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(連載15)人目を気にせず着たい服を着てポータブル・アートを持ち歩く:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1990-91年

いよいよ1990年代になり、本格的に私のアメリカでの自称:創作活動が始まったので、年代を細かく分けて、記録も80年代よりは、手元に残っているので、より詳しく書いていこうと思います。(皆様のご希望がどうあれ、このまま、突っ走らせていただきます!)

さて、車の問題が落ち着いて、自分の人生で「もう二度と、買わないであろう、ポンコツのアメ車」を100ドルで売り飛ばし、そして、買ったのは、我が日本の車!

「堅実な市民のお友達、ホンダ・シビック!!」

しかも新車!!

やはり日本人ですから、乗るんだったら日本車ですよね〜?って、

アンタ、前回まで、あんだけアメ車がかわいいとかなんとか言っといて〜〜。苦笑

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これで、何処へでも、安心して移動できるようになり、実質的に私の新しい生活が始まりました。そして、ここんとこずっとご無沙汰してた創作活動も心機一転、再スタート! 

イェイ〜!

さて、さて、どこへ行こうかぁ〜?

ここで、話をちょっと、それさせて頂きます。

前回までのどこかでも申しましたが、

この頃の私は、一風変わった

(妹曰く、子供の学芸会のような)格好をしておりました。

ただ、派手な色の服というわけではなくて、そのデザインが特殊でした。

ベーシックには、ビクトリアン風、つまり19世紀です。

しかし。

今、言うところの、「ゴス」でもなく

私は、明るくて、楽しいのが好き!

レースひらひら、でもない

私は、繊細なものは、どうでもいい男気な性格

つまり、目指していたのは、、、、

ビクトリアンのお茶目な子供

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もしくは、女子がスポーツしているような図。。。

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つまり。これ

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プラス。

これ です。

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で、実際にこの頃に着てた服を探してみましたよ。

そしたら、なんと、こんなのが見つかりました。ひえ〜〜、懐かしい!!!

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スカートのほとんどはペチコートのはいったバルーン

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今から考えると、こんなん、普通に着てたのかと、思うとびっくりですね〜。

サーカスの団長みたいな。笑

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サーカスの馬乗りかしら〜?

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これらはもちろん売ってないので、自分で作ったり、お針子さんに縫ってもらったりして、全部オーダーメイドでした。

東京では街を歩いてて、何かと後ろ指をさされたり、電車の中で、子供が寄ってきたり、クスクスと笑われたりして、ずいぶん肩身の狭い思いをしたものでした。。。。

しかし。

ロサンゼルスでは、ほとんどが、車で移動なので、個室から個室へ。自分の格好がパブリックの目に晒される事がない!

思いっきり、着たいものが着れる!!

そんな大きな解放感に、じーーーん。と、浸されていた毎日。


パーティーや、少人数の友達と出かけたりする時でも、やりたい放題、着放題!!の格好で、お出かけぇ〜!!やっほ〜〜!!

そしてついには、自分が「作品として作った服」までも、着て出かけるようになりました。

たとえば、この服とか。

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これとか。

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そして、こういう格好で、パーティーなどに行くと、あたり前ですが、いくらなんでも目立ちます! 

ともかく、人が寄ってくる!!寄ってくる!!!

そして、みんなが「わぁ〜お!」て褒めてくれる。別に褒めてないのかもしれませんが、当時は、褒められてる。って思い込んでました。笑

そして、メディアでも取り上げられる。。。これ、当時のLAウィークリーです。

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これは、なんだか忘れましたが、たしかバルセロナに送る音楽雑誌かなんか。

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こういうのは、日本ではまったく考えなれない現象でした。なんせ、東京では後ろ指でしたから。。。。

私はもう自己肯定感100000%で、有頂天になりました。

好きな服を作って、それを着てたら、みんなから褒められる!!

これは、別に着るものじゃなくても、絵でも彫刻でも、イラストでも音楽でも、自分が作ったものを人に見せて、「わぁ〜お!」って言ってもらったら、アーティストとしては、嬉しいですよね? 

しかも、毎回ですよ!!(アーティストの方、想像してみてください!)

