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------ いざ行(ゆ)かん ------ ------ Short Story 2-1 ------

 三平は貧乏百姓の倅、その名の通り三男だ。
貧乏人の子だくさんそのまんまに男は四人女も四人、合わせて八人の子どもを持つ一家に生まれた。

貧乏な百姓夫婦にできるのは子づくりだけだ。
何よりもこれは金がかからない。
そして子どもは言葉がわかるころにはもう家の手伝い、じきに他家への奉公か職人にという自活を求められた

 三平の家も他と同様に幼少のころから家の手伝いをさせ、その年ごろになるとみな家を離れて奉公にいき、奉公先から家に仕送りをしてきた。
家をつげるのは長男だけだ。
三平も例によって富士山が見える駿河の油問屋に奉公に出された。

奉公先といえどもそうそう働き口があるわけでもない。
奉公先が見つかるのは相当に運がいいともいえるし、そもそも親にも信用がなければ奉公の話しすら回ってくることはない。
三平の父は辺りでは誰もが知っているほどの働き者で正直な男だ。

なので次男も姉二人も奉公先がすぐに見つかりすでに家を出ていた。
三平も十二歳になるやすぐに奉公先が決まった。
奉公先の主人夫婦も三平を気に入り丁稚見習いになり丁稚になり、あれから六年、いまは十八歳となり手代になる日も近い。

家に仕送りもし、嫁の話しもそろそろかと主人夫婦もそれとなく三平に話しをかけている。
そんなときだ。
その主人が倒れその日のうちに亡くなった。

葬儀が終わると家の者が総て広間に集められ、主人の弟が家の跡継ぎになることを知らされた。
主人夫婦には相当な資産があったが、いかんせん子がなかった。
跡継ぎの弟は三平もみなも知っているが性格に難があり、陰であれこれと言われていた男だ。

弟は皆を集めてこう言った。
「皆はいまのままが良かろうが、知っての通り浦賀には黒船が現われ世は変わり始めている。よってわたしにも考えがある」
と言いつつ自分の商いのやり方を簡単に述べた。
これがまた三平たちを落胆させた。

主な者を男女ともに入れ替え、商売のやり方もごっそりと変えるというのだ。
よく聞いてみると壊してつくるのではなく、壊すだけが目的のようだ。
当然ながらみなが反対したが、弟はそれも最初から計算づくだった。
「これに異論がある者は辞めよ。相応の銭は出す」

そして半数を超える者が店を辞めた。
こうなると手代になる前の三平ごときに刃向かえるものでもなく、三平も多少多めの銭をもらってみずから辞めた。
家の仕送りにも影響が出るが、こんなところにいても先は無いと思ったのだ。

三平を知っている知り合いの米問屋や庄屋や商人などから誘いもあったが、まだ若い。
三平はそれらをみな丁重に断わり、江戸に出て世の中を見てみようと決心し、個人の家財も始末し、江戸に向かった。

まさか江戸にそれも銭を持って一人で行けるとは、と三平の心も踊った。
ところがひとり旅に慣れていないゆえか、とんでもないことになった。
たまたま泊まった旅籠で銭と持ち物をごっそりと盗られたのだ。
朝起きたら、残っていたのは褌と着物一枚と帯だけだった。

油問屋での旅は総てが仕事であり、上の者も朋輩たちも旅慣れていた。
だがひとり旅の三平は、盗人から見れば隙だらけで格好のカモだったのだろう。
やってきた役人も話しは聞いてもそれ以上は何もできないし、する気もない。

「誰がやったのかもわからん、もう宿場を出ておろうし、どうしようもないのう」
と役人は鼻の穴をほじくりながら、出された茶をゴックンと飲み干した。
もう中腰になって帰りたい素振りを隠しもしなかった。

(役人て役に立たないて意味か)と三平は金も無くなったが、利口にもなった。
しかし困ったことになった。
旅籠の主人もまんざら責任が無いわけでもなく、面倒くさそうにこう言った。
「仕方ないな、うちに責任は無いからな。宿賃どうするのよ、もう一文無しだろう」

そう言いながら主人は三平を頭のてっぺんから足の先までじっと見て言った。
「どうだい、三平さんとやら、宿賃代わりにうちで三、四日ほど働いてくれんか。ご覧の通りうちはお客さんも多いし、使用人はあれこれで十五、六人いるが人手不足でな、これからは夏も過ぎて一番いい時期だ。今日も部屋はいっぱいだし、手伝ってくれれば飯もこっちで持つし、働くのが永くなれば小銭も貯まる。どうだい、旅籠も面白いぞ」

