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メンタル疾患で休職した話


2008年3月に今の会社に中途採用で就職をして、約1年後、私は鬱病と診断され、その半年後に休職をすることになりました。


最近、比較的コミュニケーションを取っていた女性同僚2名が、立て続けに休職するという話を聞きました。
 1人は、数年前に離婚し一人暮らし、抱え込むタイプの彼女は、気付けば体が悲鳴をあげていて、この”飽食の時代”になんと栄養失調と睡眠不足、腎機能障害という診断とのこと。
 もう1人は2人のお子さんを育てるワーママさん。家事・育児も頑張ってきたけれど、部署内での営業成績からのプレッシャーに、ギブアップ

このことがきっかけで、自分の休職についても思い出したので、メモしておこうと思います。


前兆があった体の悲鳴

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皆さんは、自分の体の変化や不調に耳を傾けていますか?

私は残念なことに、20代~30代前半のうちは全く聞けていませんでした。
 体力で何とかなる年代ということもあり、当時の私は

人が休むために必要な睡眠時間は3時間、それ以上は忘却のための睡眠になるので私には必要ない
1日24時間しかないのに、スケジュールが埋まっていないともったいない

とさえ考えていました。

そのため、とにかく全部を自分一人でやれると思い込んでいました。

仕事もがむしゃらにやっていましたし、当時の夫はあてにならなかったので早々に諦めて、”基本的に期待しない””だから私が一人で全部やる”と決めていました。


そうして、入社した年の年末、体と心が悲鳴をあげました。

前日の夜は何でもなかったのに、翌朝起きたら40度の高熱と、足の爪先から頭のてっぺんまで謎の発疹が体中に出て、顔もパンパンに腫れあがっていました。

そんな中でも元夫は普通に仕事に行き、私は高熱で且つ腫れあがった体を、引きずるようにして車を運転して子供を保育園に連れていき、そして、「とにかく会社に行かなきゃ」と考えて、マスクで顔を隠して出社をしたのです。
 顔が腫れあがっているのでマスクのゴムもパッツパツに顔面にめり込んでいき、電車内でも明らかに不審者のようでした。

何とか会社に辿り着いて私の様子を見ると、同僚達がざわついて、「とにかく帰った方がいい」と言われて、私は1時間もしないうちに、また徐々に悪化していく体と共に何とか帰宅をしたのです。

今振り返ると、既に体がNOと言っていて予兆だなと思うのですが、当時は健康体の自分に何が起こっているのか理解ができず…
 ただ漠然と、一日寝たら治るだろう、くらいに安易に考えていました。


眠れない夜

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その後、病院で血液検査などを受けたのですが、結局高熱と発疹の原因は不明と診断されました。
 「原因不明」となり症状は落ち着いたものの、会社と夫への不満や一人で子育てを抱え込むプレッシャーは変わらず、そして忙殺される毎日が普通に戻ってきたため、私はその時の体の悲鳴をスルーして過ごしていました。


すると、4月になってから、突然眠れなくなったのです。

私は、精神的に辛いとなった時でも睡眠だけはしっかりとれるタイプだったので、過信していました。
 例え睡眠時間が3時間であっても、質はいいので、私はきちんと休めていると思い込んでいたのです。

ある日、夜眠れない…と悶々と過ごして一睡もできない日があったのですが、翌日には普通に仕事に行き、「さすがに丸1日寝ていないから今日はぐっすり眠れるだろう」と高を括っていました。


ところが、その日もまた眠れない…

丸3日眠れない日が続いても、私はまだ「自分は大丈夫」と思い込んでいました


さすがに4日目、5日目になると、5分くらいうつらうつらと眠る時間が出てきましたが、1週間トータルで3時間にも満たない睡眠時間。
 仲良しの同僚からも「なんか、”千と千尋”に出てくるカオナシみたいな顔になってるけど、大丈夫?」と言われたほど、表情も顔色もすっかりなくなっていました。


異変に気付いたのは、私のその症状が出る前に鬱病で休んでいた先輩でした。

その先輩から、

もしかして眠れていないんじゃない?俺が眠れなくなった時と同じような表情になってるよ

と声をかけてくれたのです。

思い切って相談したところ、「とにかく寝て!薬の力に頼ってもいいんだから、とにかく寝ることを最優先して。病院を紹介するから一旦相談してみて」と言って、彼が通っていたメンタルクリニックを紹介してくれました。


