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私の礎になったこと


「当たり前の事」
2013.10.28 FACEBOOKの投稿より

いつか当たり前では無くなる。
それはいつも突然やってくる。
何故か急に思い出した。

それは、あんなに不摂生にも関わらず、
無事フルマラソン完走出来て
幸せだなあと思ったからだ。

長男20歳は、5年生でサッカーを始めたが、
不器用だし、なかなか指導出来ず、
指導者間でもコンセプトの違いがあって、
上達しなかった。

二人一組でパス練習!
上手い子は全く下手な子を相手にしない。
当時長男のほかにも女の子もいた。
いつも下手くそ同士、試合に出して負けたら、
上手い子はふてくされる。
当時、コーチ最下位の私は、
うまくコントロール出来ず、
こんな奴らと思っていた。

卒業後、うちの長男と一緒に相手を
してくれてた仲の良い子が
自殺したと人伝に聞いた。

中1の6月28日のことだそうだ。
三ヶ月前はあんなに笑っていたのに。
生きていれば21歳になっている。

何も死ぬほどのことはない。
これほど身にしみたことはなかった。

長男卒業後、次男中2の同級生を4歳から
12歳まで教えたが、下手な子を差別した
子供には容赦無く怒った。

サッカーが上手ければ
何でも許されることはない。

指導者なら見れば理解る。
サッカーが好きなのか、嫌いなのか。
器用なのか、不器用なのか。
将来どうしたいのか。

たくさん不器用な子がチームにはいたし、
良く負けた。
その代わりジャイアントキリングも
結構達成した。
不器用な子も上手い子も
一生懸命やらない子は良く怒られた。
一緒に教えてくれたコーチは、いつも影でフォローしてくれていた。
私の理想は、全員出場で圧倒的技術で勝つ!

サッカーの話になってしまったが、
お前がいたからうちの息子は、
辞めたいと泣きながら違うコーチに
訴えたけど、それでも10キロ先の
グランドに自転車で通ったし、
悔しくて、試合に出れずに
泣いてもサッカーはやめなかったよ。

そして今は教えてないけど、
私の指導の礎になった。
ありがとう!

あれから11年
2017.06.24のFACEBOOKの投稿より
秀光明覚童子 平成18年6月29日
今月が命日、御墓参りに行って来た。
もう25歳になる歳になったんだな。
何とか声に出して話せたよ。

「あんな、ほんの少しだけだけど、
サッカーを教えれるようになったと
思ってるから、今度はちゃんと教えるな。
ちょっとだけ上手い奴に、お前らのせいで
負けたとか言わせないから、
またいつかどこかでサッカーやろう。
U8も頑張ってるぞ。」


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