役人も連れて言った。
「それがええ、銭が無くなると人間ロクなことは考えんからの。そうすれば罪人をつくらずにすむってもんだ」
役人は三平をもう盗人候補の一人として見ているらしい。
まあそう言われても無理はない。

三平も他に手段もなく、ならばと四日ほど旅籠で働くことになった。
だがこれはこれで働いてみるとそれなりに面白い。
米問屋とは全く違う世界で、やってくる人々も千差万別だ。
老若男女そのまんま、あらゆる人がやってくる。

それに主人も最初は不愛想でイヤな奴だと思っていたが、そばで一緒に働いてみると意外に気も合うし、人柄もいいことに気づいた。
旅籠の商いも新鮮で、くる旅人も様々、とにかく色々な人間がやってくる。
ここから江戸も遠くはなく、気候もいいし山の幸も海の幸も美味い。

何よりも外に出ればその向こうに富士山が見えるのがいい。
そして三日目の夕方のこと、主人は三平に尋ねた。
「うちの連中にもすぐに溶け込んだの。わしが思うておった通りじゃ。お前、商いに向いておるわ、どうじゃ三平、ここからなら江戸にはいつでも行ける。しばらくうちで働いてみんか。

住むのはいま寝起きしておる部屋でよかろう。家賃もいらんし、まあ何もかも一緒くたやから面倒はあるけどな。どうじゃもう少しうちへおってみんか。江戸に行くにしても道中も銭は要るし、行ってからも銭は相応にかかる。どこかで働くにしても給金をもらうまでは銭が要るであろう。

しばらくでも、うちで働けば多少の銭は貯まるしの。銭の無い旅には魔物が出てくる。思わぬ不幸を招くことにもなる。少しでも多く銭を持てば江戸に行っても臆することもない。銭を稼ぐことが、まずは江戸への第一歩だぞ」
三平は即答した。

「はい、わたしでよければ、雇ってください。一生懸命頑張ります」
「お前じゃから雇うのよ、じゃそういうことでな、とりあえずは手代ということでええな」
「はい、それで結構です。米問屋を辞めたときは手代見習いでしたから」

主人はしまったという風に見えた。
見習いにしておけば給金も少なくて良かったのに、と思ったのだろう。
だが三平もそれに気づいてすぐに旅籠の名前が入った前掛けを締めて働き始めた。

旅籠には今日も昼頃から客が入り始めている。
西国の客が六割、東国の客三割、この辺りの客が一割くらいらしい。
西国でもさすがに端っこの薩摩辺りは藩の姿勢もあって来たことはないという。

客の言葉もほぼ方言で、聞き取れないときも多い。
どうでも聞き取れないときには紙に書いて示すという。
だが日本は天皇家があり幕府があり、それが軸になる国だ。
方言といえども基本的には日本語だ。

北と南では何もかも違うが、同じ言葉がほぼ通じ、食い物も風俗も人相も髪の毛の色も黒かそれに近い赤黒ばかり。
「遠国の客でもどうしようもなくなったことは一度もないな」
と番頭が言っていた。

だが世の中はひっくり返ろうとしていた。
三平と同い年である手代の文治が言った。
「今までは見た事も無い人間も来るようになった。ふた月くらい前には紅毛の蛮人が港から上がってきて宿場を歩いていたこともある。大騒ぎになったけどな。

向こうもこっちの侍を知っているから何もしなかった。ペストルというのか、短筒を腰に差して歩いておるような奴らじゃ、後ろには日除けの笠を差した真っ黒の奴隷という奴がついておった。もしも侍がいなかったら、奴ら暴れて死人が出てたかもしれん」

三平と文治は同輩でもあり、すでに友にもなっている。
「蛮人か、見たことがない。いやぁ見たいな、どんなんだろうな、大きいのか」
「ああ、五人いたが馬か牛のようにでかかった、派手な着物でな、全員が刀も下げておった」

すると表で声が上がった。
「大名行列がやってくるぞ」と知らせの者が叫びながら走っていった。
二人が表に出て見ると宿場の向こうのほうに先鋒がかすかに見えた。
番頭が二人に言った。

