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ごほちと“逃避”

ハロー。ごほちです。

未だしっくり来る書き出しの挨拶が思いつかない。
別れの挨拶ならいくらでもできるのに、はじまりの挨拶はいくつになってもヘタクソだし、いつまで経ってもヘタクソなままだ。

さて、今日のテーマは“逃避”について。

みなさんは何かから逃げた経験はあるだろうか?
ここで明確に「ない」と言える人はきっと
よほど強い人か、もしくは大嘘吐きだろう。

かくいう僕も多くの事柄から逃げてきた。
学校 職場 人間関係 将来 現実etc.
あげ出したらキリがないし、
本当に誇れることではないが、
きっとそこらの人よりもたくさん逃げてきた自覚がある。

思えば僕は昔から、人一倍、闘争心の無い子供だったと思う。

親からもよく「マイペースな子だね」と言われてきた。
幼いながらに「きっと何をしても上には上がいるし、自分はそれなりでいい」と思っていた。

大人になっても根っこは変わらず
「何かでいちばんになる」
よりも
「誰かのいちばんになりたい」
と思って今も生きている。

僕は負け犬にすらなれていない。
戦うことからも逃げているから。

最近、そんなふうに考えている。

勿論、生きてきた中で
どうしても譲れないものはあったし
その為に競争の場に出ることもあった。

得られたものは勝利や自信ではなく
敗北と後悔だけだった。


 


眠る前にいつも考えることがある。
自分が人間以外だったら、と。
野良犬だったらきっと、路地裏でずぶ濡れになりながら痩せこけて野垂れ死ぬだろう。
植物だったら、日の当たらない場所に生えたことを誰かのせいにして枯れていくだろう。

結局、いつだって全部誰かのせいにしようとしている。
負け犬にすらなれないのも自分のせいなのに。

作品だってそうだ。
「誰かの心を動かしたい」
「自分が死んだ後も、誰かに自分を憶えていて欲しい」

他力本願でしかない。

「人生は終わらない戦いだ。ともに背中を預けあって生きていこう」

そんな約束を僕に投げかけてきてくれた友人がいた。

今になってわかる。
僕は、その友人のようにつよくなんてなかったんだって。

自分と向き合う日々。
今日も空は青いし、今朝も煙草がうまい。
今はそれだけでいい。

今日はこんなところで。
またね。

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