それが私には「服」だったのです。

何も、わざわざギャラリーに電話予約して、ポートフォリオを面接で見せて、霊魂込めて作った作品の写真をパラパラめくられて、「ハイ、では、後ほど」って言われて、ずっ〜と音沙汰なし、、、、というような事で、落ち込む事もありません。

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「服の作品」場合は、ただ自分で着てればいいのだ。

そして、即 「わぁ〜お!」です。

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この頃は、出かける時は、ともかく頭の先から足の先まで、完璧をめざしました。

万が一「わぁ〜お!」って言ってもらえなかったら、すごく悔しかった。

スポーツ選手が接戦で負けた時みたいに、、、「次、絶対に頑張ろう!」と、思いました。

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ある時、そんな服を着て、コンビニを探して通りを歩いていたら、たまたまパトロール中のお巡りさんに呼び止められました。

でも、「わぁ〜お!」とは、言ってくれませんでした。(お仕事中だったから? でも、心の中では、絶対に、そう叫んでた)

その代わりに、「この辺は危ないから」って、パトカーで送り届けてくれました。(パトカーにお世話になるのは、これで、2回目。。。)

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さて、さて、そんな事をしばらく続けているうちに、状況がエスカレートしてきて、私は、だんだん「これでいいのかな〜?」と思うようになってきたんですよ。

いろいろとコーディネイトして、着回したにしろ、毎回毎回、違うスタイルにも限界がある。。。。作品だって、そんなにないし。。。

それに、最初は楽しかったけど、考えたら私は、もともと、そんなモデル気質でもないし、女優志望でもないので、「ミーミーミー、私を見て!見て!!見て!!」っていう自分に、なんか違和感を感じるようにもなりました。

特に洋服だと「注目してもらいたい感」が全面に出て、それが、なんだか、アザとく思えてきました。

モノが洋服だけに、なんかチャラいし。。。。

うーーーーむ、、、、どうしたものか? と、考えた。

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そして、頭に浮かんだのは、ハンドバッグでした。

バッグだったら、そんなにわざとらしくなく、さりげなく、持っていたら、見る人がみたら、あれ?って思う。。。

そんくらいが、ちょうどいいよなー。と。

ハンドバッグと言っても、ソフトなものではなく、ハード・ケースのような箱のような形がまず頭に浮かびました。

以前にも、ご紹介しましたが、マルセル・デュシャンのミニチュアを真似て、自分のポートフォリをと作り、持ち歩いていましたが、、、、コレです。

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このアイデアを発展させ、バッグにありったけの想像力を詰め込んで、持ち運ぶ!

つまり、ポータブル・アートです!

もともと、自分が衣服に創造性を持ち込んだのは、「この現実の世界と想像の世界の境界線にあるのが、衣服というもの」というコンセプトからでした。だから、ハンドバッグもその延長上にあるものとして考えると、すべてが同じ線上に位置していました。

そうして「持ち運べる作品としてのハンドバッグ」なるもの、を作り始めたんです。

箱のようなハンドバッグだと、技術的には、大工さんみたいな技術や材料が必要になってきます。なので、行くのは、生地屋じゃなくて、ハードウエア・ストア(日本だと金物店より扱ってるものは多くて、でも規模は日曜大工センターより、全然小さい、みたいなところでしょうか?)になりました。

まずは木で、バッグの本体のようなものを作ろうと思って、近所のハードウエア・ストアに行き、そこのおじさんに、

" Do  you have  wood? " (木はありますか?)と、聞いたら、

「え? ウッド???それって、電気系のもの?」って言うんです。

「ノー、ノー、違います。ウッドです、ウッドッ。」と、私。

「ん〜〜? え〜〜と、それは、水道関係の??」

「違います、てば!!ウッド!!あの、山とかにはえてるっ!!」

「えーーーと。?? 塗料系かな?」

「違う!違う!!もうっ!!ホラ、枝があって、葉っぱがついてる!」

「あ、ああ〜〜!!!ウううう〜〜〜〜〜ド、ね〜〜?」

って、やっとわかってくれたのですが、

「君ね、そういうのは、ランバーって言うんだよ。」と。

「しかも、君のウッドはウッドじゃなーい!『ウううう〜〜〜ド』って言わないと、アメリカ人は、わからないよ。

「リピート・アフター・ミー、 はいっ! ウううう〜〜〜ド!」

「ウううう〜〜〜ド」

「違う、違う。もっと唇を前に出して、ハイ。ウううう〜〜〜ド!

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ウううう〜〜〜ド!!

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そうそう、もう、一回、 ウううう〜〜〜ド!!


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ウううう〜〜〜ド!!!


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ウうううう〜〜〜ド!!!

ウ、ウうううう〜〜〜ド!!!


店でふたりで、大きな声で。。。いきなり英語教室。。。。。

という事で、

結論。 ランバーですよ!ウッドじゃないですんで

大工仕事を学ぶ以前に、まず、自分の英語の方を、、、って。トホホ

こんな細かい失敗を繰り返し、日曜大工センターのようなところにも足をはこんで、材料(と、英語)を勉強したり、また、トッシュの友人でセット・デザインなどをやっている親切な人に、色々教えてもらって、少しずつ学んでゆきました。もともと、自分はこういう工作的な仕事の方が、針仕事より好きでしたので、結構ハマってゆきました。

そして。

なんと言っても、このプロジェクトの巨大なパレットになったのが、

あのバカでかい、ローズボウルのフリマで、ありました!!

次回はそのあたりから、お話しようと思います。

つづく。







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