見出し画像

泣きながら弁当を食べた日①


こんにちは、もずくです。

ツイッターでよく月曜日が嫌いだとか、
土日は短いだとか、嫌なら転職を!と勧めている者です。

そのような背景から、仕事や転職についての
質問やご相談をDMで多くいただきます。

もちろんいただいたDMには全て返信しておりますが、聞きにくい…という方がいらっしゃると
思いますので、ここに書いていきたいと思います。

なぜ私がこのようになったのか、
辞める決意をした日のお話をしていきます。

当時、新卒から入社して3年半が経過しました。


とても厳しい職場で、新人の頃は特に辛くて、
真っ暗な駐車場で同期と日々励ましあったり、
家まで約40分の帰り道、車の中でただただ
悲しくて泣ける音楽をかけてよく泣きました。笑


そんな色々な山を乗り越えて、ありがたいことに
上の人からも頼られることが増えて、期待され、
日々やりがいを感じていた頃でした。

ある日、仲の良い先輩が何年もしている仕事を
私へ引き継ぎたいと声をかけてもらいました。 

自分が上手くできるか不安もありましたが、
「最初の一年間は一緒にするから安心してね」
と言われたので、迷いながらも引き受けました。

簡単に言えば、接遇指導のようなものです。
一年後の目標、それに向けて毎月のテーマ決め、
主な指導内容などを考え、それを他のスタッフたちと行い、応対力を身につけるという内容です。

それから少しの間は先輩と打ち合わせなどを
していたのですが、上司へ提出する来年度の案を決める大事な時に入った瞬間にこう言われました


「助言はするけど、あなた一人で考えてみて」

それからヒントとして今年度の指導案を渡され、
あとは私へ任せっきりのような状態になりました

それから次第に不信感が募っていきました。

右も左も分からない、どう進めていいかも分からないのに全て一人で考えるのは無理だとすぐに思いました。

でも、今更やっぱり出来ませんなんて
情けないことは言えなかったのです。

作成期間は2週間ほどでした。

通常業務だけでもかなり忙しかったため、
任された仕事を考える暇さえありません。

休憩時間を削ってパソコンで作業したり、
夜中に家で作業したりもしていました。

それから自分なりに一生懸命考えた案が完成。

先輩へ確認→主任へ確認→訂正→再提出
このような流れだったので、
まずは先輩へ確認してもらいましたが、
特にこれといったアドバイスはなく、

「〇〇(私)さんがやりたいと思うこと
なんだから上司へ確認取った後にまた教えて」

そう言われました。


私なりに一生懸命取り組んで、悩んで、
プライベートの時間を削りながら作ったのに
何一つ私を気遣う言葉が無くて悲しかったです。
でも、この人も大変なんだろうなとは見てて思うので仕方ないのかなと思いました。

そして事前に主任へ時間をもらえるか確認し、
他のスタッフが退勤した後に、緊張しながらも
私が作成した案を提出しにいきました。

主任からは色々なことを言われました。

私の案に沿って「〇〇もいれてみたらどうか?」
「私は〇〇にも力を入れるべきだと思う」など、
かなり的確なアドバイスをしてくれました。

でも、結局直すところが多くて、

3年半の私と長年いる人では視点も全然違って、
私って何でこんなにダメなんだろうな…と
心の中でずっと思っていました。

すると主任が、

「あなたが頑張ってるのはよく聞いてるし、
よく分かってるから、これからもよろしくね」
と温かい言葉をかけてくれました。

内容については大幅に変更しなくても良い、
訂正してから再度提出するよう言われました。

私はなんだか前向きな気持ちになり、
これからも頑張ろう!と思うことができました。

翌日、そのことを先輩へ報告しに行きました。

しかし、まず私の案を責められました。

言葉はキツくありませんでしたが、

「もう少し考えて」「これ一年間するの?」
「主任は内容は変えなくていいと言っていたけど、これは一から変えた方がいいと思う」

よく覚えていませんが、色々言われ、
胸がキュッとなり、頭が真っ白になりました。

何で先に言ってくれないの?
何で否定ばかりして一緒に考えてくれないの?
何でこんなに頑張ってるのに、助けてもくれない
見てるだけの人に言われないといけないの?
何も知らないのに出来るわけないじゃん。


とにかく色々な感情が溢れ出てきて
段々と目が潤んできました。

でも周りに他のスタッフもいたから、
ここで涙を流してしまったらダメだ…
周りの人に心配かけたくない、負けたくないと
上を向いて、必死に涙を堪えていました。

それからすぐ昼休憩になりました。

昼休憩は2時間ほどあります。
私の部署は、家が近いスタッフが多かったので
私以外は全員一時帰宅していました。

私はいつも休憩室で他の部署の方も交えて
昼食を食べて、それから各々空き部屋を使って
一人で休むという形です。

その日はお弁当を持ってきていましたが、
いま誰かに優しく声をかけられただけで
泣いてしまいそうだったのと、

頑張ったから大好きなチキン南蛮が食べたくなり
歩いてコンビニへ向かいました。

チキン南蛮弁当を買い、歩いて帰っていた時、
病院の近くの駐車場で、その先輩ともう一人の 先輩が立ち話をしていました。

部署で言えば、No.2とNo.1にあたる先輩たち、
会話の内容は聞こえませんでしたが、
私の話をしているんだろうなと思いました。

もしかすると、被害妄想だったかもしれません。

でも、私に直接言わずにコソコソと話されている感じがして、すごく嫌だったのです。

ふたりとも仕事の時はすごく厳しいし、
怒られたことも何度もありましたが、
信頼していたし、尊敬もしていましたし、
仕事以外の時はすごく優しくて、大好きでした。

一緒にお弁当を買いに行ったり、
プライベートな恋愛話をたくさんしたり、
帰りの駐車場で大変ですよね〜と
愚痴こぼしつつ、色々な話もしました。

その信頼がボロボロと崩れてしまって、
何だか裏切られた気分になりました。

私は職場の休暇室へ戻る予定だったのですが、
涙が溢れて止まらず、戻るのは無理だと思い
先輩たちが帰った頃に、自分の車へ行きました。

泣いてるのがバレないように、
車でお弁当を食べてるのがバレないように、

後部座席の椅子にお弁当を置いて、
泣きながらチキン南蛮弁当を食べました。
一番大好きなのに、全然味がしなかった。

仕事のことではじめて声を上げて泣いて、
1時間ほど泣いてたと思います。

辛すぎて思わずツイートもしてしまいました。 

今回のことがショックだったのもありますが、

今まで頑張ってきたことが馬鹿らしくなって、
今まで我慢してきたことがどんどん溢れて、
必死に積み上げてきたものが崩れ落ちて、
あの時は精神的にかなりきていました。

「こんなことで?」と思われるかもしれないけど


少しずつ少しずつ、我慢、ストレス、嫌なことが
どんどんバケツの水のように溜まっていって、
それがこのきっかけで溢れたような感覚でした。

今思えば、あの時は限界まで近づいていて、
いつこうなってもおかしくなかったし
いつかは絶対こうなっていたなと。

それから車の中でずっと求人検索をしました。

すると、そこにとても条件が良くて、
ここだ!と思ったある求人が載っていたのです。

それはその日掲載されたばかりの求人で、

それが私が転職をする会社でした。



この記事が参加している募集

#仕事について話そう

109,816件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?