は新生活や桜、
出会いと別れを連想させるものが多いですよね。

ごほちの学生時代、初めて聴いてボロボロ泣いた曲がある。

米津玄師さんのvivi
2012年の米津玄師名義の1stアルバム
dioramaに収録された一曲です。
最後のサビが特に好き。

言葉を吐いて
身体に触れて
それでも何も言えない僕だ
愛してるよビビ
愛してるよビビ
さよならだけが
僕らの愛だ

なんだろう。
未だにうまく言えないけれど
泣きながら携帯の画面に向かって頷いていた。

伝えること
届けようとすることも愛なら
離れること
諦めることも愛のひとつだとごほちは思う。

愛の正解云々についても思うところはあるけれど、その辺はまたの機会に。

春の空気に混じる毒について

本題に入る前に、ごほちの生態についてもう少し語らせてください。

ごほち、基本的に毒みたいなモノをずっと摂取しながら生きている。

汚い空気
嫌な言葉
腐りかけだったり栄養のない食べ物
思い出したくない記憶
煙草や酒
別れ
孤独

わりと長いこと、他の人から見たら驚かれそうな
心身ともに不健康な生活。

人生の大半が毒に塗れていて
当たり前だと思っていたもののほとんどは
多くの人にとっての毒

ずっとそんな環境に晒されていると
心身ともにそれが普通で当たり前で
むしろ心や身体に良さそうなことへの耐性の方がなくなってくる。

昨日、ごほちはとある花見に参戦してきた。
都内某所で行われた
“令和版醍醐の花見"と銘打った花見。
ごほちが詩人としての元の名前を捨ててから
言欲になるまでの空っぽの間に
消えかけた蝋燭に火を灯してくれた人が主催する花見。

どこまで詳しく書いていいのかわからないので
一旦詳細は伏せるが、
普段の生息地の劇毒まみれの環境から

草木の匂い
無邪気な笑い声
暖かな陽射し
穏やかな春風

慣れない新たな毒を見つけ
1時間少ししかいられなかったが
かなり良い体験をしてきた。

しかも周りは慣れない劇毒塗れの中で
ほとんどの人が初めましてのはずなのに
心地よい空間があった。

以前"クラブに行ったハナシ"にて綴ったが、
ごほちは陰キャである。
花見とは無縁だったし
初めましての人なんて基本的に死ぬほど怖い。
仕事の時は前髪を上げるごほちだが、
詩人として人前に出る時はアホみたいに長い前髪をおろしている。
陰キャすぎて目合わせられないのバレたくないから。

文章を書くことを生業にしたいのに
上手く言えないことだらけな自分の無力さが
本当に苦しいが、
慣れない毒が漂う中で
ブルーシートの上のあの空間だけは、
本当に居心地が良かった。

等身大の自分を曝け出すことは毒で
でも大人として生きるなら毒ではなく薬をつけて
行かなきゃいけない場面もあると思う。
 
9ヶ月間、基本的には当たり前の毒の中で
一番慣れ親しんだ毒を喰らえずにいた。

でもあのブルーシートの上では
言欲というひとりの詩人として
何者でもない
何者にもなれない人間としていることを
誰も責めたりしなかった。

新たな出会いと発見のある
よいいちにちだった。
ありがとう。


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