春は霧の中
4/3
無事に三十五歳の誕生日を迎える。
誕生日なのでシュークリームを二つ食べた。
今日から神戸のカフェバー・ドミロンさんにてベトナム写真展「熱帯のオルフェ」が始まる。
4/6
お嬢さんから誕生日プレゼントにお煎餅をもらう。誕生日が同じ日とのこと、些細な事だが嬉しい。
桜を撮りに行く。
4/8
今日からまた岐阜詣で。電車が人との接触事故で遅延しているとのこと。
早めに出たので遅刻はせずに済んだ。
湿度が高くてどうにもならなかったので、エアコンを除湿モードで動かす。今年初だ。おそらく10月初旬まで付け続けることになるだろう。長く辛い夏が始まる。
NetflixやU-NEXTに入っていない映画は存在していないことと同じ。映画館にもレンタルビデオ屋にも全く行かなくなってしまった。
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4/17
明日からの休暇に備えてやる事をやる。
まとまった休みが取れる事に感謝した。
友人からカメラをかしてもらう。機材は何でも良い、撮れれば何だって関係ない、と考えているが、新しいカメラはやはり興奮する。
4/18
休暇1日目。
楽しみなので早起きしてをする。
道中はほとんど外を見て過ごした。眠気が来たと思った瞬間に眠っており、起きたら目的地に到着をしていた。
知り合いの家に滞在する。海の幸をご馳走になる。
昨日から使っているカメラのフィルムを出しに行く。居ても立っても居られず、早く撮った写真を見たくて仕方がなかった。
すでに過去になっている風景が愛おしい。自宅から遠く離れた場所で、自宅の写真を見るのは不思議な気持ちになる。それが例え24時間前に見て撮ったものでも、私は既に忘れていたのだ。
夜はストリップを見に行く。
今日思い立ったので本当に偶然なのだが、私の大好きな踊り子さんたちが勢揃いしていた。神の采配のような香盤に感謝した。普段はべらべら喋っているのに、こういう時は言葉が足りなくなってしまいう。ただただ美しかった。そして見に行こうと思った時にストリップを見る事が出来る。ありがたいと実感した。
私の他にもたくさんのお客さんがいた。
でも踊り子さん達はたった1人きりの世界にいるように見える。強い照明をあてないと本当に存在している人だとも思えない。美しく強く孤独な人間がただ1人、ステージの上に立ち服を脱いでいく。これはもう内的世界そのものだ。
4/19
お湯に浸かったり、タオルを見たりする。
私は観光は特に興味が無く、旅先でもなるべく普段通りに生活していたい。夜は決まった時間に寝たいし、特別なご馳走よりも地元のスーパーで買い物をして食べる方が安心する。私の存在を放置してくれる、この知り合いの一家と過ごすのはとても気が楽だ。人の尊厳を尊重する、というのはこういうことかと納得がいった。
久しぶりに会うのでさすがに感動するかとも思ったが、しれっと顔を合わせて合流し、しれっと解散を行った。
これは毎日のように電話をしているからだ。「最近どう?」といった文言から始まる近況は一から十までお互い知っている。それでも顔を見て話すのは楽しかった。
行きは電車で来たが、帰りは船に乗る。
初めての船泊に、酔うのではないか、船内の自販機は法外な値段なのではないか、その他私が今まで起こした事がないとんでもないトラブルが発生するのではないか、等と数えきれない程の不安があった。
そんなもの乗船してしまえば全くの杞憂だった。船内の隅から隅まで探検し、自販機の値段を確認し(別段高額ではない)、部屋を自室のように整え、入浴し、寝返りがうてる限界の広さの寝台の上に身を落ち着け、持参した本を半分読んだ。
もう一興欲しいと思い立ち、展望デッキに出てみた。先ほどの探検時は港に停泊していたため分からなかったが、想像以上に速い速度で船は進んでいる。水平線には街の灯りが見えた。誰も居ない展望デッキでどんどんと遠くなっていく灯りを眺めているのが気持ち良かった。エンジンの音と風鳴りの向こうに波音が聞こえる。とてつも無い何かに飲み込まれていくのか、自分がとてつも無い何かになっていくのか、見当もつかない。心が落ち着いた。自分より圧倒的に大きな物体に飲み込まれる感覚は、恐ろしくはないのだと知った。
