人生初「鉄道一人旅」の思い出

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私が人生で初めて、鉄道メインの一人旅をしたのは14歳のときでした。もう20年以上前になります。

当時、私はいわゆる「引きこもり」で、部屋の外から出ることはほとんどなく、外出などもってのほかでした。小学5年生から引きこもりを開始した私は、この頃には鉛筆の持ち方も忘れかけていました。

私が引きこもりとなった詳細につきましては割愛させていただきますが、とにかく登下校の時間帯に外へ出ることが怖かった(同級生と鉢合わせて、なにか言われるのではという恐怖でいっぱいでした。)です。ただ換言すれば、登下校以外の時間帯(朝10時頃や昼2時頃など)は、コンディションさえ良ければ(母と同伴が前提ですが)短時間なら、外出できていました。

ある日、母が10時半ごろに「電車に乗って市役所に行こう」と声をかけてくれました。最寄り駅から市役所までは、電車で片道約15分。私にとって決して「楽な道のり」ではありません。ただ電車も5年以上乗っておらず、久しぶりに「電車に乗るという行為」を体験してみようと思い、母の申し出を受け入れました。

最寄り駅に着いたとき、私の目に飛び込んできたのは「運賃表」でした。当時はICカードなど存在しておりませんでしたので、きっぷを券売機で購入することが主流でした。その際に当たり前ですが、運賃表で目的地までの運賃を参照するという行為が一般的に行われておりました。

この運賃表。私の目に飛び込んだのは、別に物珍しいタイプではありません。そんなありふれた運賃表を見たとき、私の背中に電撃が走ったような、そのような衝撃を受けたのです。

私は昔も今も、大阪と神戸を結ぶ阪神電車沿線に在住しています。当時の阪神電車は、大阪・梅田から神戸高速鉄道、そして山陽電車を経由して、姫路まで乗り換え無しで行ける「直通特急」の運転が開始されて間もない時期でした。私の記憶があやふやなため、正確ではないかもしれませんが、私の最寄り駅の運賃表には直通特急運行開始前まで、神戸高速鉄道や山陽電車の運賃は記載されていなかった気がします。そのため運賃は、一番高額な表記でも280円(当時)。それが直通特急が運行されることで、神戸高速鉄道や山陽電車の運賃が表記されたことにより、片道1,200円以上の運賃が表記されていることが、当時の私には凄まじく衝撃的だったのでした。

市役所の用事を終え帰宅するときに、母に上記の内容を若干、興奮しながら話していたことを覚えています。すると母は帰宅後、私に5千円札を手渡し、「姫路(山陽電車の終点)まで行ってきたら?」と言いました。

さすがにその時は夕方に差し掛かってきたので、次の日に実行することにしました。今も覚えているのですが、久しぶりに「明日が早く来ないかな」とワクワクしたことを覚えています。

次の日。直通特急に乗り込んだ私は、その車窓から、それまでの人生で見ることの出来なかったものを、たくさん見ることが出来ました。

西宮市から神戸市東部にかけての高層マンション、神戸中心部から須磨区にかけての地下線、須磨から明石にかけての見事な海の景色、加古川付近の田園風景、そして姫路に向かうにつれて再び高層マンションやビルが増えていく光景。当時の私には「新鮮」という言葉では表しきれないくらいの経験でした。

家に帰宅した私の顔を見て、母は喜んでいました。おそらくここ数年では考えられないような、笑顔で帰ってきたからでしょう。ひょっとしたら泣いていたのかもしれません。

その日を境に、私は学校にこそ復帰はできませんでしたが、引きこもることはなくなりました。家の手伝いをしてお小遣いを稼ぎ、それを鉄道旅行に充てていったのです。

私の原点が、直通特急にあります。

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