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今日のできごと

12月24日(日)
世間的にはクリスマス・イヴではあるが、私にとっては普段と変わらぬ日曜日である。

AM8:00
目を覚ました私は布団の中から手を伸ばして、枕元に置かれているスマホを取り、SNSやニュース、天気などを確認した。
ほとんど寝ぼけている状態でTwitterをチェックすると、私が世話になっている読書会のメッセージのグループが朝から盛り上がっている。何かと思ったら、読書会のメンバーで作る文芸同人誌のタイトル決めについてだ。
私が世話になっている、とある読書会のメンバーの一部で来年の春に開催される文学フリマに共同で一冊の本を作って出そうということになっており、私もそのメンバーに入っている。
その本のタイトルにはいくつかの案が出ており、メンバーはそれらの案に自分が良いと思うものについて票を投じることになっていた。
本来ならば、その結果が今日の昼に発表される予定だったのだが、投票を取りまとめている担当者が発表を待ちきれずに朝の6時半に発表をしていた。
結果、出された案の上位三つに三票ずつ入っており、もう一つの案も二票入っていて計ったかのように票が割れていた。
最終決定は読書会の主宰者に委ねられている。
それについてメンバーが盛り上がっているのだ。盛り上がることについては分かる。
しかし、今は日曜日の午前8時だ。何故、皆はそんな早い時間に起きているのだろうか? それぞれが仕事なのか?
私がそんな疑問をグループに投げかけると、このうちの二人は「寝ていなかった」と言う。私にとっては理解不能である。
そんなことをうっすらと思いながら、私は深い眠り(二度寝)に就いた。

そして昼頃になって私は「今日は有馬記念の日なので、(どの案にするか)皆で賭けようぜ」とナイスアイディアを発案したのだが「賭け事すんな」と友人に突っ込まれた。

PM1:30
家で使う来年のカレンダーを買うべく、私は電車に乗って隣駅の駅ビルの書店に行き、カレンダーを買ってきた。
私が買うカレンダーは毎年、家のデスクに置く卓上カレンダーである。一人暮らしを始めてから二十年近く卓上カレンダーにしている。五年くらいまではほぼ同じデザインの、文字だけのシンプルなものにしていたのだが、数年ぐらい前から「文字だけだと素気ないよな」とイラストが入ったものにしているのだが、年々と日時が過ぎる速さが増しており、カレンダーのイラストを意識する間もなく、気付くと翌年のカレンダーに置き換わっている。
そんなわけで今回もまた文字だけの事務的で素っ気ないものにした。シンプルで良いが、味気ないと言えば味気ない。来年はまたイラストが入ったものにするかもしれないが、きっとそのイラストも意識する間もないのだろう。

PM3:10
いつものようにデスクに座って何となくYouTubeを観ていると、あるVチューバーが有馬記念の予想配信を行っていた。
そっか、有馬記念だ。その配信を流しながら、私は去年の今頃の日記を見た。
そうだ、去年の有馬記念は枠連で買って、二千七百円の儲けが出たんだ。
去年、私はJRAの公式サイトにネットで馬券が買えるように登録をして、遊びで千円ずつ三パターンを買い、そのうちの一つが当たった。
私は競馬は何度か経験はあり買い方は分かるが、騎手や馬についての知識は皆無で、オッズと馬が何番人気かで選ぶという、ほとんど直感を頼りにした買い方をしている。掛け金も数百円から千円程度なので、大儲けをすることもなければ大負けをすることもない。
昔、性格診断で「あなたはギャンブルで大儲けをすることもないが、大損をすることもない性格です」という診断が出たことがあり、未だにそれが脳裏にある。それがギャンブルに対してのストッパーになっているのかもしれない。
ともあれ、私はVチューバーの予想配信を見ながら、家のプリンターで印刷した出馬表で独自に予想をした。
結果、千円ずつ4パターンの馬券を買った。
そしてPM3:40。
有馬記念のレースがスタートした。レースの詳細は省くが、私は枠連で買った一つが当たり、五千八百円の儲けとなった。
しかし、この金も今月の三十日の友人との飲み会に消える運命だ。まさにあぶく銭である。
ちなみに私が観ていたVチューバーは総額で五十万円以上を賭けて、全て外し、悲痛な叫びを上げながら台を叩いていた。夕飯はもやしだったらしい。

