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フツーの人でも
ACIMを始めれば
「なんでこんなに責められなきゃいけなんだ!」ってなると思うw

フツーでもそうなのだから
極端な状況にいたら、尚更だと思う

ACIMに対峙する前に
「フラット」な状況に慣れておくことは重要な気がする
「フラット」を知らないと
ずっと揺れるので酔うと思う


さて、とにもかくにも
被害者加害者ゲームなのだ!と言いたい
もう、それだけなのだ
そればかりなのだ
ずっとそうで
それをどこまでも利用する
当たり前になりすぎていて
気づかない

とにかく
その見方を変えるのに
日々のレッスンがあるだけだ
気づけば今日も被害者加害者ゲームを始めるから
気づくと被害者加害者ゲームを始めているから
被害者加害者ゲームからしか発想しないし
被害者加害者ゲームでなんとかなると思っているし
被害者加害者ゲームで決着がつくと思っている

決着!w

以下、よくある例としてみてほしい

「誰かにヒドい書き込みをされた
私の真意が伝わらなかったわけだ…
やっぱり書くんじゃなかった
もう死にたい」

「ヒドい書き込み」というけれど
書いた人の真意を
あなたもわからないじゃないか

「やっぱり書くんじゃなかった」と
どうして自分を責めるのか
精一杯書いただけじゃないか

「もう死にたい」
誰の言葉に傷ついたのだろう
誰のせいなのだろう
そんなつもりで書いてないかもしれないのは
同量じゃないのか

いや、明らかに相手には悪意がある???
そして、自分には明らかに悪意はない???
その基準!
その判断!
そのジャッジ!

ずっとその判断をしていたら
そりゃ、しんどいなと思う
被害者加害者ゲーム


「これをやめると幸せになれる3つ」的な動画をあげたことがある(違ったかな?まぁ、いいや)
そうしたらコメントで
「投稿をやめれば幸せになれる」と来た

被害者加害者ゲームに乗るなら
このコメントを「攻撃」と取るだろう

でも、そんなこと始めても意味がない
というか、そもそも
「これをやめると幸せになれる3つ」も、
単にひとりの人物の発言であって
コメント者も単にひとりの人物の発言だ
上も下もないし
どっちが合っている、間違っているでもない
賛同しているとか
反対しているのも
正直全然わからない

即座に
そのコメントに対して
「素晴らしい!」と返信した

さて、「素晴らしい!」は皮肉てもなんでもない
そう考えるのね、確かにそれもあるかもね
ぐらいのことで、真意もわからないし
汲むことすらしない
お互い、そんなもんだ

自分のことを言われたとも、全然思わない
その彼か彼女について思いを馳せることもないw


誹謗中傷がいいことだとかが言いたいんじゃない
誰かを傷つけないようにするのは
絶対に必要だけれど
絶対にできている自信がない
それも正直な所だろうし
相手もそうかもしれない

要は、だれも完璧じゃない
というお決まりなセリフなのだけれどw


被害者加害者ゲームについて考えてほしい
その根底をみてほしい

え?みれないって
そう!そう!
本来、ないのだよ!
ないから見えないんだよ!



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