「表の通りの行列の邪魔になるもんは片付けてな。お客さんの中には子どももおるで絶対に通りに出さんように気をつけておくれ」
あまり大きな行列ではなく、駕篭などの乗り物も意外と質素なものだった。
お客は窓から行列を見ながら話している。

「人数も六、七十人か」
「半分以上は一日だけの日雇いでしょうな」
「大名といえどもピンからキリか、色々じゃな」
「わしゃやっぱり町人のほうがええ」

陽が傾いていく。
旅籠もこれからが商いの本番だ。

 三平が働き始めて二十日が過ぎた。
あっという間の二十日だった。
その日の夕刻近く、三平が表で掃除をしているとこっちへ向かってくる侍の姿が見えた。

数は四人、笠をかぶり、ゆっくりと近づいてくる。
四人は周りを見ながら足を進めている。
泊まる宿が決まっていないのかもしれない。
三平は掃除の手をゆるめて四人を見た。

三平が頭を下げて挨拶すると先頭の侍も手で笠のつばを上げて三平に軽く頭を下げた。
侍といえども、いつもいつも皆が威張っているわけではない。
彼らとて社会の一員だ。

町民百姓と侍は互いに持ちつ持たれつだ。
戦国時代とは違い、侍も最低限の作法は心得ている。
鎖国してきた日本にも海外から船がやってき始めるとともに、全国の藩にも藩校や塾がつくられている。

優れた藩校や塾も多く、百姓町民が武士とともに学んでいる学校も少なくはない。
日本は次の時代に確実に進もうとしている。
ま、たまに羽目を外す奴もいるにはいるが、それはあくまでも少数派だ。

三平が「お宿をお探しでしょうか」と言うと、彼は疲れ気味に笑顔を見せて三平に近づいた。
三平は背が高いほうだが相手も同じくらいで身のこなしは確かに侍だ。
(長旅でホコリと日焼けか、顔が黒いな、初めて見る顔立ちだ、どこの国のもんか)

侍は三平の目を見ながらボソッと言った。
「✕✕〇▲▼〇◇」
エッ?!何を言ってるのかさっぱり分からない。
連れの者も後ろから三平を見ている。

「お言葉がわかりませぬ、わかる者を呼んでまいりますので、しばしお待ちください」
侍もどうしていいかわからないのか戸惑っているようだ。
「番頭さん、番頭さん」

三平は帳場にいる番頭に言った。
「番頭さん、お侍が四人こられ宿を探しておられるようですが、お一人がおっしゃっている言葉がさっぱりわかりません。ちょっと来てもらえますか」
「おおうそうか、行ってみよう」

と番頭が答えたところにその四人は旅籠の暖簾をくぐってさっさと入ってきた。
あの侍がまた言った。
「✕✕〇▲▼〇◇〇✕」
だが番頭にもわからない。

方言にはかなり慣れている番頭も初めて耳にする言葉だ。
三平が「何とおっしゃっておられるので」と聞いても番頭は首を振るばかり。
主人が出てきたが主人でさえわからない。
「大概はそれとなく、何となくわかるもんじゃがこれはわからん。どこのお方じゃ」

すると四人はそろって笠を取った。
偉丈夫(いじょうふ)とはこのことか、主人たちがいままで見てきた侍とは明らかに姿も雰囲気も違う。
武骨で目も鋭く独立心の塊りのようだが、しかし危険を感じるような空気でもない。

「一体どこの言葉か、困ったのう、代官所に来てもらうかの」
三平が何か感じて外を見ると暖簾の下から笠越しにこっちを見ている侍がいる。
四人も振り返った。
そして互いに何か言った。
「お連れ様でございますか」と主人は表の侍に声をかけた。

「ああそうじゃ、みなわしの連れじゃ」
表の侍は答えた。
言葉が通じた。
主人も番頭も三平も喜んだ。

侍は中に入ってきて笠を取った。
若くて顔色もよく、態度も着ているものもどこか垢ぬけていて最初の四人とは明らかに違う。
主人が言う。
「やれやれ助かりました。まことに失礼ながらお言葉が通じずに難儀をしておりました」

「ははは、そうであろうの。拙者が間に入るので安心してくれ」
五人でなんぞ話し始めた。
「まるでこの世の言葉ではないようじゃ」
主人が言うと三平たちもうなづいた。

最後に入ってきた侍が主人に言った。
「この者たちは馬関を越えるのは初めてでの、そちらの言葉はわかるが、自分たちの言葉が通じぬでの」
「馬関を越えて・・・どちらからおいでで」

