ジャグリング小説 『あんパン先輩』

※このお話はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

  ジャグリングサークルアゴラ。主な活動場所が大学構内の広場だったことから、「最高学府で広場いうたら、アゴラやろ」なんてことを創設メンバーの一人が言ったとか言わないとか。名前のせいかときどき哲学系のサークルと間違えて入会希望者が来ることがあるけど、まあ当然ながらご期待には沿えずお帰りいただくことになるよね。
 ただ、私の同期には初め哲学系サークルと勘違いして来たのにサークルの説明を聞くうち「ジャグリング自体の哲学的面白さ」を勝手に見出してそのまま居ついてしまった変わり者がいる。あ、会ったことある?そうそう倫子ね。まあ、倫子の話はまた別の機会に。今から君たちに話したいのは、ステージネームについて。 

 これは団体にもよるみたいだけど、ジャグリングサークルでは入会から一定期間経過したあたりで、各人にステージネームがあてられる。大学祭その他イベントでパフォーマンスをするとき、本名だと非日常感が薄れるからね。なんかそれっぽい「芸名」をつけるわけ。大抵は自分で考えてつけるんだけど、いつまでも決めないでいると周りに勝手につけられちゃったりするから気をつけて。
 特に佐久間さんには気をつけたほうがいい。あの人「名づけ魔」だから。面白エピソードなんか聞きつけられてみ?すぐ命名されるよ。
 ちなみに、5月の新歓祭で私のステージを見た人はいる?なら、私のステージネームが何だったか覚えてる人は?そう......あれ私が考えたんじゃないからね。君たちが私の二の轍を踏まないように、あの名前がどうやってついたかを今から話します。当時の私の知識量とか考えてたことをもとに話すから、君たちがもう知ってることでもちょっとくどめの説明をしたりもするけどそのへんは流して聞いてね。

  去年のゴールデンウィーク前くらいかな。まだ私が入会したてでボールの種類もよくわかってなかった頃の話。自分用の道具はまだ持ってなかったから、練習の日はサークル共用の道具を借りてた。その日は佐久間さんが貸し出し用道具バッグを持ってくる当番だったんだよね。今考えるとそれも巡り合わせがよくなかった...…

 道具バッグの中にはボールだけでもいろいろな種類のものが入っている。中身が詰まりきってなくてお手玉みたいにくたっとしたものもあれば、レザー調の布地のなかにパンパンに詰まってどっしりしたものもある。小さい子が遊ぶボールプールの素材みたいなプラスチックの殻に、砂のようなものを入れて重さを調整したボールもあった。
 投げたときの手応えや触り心地の違いが楽しかったんだよね。その日はいろいろな種類のボールをかわりばんこに手に乗せたり、混ぜて投げたりして遊んでいた。

 「ちょっときゅうけーい」といいながら佐久間さんはデビルスティックを脇に置くと、ボールを5個取り出してカスケードを始めたーー「休憩じゃないの?」って思ったよね。私もサークルに入ったばかりの頃は戸惑った。ジャグラーって、ある道具の練習の休憩中に他の道具の練習をし始める生き物なんだよ。この症状がもっと進行すると、ある技の練習の休憩中に同じ道具の別の技を練習し始めるからね。

 その日の練習に途中から来たのが黒木さん。そう、院生の。あの人いつも研究作業の休憩がてらあんパンと紙パックのミルクコーヒー持って練習場所に来るよね、ベージュのトレンチコート着て。あんパンを食べ終わるまでの間ぼーっと下回生の練習を眺めたり、雑談したり、たまに自分でも道具を触ったりして、しばらくするとまた研究室に戻って……みたいな。君らのなかにも黒木さんのことをひそかに「昭和の張込み刑事」と呼んでた子がいたけど、実は私たちの学年も似たような呼び方をしてた。さらにいうと私は「あんパン先輩」とも呼んでた。
 待って、今「さすが師弟関係」って言った?鹿田か?鹿田だな。鹿田、イエローカード1枚ね。今度茶化したら君のステージネームは佐久間さんにつけてもらうから。
 まあ話を戻すと、それくらい黒木さんといえば「あんパン」という強い刷り込みがあったんだよね。

「あ、新入生?初めまして、院生の黒木です」
自己紹介を簡単に済ませると黒木さんはベンチに腰かけた。本当は初めましてではなかったけど、私も再度名乗る。まだ新入生の出入りが多い時期、院生の先輩が新入生の顔を覚えていなくても仕方がない。
「僕にはお構いなく練習しててね」
はい。とは言いつつも、4つも年上の先輩ガン無視で練習できるほど私の面の皮は厚くなかった。でも、あまり話したことない先輩と他愛もない雑談を淀みなくできるほど私の社交スキルは高くなかった。こんなとき、他の先輩が間をとりもって助け舟を出してくれたりするとありがたいけど、その場に唯一いた佐久間さんは5個のボールを投げるのに夢中だった。
 練習に戻ろうかもう少し会話をしてみようか私が迷っているのを察してくれたのか、黒木さんが口を開いた。
 「あんパンの上のつぶつぶってさ、あれケシの実っていうんだってね」 
まだ共通の話題が乏しい新入生が緊張しないように、黒木さんなりに会話の糸口を探してくれたのだろう。ただ、話の出どころが明らかに手元のあんパンの包装袋からきている。
「元々は上につけたゴマかケシかで中身を区別してたんだって」
「4月4日ってあんパン記念日なんだってね」
「アメリカ人の感覚からすると豆を甘く煮る時点で考えられないらしいね」
 黒木さんから繰り出されるあんパン豆知識ラッシュに、そのときの私は気の抜けた相槌を返すのでせいいっぱいだった。彼のほうもいよいよ品切れなのか、しばらく沈黙が流れる。私はまたボールのほうに視線を戻した。

