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刃音

前回までのあらすじ
友人から新巻鮭と大量の蟹が送られたことに私は困惑し、逃げるように家を出て友人らと酒を飲んだのだった。

翌朝の午前九時。早起きをした私は決意を堅く、文化包丁一本で新巻鮭に挑んだ。
自慢ではないが、私はそのときまでイワシの一匹さえも捌いたことはなかった。そんな私が人生で初めておろす魚が長さ50cmはあろうかという立派な新巻鮭だ。マラソンで例えれば、何の練習もしてこなかった人間が、いきなりフルマラソンに出場するようなものであり、野球ならば初めてバッターボックスに入った人間が、いきなり130kmの球を打つようなものだろう。それくらいに無謀且つ無鉄砲なことだ。
しかし、やらねばならぬ。

鼻息を荒くした私は、スマホで鮭を三枚におろす動画をYouTubeで検索した。そのスマホを冷蔵庫の上に置き、何度も再生させて鮭の三枚おろしに挑んだ。

先ずは頭を切り落とすのだが、一晩ベランダに放置していてもさほど解凍はされておらず、包丁を入れても硬くてなかなか刃が進まない。どうにか進んでもギッ、ギッとおよそ魚を切っているとは思えない刃音がする。まるでノコギリで木を切っているかのようだった。
「ひー。これが魚を切る音かよ……」
私は自分が何を切っているのか分からなくなってきた。そして包丁が鮭に負けて刃こぼれをするのではないかと不安になったが、ここで止めるわけにもいかないので、ひたすらに鮭に刃を入れていくのだった。
新巻鮭は予め内臓が取り除かれており、血も抜かれているのでゴミも少なくて汚れなくて良いが、これが何も手を加えられていない状態だったらと思うと身震いをする。

一時間近くの苦闘だっただろうか。私はどうにか鮭をおろして細かく分け、冷蔵庫に入れることに成功した。途中、三枚におろすはずが骨と身を剥がしたものの、身が大きすぎたためにさらに包丁を入れたために四枚になってしまったことが誤算ではあったが、それは瑣末なことであり、結果的に調理しやすい形にすることが出来た。初めてにしては上出来である。私は冷蔵庫に収めた鮭の切り身と頭を眺めて、一人で悦に入った。これで煮るも焼くも自由だ。
満足した私は砥石で包丁を研いだ。この時点でまだ朝の十時過ぎであったが、私の役目はこれでもう終わったも同然だった。

以上が私の蟹と鮭の戦いの一部始終だ。蟹と鮭は結局一度の蟹会では消費しきれずに、翌週の日曜日にもう一度開催し、友人らの協力のおかげでどうにか消費することが出来た。

この二回に渡る蟹会の結果、私は「もう10年は蟹は食べなくていい」という、蟹に対する充足感および飽和感を覚えた。二日間で蟹を過剰に摂取をしたように思う。
ともあれ、拙宅に来てくれ、蟹と鮭を消費してくれた友人たちには深く感謝をするしかない。

私は半田にしてやられた感があるが、何時かお礼に何か贈ろうかと思っている。シュールストレミングか干物でも歳暮に贈ってあげようか。それとも同じように新巻鮭か。
きっと喜んでくれるにちがいない……と、当時はそう思ったが、特に何も送ることなく9年が経ったのだった。私には彼ほどの遊び心が足らないのかもしれない。しかし、今になって私は楽天のホームページを開くとお歳暮のページを開いた。そこには赤々とした蟹がひしめきあっている。
「贈るよりも自分で食べたいな……」
私は誰にも何も贈ることがないのかもしれない。



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