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献血に行く7つの理由

献血が好きです。わざわざ有給を取って成分献血に行くことがある程度には好きです。献血のメリットや意義については既に多く語られていますが、本稿ではわたしの個人的なモチベーションについて記載してみようと思います。

1. お菓子や飲み物が得られる

まずは月並みな理由ですが、献血ルームに行くとお菓子や飲み物が手に入ります。さらにはアイスクリームまでもらえます。実際に物理的なメリットがあるので、これだけで行く意味があります。
ちなみに、かれこれ10年くらい献血に行っているのですが、10年間を経て、もらえるアイスクリームがハーゲンダッツ→レディーボーデン→明治エッセルスーパーカップに変わってきています。献血ルームの経営はあんまり順調じゃないのかもしれません……。

2. めちゃめちゃ感謝されることで自己肯定感が得られる 

普通に生きていると、なかなか人から感謝されることはありません。職場の人の仕事を手伝っても、感謝されず「金をもらっているのだから当然」というような態度を取られかねません。しかも、職場の人の仕事を手伝ったりすると、アテにされてしまって、今後不当にたくさん仕事をしないといけなくなるというのもあります。職場だけでなく、家族でも、友人間でもそうかもしれません。
それに対して、献血は、「やることが当然」のことではなく、足を運んで血を抜かれることに対してものすごく感謝されます。また、一度行ったとしても「献血に来い献血に来い献血に来い献血に来い」というスパムメールが1日50通くるということもありません。こちらとしてはただ行って針を2度刺される(採血+本編)だけで、ほとんどのことはやってもらえるだけなのですが、それで感謝されるのですから、こんなにお得なことはないと思います。

3. 読書タイムが得られる

わたしにとって献血ルームは図書館みたいな機能を果たしています。献血で血を抜かれている間は片手が自由なので、電子書籍や文庫本を持ち込んで本を読むことができます。逆に、片手だけが自由なのでスマートフォンのゲームやSNSなどはあまりできません。つまり、強制的に読書に集中できるモードに入ることができるのです。全血献血の場合は読書タイムの時間はたかが知れていますが、成分献血の場合は1時間くらいじっくりと時間を使えます。献血は極めて文明的な行為ですが、献血をしている間は現代文明から離れて、ゆっくりした時間を過ごすことができるのです。

4. 数字が溜まっていくのが単にうれしい

わたしはクッキークリッカーと言うゲームが好きです。それは単純に数字が増えていくのがうれしいという理由によります。数字を蓄積するというのはそれだけで面白いコンテンツです。献血は、献血カードにこれまでの献血回数が表示されます。全血献血の場合は3か月に1度しかできないのでなかなかこの数字は増えないのですが、なかなか増えない分、増えた時の喜びも大きいです。

5. 性に奔放でないことの肯定感を得られる

この世界は、性に奔放でたくさんの異性と性的な関係を結ぶことができる人間こそが素晴らしいという価値観が蔓延しています。そんな中で、献血の条件の中に「不特定多数の人間と性的な関係を持っていない」ということが挙げられています。「性に奔放でない」という事実がありがたがられる場面というのはこの世界には珍しいように思います。そういう意味で、献血は自分のこれまでの人生を肯定してくれる響きすらも持っているのです。
(※献血ができない理由は様々です。この文章は「献血ができない人は性に奔放である」ということは全く言ってないのでご留意ください。そう読む人はいないと思いますけど…)

6. 合法的に他人に自分の体液を注入できることに若干の興奮がある

よく、「美少女に捕食されて美少女を構成するタンパク質の一部になりたい」というフェティズムを聞くことがあります。業の深いフェチだと思いますが、わたしはこれに一定の共感を示しています。

自分はかれこれ献血を20回くらいしているのですが、そろそろ1回くらいは、自分の体液由来の物質が美少女に投与されたのではないか?ということを考えます。自分が献血に行かない限り絶対に出会うことのなかった高嶺の花のような存在に自分の穢らわしい体液を押し付けることができるのです。これは非常に興奮度の高いことだと思います。

もちろん、自分の体液が気持ちの悪いおじさんに行くこともあります。また、蓋を開けてみると一回も使われてなくて全部廃棄されていた可能性もあるでしょう。ですがそんなことはどうでもいいのです。自分の体液由来の物質がどこに行ったのか観測できず、確定できないからこそ、頭の中での想像の可能性は無限なのです。仮に「この人に投与されました」として、絶世の美少女の顔写真を渡されたとしても、別にそれによってうれしくなることはありません。あくまで統計的な、概念としての美少女に対する興奮なので、具体的な話にされてしまうと興が冷めてしまいます。

また、このフェティズムが、加害性を重視していないことに注意してください。電車内で体液をかけたりする性犯罪者は、相手への加害性を重視しており、恐怖に慄く顔を見て興奮しているように思われます。これはそうではありません。相手の迷惑にならない形で、なんなら相手の役に立つ形で自分を構成する体細胞の一部が美少女に投与され、そして取り込まれていく……これがいいのです。

7. 日本赤十字が儲かってくれればいつか自分に返ってくる

たまーに、献血は日本赤十字社が儲かるための事業なので、そんなものに協力する必要はない、という人がいます。その意見を読んで思ったのは……「じゃあいいじゃねえかよ」(錦鯉)ということでした。

日本赤十字社がもし儲かって、日本の医療水準が上がるのであれば、それはいずれ自分に返ってくると思うので、むしろいいことだと思います。日本赤十字社を儲けさせればいいじゃないですか。もちろん、日本赤十字社のトップに君臨している何もしていないお偉方のポケットマネーになるだけだったらちょっと嫌ですが、どうせそういう人たちは日本赤十字社が儲かってなくてもポケットマネーをくすねるので、赤十字社は儲けないより儲けた方が我々にとっていいのです。

……以上、ただ寝っ転がって腕と血を差し出すだけで、これだけのメリットがある、ということを記載しました。もちろん様々な理由で献血ができない方がいらっしゃるので、やらないことを悪く言うことはありえないのですが、特別な理由がない方はぜひ行ってみてはどうでしょうか。

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