「薩摩じゃ」
三平もおどろいたが、主人たちもおどろいた。
薩摩の名は知れ渡っているが、ここへ迎えるのは主人たちも初めてだ。
「薩摩から、では島津様のご家中でございますか」

「そうじゃ、みな島津のもんじゃ、わしは四年前に薩摩に行ったことがあるが、生まれも育ちも江戸での、国表(くにおもて)から来たもんの言葉はいまもようわからんことがあるが、まあおおよそは理解できる。

申し遅れた、拙者は前屋敷信一郎と申す。江戸屋敷詰めで、この者たちが上がってくると聞き、尾張にちょうど用事があったもんじゃから尾張まで迎えに行っての、ともに江戸屋敷に戻る途中じゃ。

普通は江戸まで船旅じゃが今回はこの者たちも西海道、山陽道、東海道とあちらこちら用事があっての、尾張で合流してからは江戸まで歩きよ。
わしがこの者たちの代弁をするで安心してくれ。こう見えてもみな物分かりはええもんばかりじゃ。薩摩のもんは愛想はないがの、悪気はない」

「いやいや助かりました。正直申し上げてほとんど聞き取れませんでしたから」
「そうであろうの、薩摩の言葉は特異であるからの、江戸の屋敷でもな国表のもん同士の話しはまったくわからん」

「大変でございますな。わたしどもも薩摩のお方は初めてにございますので取り乱してしまい申し訳ございませぬ。ご無礼はお許しください」
「ああ構わんよ、仕方ないでの」
「してご用の向きはお泊りでございますか」

「うんそうじゃ、わしを含めて五人、みな役職は同じでな、つまり横並びで特に上に立つ者はおらん。で部屋はひと間で広間がええが、空いておるか」
「はい、二階に広めの部屋がご用意できますが」
「ああ、それでええ、では頼む」

「かしこまりました、すぐに支度させます」
主人の合図で番頭がすぐに動いて指図を始めた。
五人は笠を置き、刀も上がり框に置き、荷もおいて框に腰かけながら草鞋の紐を解き始めた。

みな安心したのだろう、ほっとした空気が広がっていき、それぞれに話し始めた。
みな薩摩の言葉だ。
「安・芸・・宮・島」というのは聞き取れたが、他はさっぱりわからない。
おそらく安芸の宮島に参詣したのであろうことはわかった。

「ゴワンド」と何度も聞こえるが、ゴワンドとは何じゃ、主人にはもちろんわからない。
世話をしている女中たちも身振り手振りで侍と話している。
主人が前屋敷に言った。
「前屋敷様、決まりでございますので藩名とそれぞれのお方のお名前をこの宿帳に記していただきたいのですが」

「ああ、そうじゃな、わかった」
「筆と墨はこちらに」
「ああええ、自分のもので記す」
五人は自分の旅用の筆と墨壺を取り出した。

主人は思った。
(自分のもので書きたいのか、やはり噂通り、頑固だなこりゃ。怒らすとややこしゅうなりそうじゃな、そこら辺の侍とは少し違うぞ、これは)

五人は墨壺で筆に墨をつけると宿帳に順番に書き始めた。
主人はう~んとうなづきながらつぶやいた。
「なんと、書かれる文字の見事なものよ・・・」
三平もみなもその文字の書くところを見た。

宿帳を手に持ちながら筆を空に泳がせ書いた文字とは到底思えないほどの達筆だった。
主人は思った。
(これが薩摩か、なるほどなァ、幕府もうっかり手が出せないはずじゃ)

三平も米問屋時代に飽きるほどの侍の文字や文を見てきてさすがと思っていたがそれをも超える達筆だ。
三平は侍と袖がすれ合うほどの近くでその文字に見惚れていた。
主人が言った。
「これ三平、邪魔をするでない」

五人はみな書き終えた。
「面倒であろうが、では頼む」
主人は三平たちにすぐに指示した。
「お侍様の風呂の支度もな」

何しろ舗装なんか無い時代、歩くだけで土埃が舞い上がる。
おまけにここ半月ばかり雨が降らず、道は乾ききっている。
四人とも足袋も袴もホコリだらけで刀の鞘にさえもホコリがうっすらと乗っている。
顔も汗と汚れとホコリでそういう顔になっている。

だが宿が取れて安心したのだろう、元気で薩摩言葉で話し合っている。
「何を言ってるのかさっぱりじゃ」
三平と一緒に侍の荷を寄せている文治がつぶやいた。
文治は顔があざだらけで笑うと前歯が一本抜けている。