PM6:00
風呂から出ると、友人の高木から「このあと配信をするので良かったら遊びに来てください」とLINEが入っていたことに気付いた。
高木はいつも配信をする際、Twitterで告知をするので、私はパソコンの前で、それを待っていたのだが、私は腹が減っていた。

PM6:15
私は夕飯に迷っていた。昨夜は水炊きで、今朝はその残りだった。昼はパン屋で買ったパンだった。そして今日の夕飯である。水炊きの残りの野菜とつくねを使って再度、鍋にするか? しかしつくねがメインでは弱い。そしたら近所のスーパーへ肉か魚を買いに行くか? 
だが、頭脳明晰な私は知っている。今日のこの時間帯にスーパーへ行くと家族連れとカップルと家で宴をする者たちの買い出しで混雑しており、私はそれらの圧倒的多幸感に当てられ、直ぐさま店から敗走したくなるということを。精神的に殺される、ということを。
それを回避するためには自炊をするか、出前を、否、デリバリーを頼むしかない。
実に懸命である。では、何をデリバリーしてもらうか。
ピザ屋はきっと混んでおり、軽く一時間以上は待たされるであろう。
そしたら、そうだ、カレーだ。

今年の秋に私の家の徒歩十分圏内に、インドとネパール料理の「〇〇のカレー屋さん」という店がオープンした。その店はありがたいことにデリバリーをしてくれる。ウーバーイーツや出前館ではなく、直接その店に電話をして、その店の店員が届けてくれるのだ。
尚、店員は全員中東系の外国人である。
私はこれまでに二度、その店に通っているのだが、一昨日の夜に仕事帰りに寄ったばかりである。一日置いてまたカレーか。しかし、寿司やマックのデリバリーという気も起こらない。
そんな葛藤をした後、私はカレー屋にすることを決意し、電話をかけることにした。ちょうど先月の今頃、カレー屋に電話をかけデリバリーを注文したのでスマホの履歴を見れば追えるはずだ。
私はスマホを手にし電話機能を立ち上げると、何とカレー屋の電話番号がカレー屋の店名と共に電話帳に登録をされていた。
さすが俺だ。
そう思いながら電話をかけると4コール目ぐらいで「もしもし」と女性が出た。
あれ? あの店には女性店員はいなかったはずだ。もしかして私が知らないだけで、日や時間帯によって女性店員がいるのだろうか?
そう思いつつ、電話に出た女性は店名を名乗らなかったので私は「〇〇のカレー屋さんですか?」と尋ねた。
すると「え? 村田(仮名)です」と聞き覚えのある声で返答が来た。
「え……? あっ!」私はすぐに気付いた。
電話に出た相手は、私が世話になっている読書会の主宰者であり、一緒に文学フリマで本を出すその人だった。
どういうわけだか、私は村田さんの携帯電話の番号を、近所のカレー屋の電話番号として登録をしていたのだ。
一体、どんな間違いだ。自分でも意味が分からない。
「ああ、すいません。カレー屋と間違えました」
私はそう謝りながら電話を切った。

ひー。恥ずかしい!
私は四十年以上生きているが、こんな間違いをしたのは人生で初めてだ。
相手の村田さんも自分がカレー屋と間違えられるというのは人生で初めてだろう。しかもクリスマス・イヴに、だ。
私はこのことを直ぐに読書会のグループメッセージに投稿した。
村田さんもほぼ同じタイミングで私から間違い電話が来たことを投稿しており、私に対しては「またエッセイのネタを増やすー!」

その後、私は正規のカレー屋に電話で注文をし、無事にカレーとサモサにありつけた。しかし、カレーを食べつつ高木の配信が始まるのを待っていたのだが、一向に告知がない。何かしらのトラブルで配信が遅れているのだろうか。

食事が終わり、しばらくすると高木から「配信終わりましたー」とLINEが入った。
いつの間に配信が始まっていたのかと思ったら、どうやら告知がうまく出来ていなかったらしい。
マジか。しかし私はビールでカレーとサモサに食べることに集中していたので、配信が始まっても上の空で聴いていただろう。

そんなわけで私の今年のクリスマス・イヴは有馬記念を当て、知人にカレー屋と勘違いをして電話をかけ、気付いたときには友人の配信が終わっていた、という実に思い出深い日となったのである。






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