すぐに休む決断ができなかった私

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今はどうなのか分かりませんが、当時は、すぐには「鬱病」とは言われず、「鬱の症状は出ています」という診断を頂きました。

そこから、私に必要な薬を何種類は処方され、その日から、睡眠導入剤を服用することになりました。


ご参考までに↓↓↓


とりあえず薬で睡眠はとれるようになったから、もう大丈夫

追い込まれていた私は、それで問題ないと思っていました。

病院の医師からは、とにかく休むように言われたにも関わらず、私はそこまで強く指示されたわけでもないからすぐに戻るだろうと思い、特に職場にも言わず、自分で何とかしようと思っていました。


さらに幼少期より、実母から

世の中の女性はみんな我慢して生きている
あなたは我慢が足りない
もっと我慢しなければならない

と言われ続けていたことで、自分はもっともっと自分の感情や意思を無視して頑張り続けなければならないんだと考えていました。

すぐに休職しなくても、と思っていたのです。


家族の反応と休職

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私を苦しめたことの一つとして、当時の家族の反応がありました。


当時娘は小学校1年生に入学したばかり。勿論子供に何か言うことはなく、いつも通り接するように気を付けていました。

しかし、夫にはそういうわけにもいかないと思い電話で伝えたところ、彼から言われたのは

ごめん
俺、悪いけど、メンタルがやられる人の気持ちが、全然理解できない

という言葉でした。


その言葉にショックを受けて打ちひしがれていると、さらに義母から電話があり

大丈夫?○○(息子=元夫の名前)から聞いたけど、仕事休むんだって?
理由は何なの?
仕事関係のことが原因ならあなたの問題だから、自分で頑張ってとしか言えないんだけど、もしうちの〇〇が原因だったとしたら、悪いけど私は息子が可愛いから、○○の味方だから。

という追い打ちをかけられたのです。


クリニックの医師からも、「家族の理解が必要だと思うから、よかったらご主人と一緒に来てください、私から説明しますよ」と言ってもらったのですが、元夫からは、

無理。そんなことで仕事休めないよ

と普通に拒絶されました。


結局、そういった様々な要因が原因となり、症状はどんどん悪化していき、最終的にはベッドから起き上がれなくなったことをきっかけに、半年間の休職をすることになりました。

休職中は、医師からは

休むということがどういうことか分かりますか?
仕事を休むから家事を頑張らなきゃって思わないようにしてくださいね。
仕事も家事も育児も、一旦お休みなんですよ。

と言ってもらいましたが、現実問題として、”理解できない”と断言した通り夫が何かを協力してくれることはなく、仕事に行かない分、家事と育児をやるしかありませんでした。


今振り返ると、夫婦間でのコミュニケーションが完全に不足していたなと思います。
 しかし、当時の精神状態で夫と向き合って改めて夫婦のことを考えて関係構築を図ろうと思えるほど、余裕はありませんでした。

ただ、仕事に行かなくなっただけでも徐々に回復はしていきました。


原因は自分にもあるということ

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私は、当時の義母から電話口で聞かれた、「理由は何なの?」という言葉が、ずっと頭から離れませんでした。

今なら、「理由が”これ”だと断言できるなら、休職するほど思い悩んでいません」と言い放つこともできますが、あの頃は自分を責めてばかりいました。
 病気になってしまった自分がすべて悪い、と思っていて、具体的なことは何一つ考えることはできませんでした。


改めて考えると、周囲の環境変化や仕事のこと、家事育児のストレス等、様々な理由が思いつきますが、それに加えて一番肝心なのは、自分自身でヘルプが出せなかったことだと思います。

自分を責めるということではなく、(我慢が美徳の)母からの言葉と、”お母さん”は完璧であらねばならないという呪縛から、私は抜け出せなかったのです。


私は半年間の休職の後に、部署と役割を変えて復職し、今もその職場で働いています。
 しかし、このような”呪縛”から解放されたのは、離婚後しばらく経ってからでした。


私が得たもの


私がこの経験で得たのは、

自分の限界がどこか知れたこと
逃げることも必要であること
”母親”が完璧である必要はないこと


だけど、限界まで頑張ってしまう人は、ヘルプが出せないんです。 
 出すタイミングも分からないし、そもそも出し方が分からなかったりします。

でも、次に誰かの変化に気付いたときには、私が先輩から「もしかして眠れてないんじゃない?」と声をかけてもらえたように、自ら声をかけたいと思います。



最後までお読みいただきありがとうございました。



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