 「......さんは……しあんとびーんだとどっちがすき?」 
しまった、少し気を抜いていた。質問?ということは答えなければ。
 最初のほうを聞き逃したけど、さっきまでずっとあんパンの話だったし、今回もあんパンに関することかな。つまり、「こしあん」と......「びーん」てなんや?bean?豆?こしあんと対をなすとしたら、粒あんのこと言ってはるのか?独特な表現、さすがは “あんパン先輩” ...…私はどちらかというと粒あん派だ。けどここは、趣向に乗って黒木さんの呼び方を使わせてもらおう。
 「私はビーン派ですね。食感が好きです」
 「"しょっかん"かー、わかる。」
黒木さんが微笑む。粒あん派なんだな、黒木さんも。
「中身が詰まってて、手にずしんとくるのがいいよね」
「中がスカスカだと悲しくなりますね」
そう答えてからふと疑問に思った。あれ、でもそれってこしあんでもそうなのでは?
「ビーンでないとやりにくい技もあるしね」
今、“技”って言ったよな。そういえばジャグリング中に林檎を食べる技があると聞いたことがある。黒木さんはあんパンでやるのか。それにしても、あんの違いによる難易度なんてあるんだなあ。
「奥が深いんですね、ジャグリングって」
「かばんに詰め込みやすいのもいいよね。詰めすぎると出したときに変な形になっちゃってるけど」
この先輩は、あんパンをなんぼほど持ち歩いているんだろう。
「中身がはみ出ちゃったりするといやですね」
「さすがに中身が出てたことはまだないな。けど古いのは包みが緩くなってたりするから気をつけないとね」
 心なしか黒木さんが饒舌になっている。本当にあんパンが好きなんだろうな。古いのはカビが生える前にかばんから出したほうがいいとは思うけど。
「はじめは固いのがだんだん柔らかくなってく感じも好きだな。自分の手に馴染むように育ててるみたいで」
 育てる?柔らかくなっているというとそれは、腐敗なのでは?はじめは固いというのもよくわからない。私は中身の詰まったボールを握りしめながら尋ねた。
 「むしろ作りたてが柔らかくて、時間経つと固くなるもんやと思ってましたが。柔らかくなるんですか、逆に?」 
黒木さんが怪訝な顔をしている。
「え、その持ってるのだってもうふにゃふにゃじゃない?それも初めの頃は固かったんだよ」
「持ってる......?」私があんパンを持っているというのだろうか。いや、今持っているのはボールだ。両手にひとつずつ持ったボールを見ながら、私は途方に暮れた。
 黒木さんも黙ってしまった。どうも困らせている気がする。私なにか変なことを言ってしまったんだろうか。
 気まずい沈黙を破ったのは、さっきまで5個のボールをひたすら投げ続けていた佐久間さんだった。
「あのさ、さっきから聞くとはなしに聞いてて気になったんやけど」
初め神妙な面持ちだった佐久間さんは私のほうを向くと、やがてこらえきれなくなったように表情を崩して言った。
「ビーンっていうのはボールの種類のことで、“ビーンバッグ”の略やで」
佐久間さんがにやにやしながら私の手元を指さす。
「その手に握りこんでるのがビーンや」
 やってしまったよね。ビーンバッグとロシアンボールのことを尋ねられてたのに、あんパンの中身の話かと思ってずっと話してたんだよね。
 私はさっそく佐久間さんから「つぶあんちゃん」というあだ名を賜った。

 普段のあだ名として呼ばれる分にはまあ仕方ない。でもさすがにステージネームには使いたくなかったのよ「つぶあん」は。ただ、他に良いのも思いつかなくて暫定「つぶあん」状態で、去年のデビューステージの本番直前くらいまで決めあぐねてたんだよ。そしたらそのときステージの司会をやってた子が機転を利かして、私が使ってた曲のアーティスト名からもじって、咄嗟につけてくれたんだよね。
「ミス・レッドビーン」って。
 私がそのとき使ってたの、緑色のボールだったんだけどね。もうかなり「つぶあん」に引っ張られちゃってるよね。だから今年の新歓祭ではあえて赤のビーンバッグに持ち替えてやったよね。さも「これが名前の由来ですけど?」みたいに装って。

 この話から何を教訓とすべきかって? 聞き取れなかった質問は、変に咀嚼しないでちゃんと聞き返すこと。それと、見切り発車で無理に歯ごたえのある回答をねらわないこと。あと、ステージネームは凝った名前つけようと変に煮詰めすぎないほうがいいね。なに、鹿田?「つぶあんだけにね」って、うるさいわ。


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