船員さん達からしたら、なんて事のない日常の風景なのだと思うと羨ましいやら、でもこれは特別な事だと思いたいやら、なんだか楽しくなってしまう。
現在は自室に戻ってこの日記を書いている。先ほどの外の光景とは全く関連が無く思える内装と奇妙なこもったにおいの、アンバランスさが面白い。
体の下からはエンジンが動く振動を感じる。
4/20
朝起きてすぐにデッキに出た。
港に着く直前だったが目の前に海が広がっていた。昨晩とは全く違う海の様子に驚いた。そして昨晩程の興味が持てなくて早々に船内に引きこもった。まだ眠たかったのでもう一度寝た。
次に起きた時には船内にはほとんど客が居なかった。船は港に着き、多くの人達はすでに退船したようだ。
ほとんど空っぽの船の中をゆっくり歩いた。巨大な船の中に閉じ込められていたが、今のこの状態はわたしが自らを拘禁しているのだと思った。出て行こうと思えばいつでも出て行けるのに、私は出るつもりがなくただ本当にぶらぶらと歩いていた。
日中は撮影の仕事をした。当初の予定では神戸の動物園を周り、マヌルネコ等を見て過ごす予定だったが、やはり仕事を入れた。
夜は大阪の街を堪能した。
お肉を焼いて食べ、緊縛ショーを見て、奇想天外なバーに行き、クラブでポールダンスを見た。
全ての工程を終えて宿に帰った時、やはりこのままどこか遠くに行ってしまうのが現実的だと思えた。必要なものは全て持っているのだし・・・と、いつもの思考に浸ったのだが、今回の旅ではMacBookを持って来ていない。あれが無いと如何ともし難い。自宅の机の上で冷たくなって待っているMacBookについて考える。あり得ないくらい酷使されて散々だと普段は愚痴っているが、今は私の低めの体温を懐かしく想っている頃だろう。
MacBookのために帰ろうと思った。
4/21
大阪のアルカディアさんの周年へ。
別の土地で名古屋組に会えると心の底からほっとする。知った顔を見つけると反射のように駆け寄ってしまう。
体力の限界を感じ、早めに帰路に着いた。
久しぶりの我が家は何の変哲もない部屋だったが、安らぐ事が出来た。
片付けや入浴を済ませて眠りにつこうとベッドに横たわると、何だか泣けて来た。私に必要な物が全て揃っていて、住み始めてから1年半経つのに、いまだにここが我が家とは思えない。体を休めるためだけの場所だと思えば良いのかな?私は「家」に何を求めているのだろう。
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4/23
東京へ。
行く先々で撮らせて貰えて本当に幸せだ。心も体もかたく閉ざして過ごしていたが、やっと解く事が出来そう。
毎日が忙しなくて疲労が溜まっており1分でも長く眠っていたい反面、早く何かをしたくてたまらない。春だからだろうか。
仕事が終わった後は友人とご飯に行く。
友人は新宿の街をすいすいと歩いていた。こんなに巨大でとんでもない街を行く姿が頼もしかった。
お互いを認識するようになって20年近く経つ。インターネットで知り合い、年に何度か実際に顔を見る。常に変わらぬテンションで会えるのは、SNSで近況を知っているからだろうか、それとも友人の距離の取り方がちょうどいいからだろうか。私にとってはとても居心地の良い関係だ。甘えてしまわないように気をつけなければいけない。
別の友人に無事に引き渡される。自宅に泊めてもらう。友人達とのこの奇妙な関係が、長く緩やかに続いていきますように。
4/23
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4/27
全ての映画の中で特に好き。
「嘆きのピエタ」キム・ギドク
「マッドマックス 怒りのデスロード」ジョージ・ミラー
4/30
「今月もあっという間に終わりますね」が月末の常套句だが、今回ばかりは長かった。
四月の初旬の出来事等、ほとんど思い出せない。私は霧がかかった頭の中で思考をしている。たまに頭の調子が良い時は霧が晴れているのだろうか。鮮明に思い出せる事もある。
この日記に長文を書き記す時は霧が濃い状態である。晴れていたら書く必要は特にないのだ。
ただ、酔ってぶつけた脚の痣だけは鮮やかに残っている。私は確かに友人達と飲み、騒ぎ、どこかで脚をぶつけたのだ。
周りには迷惑をかけたが、私は楽しかったな。(三月末に泥酔して以来一滴も飲んでいない。)