心のバレー(土屋幸一郎著)②
この本は平成2年7月6日起草
スポーツの「ス」の字も知らず、
部活動に打ち込むものは
「時間を持て余す愚か者」と
軽蔑することさえあった中学校の先生である
著者がいつの間にかバレー指導に溺れ、
子供達を育てた本である。
以下は、当時赤線を引いた部分の紹介です。
・監督が捨てた試合
負けてもいい試合は子供達にはないし、
監督の仕事は「勝たせてやること」
・迷惑って何のこと?
子供が大きくなるために必要なことは
何でもする。
それが指導者としての子供に対する
義務だから。
・子供から盗む
子供達には、いくらでも認められる要素は
ある。
発掘すればいい。
これがまた子供にやる気を起こさせる。
「自分も認めてもらえた。
自分にも長所がある。」
「ようし、私にだってできる。」
なんのことはない、私は何も教えていない。
・結果を怒っても育たない。
敗因・ミスの原因を探る。結果ではない。
結果を怒るなら誰にでもできるし
それは指導とは言わない。見よ、
子供達は委縮するばかりではないか。
指導者が見なければならないのは、
そうなった原因と経過だ。
しかもその結果を作っている張本人は
指導者なのだ。
教えても出来ないのではなく、
教え方が下手なのだ。
「何度教えた、何度同じことを言ったら
わかるんだ。」
そうなのだ、だから子供なのだ。
そして自分は教えるのが仕事だ。
今この時、その原因を探り是正する。
今の勝負に負けたらやむを得ない。
これは監督の明日からの練習課題になる。
優秀な指導者なら、今解決させうるが、
無能な自分は宿題を持って帰らねばならない。
子供達よ許せ。
・中途加入
やり直しのきかない人生だからこそ、
その道の選択に間違いということはない。
選んだ人生はすべて正しい。
人生の問題は選択になるのではなく、
一生懸命に生きているかどうかにある。
・獏の如くに夢を食う
指導者は子供の「無限の可能性」を信じ、
子供のため、常識の世界から離脱して、
獏の如くに巨大な夢を食い続ける義務がある。
常識は「可能性」にブレーキをかける。
教育の原点は、大人の常識で子供を見、
枠にはめることではなく
子供に「無限の可能性」を見、信じることだ。
・指導技術を探る
スポーツの3要素は、心・技・体。
しかし技も体もいらない。
心さえあればいい。
私はそう信じて取り組んだ。
正しい方法はないのだ。
いずれの方法も、情熱を持ち、子供ために
(これが最も大切なことだが)、
子供の心を掴んでぶつかれば
どんな指導技術でもそれが正しい方法となる。
・教えるということ
教えるということは繰り返すということ。
「これくらい分からないのか?」
「はい、分からないので教わりに来ています」
「これくらい出来ないのか?」
「はい、出来ないから出来るように
なりたいと思って学校へ来ています。
出来るようにしてください。」
「学ぶ」ということはそういうことだ。
お前たちはわからなくてもいい、
出来なくでもいい。分からないから、
出来ないから学校へ来る。
お前達の仕事は「努力する」ことで、
その結果の責任は私が取る。
お前達は、結果である「出来ない」ことや
「失敗」の原因について
考える必要はない。もし教えなければならない私が、出来ないからと言って
短気を起こしたら、前述のように口頭しろ。
※ここを読んで感じたことは今でも想いだす。
「教育」という字は、「教え育む」こと
「教育者」という仕事は、「教え育む者」と
感じた。
家の前の学校では、
それが行われているのか?
甚だ疑問を感じたあの頃の感想である。
・時間を生む
我々に与えられた時間は、
おしなべて1日24時間。
これは極めて平等である。
天才とは最も有効に時間を使う者の
ことである。
指導者として、子供を指導するためには、
まず与えられた時間を有効に
使わなければ子供の上にはたてない。
24時間を25時間、26時間にする。
その方法は、「今」やることだ。
「生」ある者は常に「死」と同居している。
「死」と同居している以上、
「次」「後」「明日」はない。
・目的
強くなろう、勝とうと一生懸命練習しても
試合には勝てない。
子供達の体は耐えられても心が
その厳しさに耐えられず、心ここに非ざる
練習になって、空をつかむことになるからだ。
最も大切なのは、子供達が「やる気」になり、「夢」を見ることだ。
特に女の子は「夢」があるからこそ、その「夢」に向かって努力する。
ロマンチックは「ムード」が大切だ。
ここまでで184ページ中の20ページ、結構な量だ。
ちょっとU8と遊ぶために「グランドに行ってきます」。
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