何でもケンカで折られたらしい。
三平が文治に言う。
「米問屋にいるときも薩摩のお侍には会ったことない。大番頭さんは知ってたようで、こう言ってた。『薩摩の侍は見た目は怖いが人間は確かじゃ。あそこは尚武の地、文武の地でな、怒ると怖いが知るとこれほど純粋なもんも珍しい。

剣法は示現流というてな、上段から気合とともに一気に切り下げる。肉を斬らせて骨を斬る独特のもんじゃ。戦も強いで。じゃが言葉がの、陸奥(みちのく)の言葉に似てな、さっぱりわからん。日本も広いで』と言うておった」
ふと見ると隣の若い侍が三平を見ながら微笑んでいる。

三平は思い切って言った。
「お言葉はわかりませぬが、こちらの言葉はお分かりで・・」
「うん」
と若い侍は白い歯を見せて笑っていた。

四人は日焼けなのか、地なのか、顔が色黒いのでなおさら歯が白く見える。
三平は思った。
(薩摩は南の端じゃ、陽射しがきつくて暑くて菜の花が師走には咲くという。きっと日に焼けて男も女も黒いのであろうな)

「風呂ももうじきお入りいただけます」
主人が言うと少し太めの侍が言った。
「おおフロ、ア・リ・ガ・テ」
ア・リ・ガ・テとは、ありがとうか、とみなが想像したのは当たっていた。

五人は軽く頭を下げながら、女中に案内されて二階に上がっていった。
主人もみなも三平も薩摩の侍たちが気に入ってしまったようだ。
夕食は下の広間でということになっている。
前屋敷は何か言うかと主人は案じたが、「下の広間でよい」と言った。

「しかしわからん、わからんのう薩摩の言葉は」
主人は三平を見ながら言うと三平も応えた。
「本当にわかりません。お釈迦様にもわからないでしょう」
「お前、洒落たことを言うなぁ」
横で文治があざだらけの顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

五人とも風呂にも入り、遅くに他の客が減ったのを見て夕餉のため広間にやってきた。
現れたときには三平もみなもおどろいた。
昼間に来たときはみな顔が黒かったが、どうしてどうして袖からのぞく手も袴から出ている足も意外と白い。

(顔は日焼けしているのだろうが、昼間見たときとは違ってみな思いの他色白じゃわい。あれなら女子も相応に白いのじゃろうな)
目が若い侍と合った。
(おおっと仕事、仕事)と思いながら若い侍にお辞儀をした。

彼もちゃんと返してくれた。
(侍やのにな、律儀なお方ばかりや、ええなぁ薩摩か、桜島ゆうて火を噴く山もあるらしい。あそこの海の先にあるのが琉球、支那、そして南蛮か、死ぬまでにいっぺん、せめて鹿児島だけでも行ってみたいもんや)

五人は黙々と食べている。
宿の食事が合うのか合わないのかはわからないが、食ってるところを見るとまずくはないのだろう。
小半時もすると食べ終わった。

前屋敷が人数分の酒と肴を求めた。
「はい、お部屋で飲まれて構いませぬ。すぐにお持ちいたします」
「布団はあとで敷きにまいります。今晩はごゆっくりとなされませ」
前屋敷のそばにいる侍が言った。
「マコチアイガテ」

三平たちはその侍を見ている。
五人が部屋に戻ると帳場に集まって主人が言った。
「アイガテは、おそらく『ありがとう』じゃろうが、マコチって何じゃ」
たまたま居合わせた客が言った。

「あれは『まことに』ではないかな」
主人が唱えた。
「マコチアイガテとは『まことにありがたい』か、なるほどな、そうかもな」
ああそうかも、と皆の意見が一致した。

三平は思った。
(異人とおるような気分じゃな、面白い、いやほんまに面白い。銭を盗られたときは途方に暮れたが、まさかこのようになるとはな、明日もまた頑張るで)

今宵は満月だ。
その月明かりを頼りに、江戸のほうから早足でやってくる旅装束の侍が十人ばかりいた。
彼らは三平のいる旅籠に近づいているが、どこへ行くのか、通り過ぎるのか。

先頭の侍が振り返り後ろの者に何か言った。
どこの言葉か、ズーズー弁のようでもある。
犬の遠吠えが遠くから聞こえてきた。

・・・・続く・・・・


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