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17歳 Repro COOの自己紹介②(モノローグ)

齋藤修です。これが二回目のnote投稿になります。一回目がプロローグだったので韻を踏んで今回はモノローグにしました。因みにモノローグとは「一人芝居」を意味しますので僕にぴったりですね。さて前回の流れで自己紹介の続きですがもはや「私の履歴書」状態です。日本経済新聞さんごめんなさい。

あなたは何者なの?

カスタマーエンゲージメントプラットフォームを展開するRepro(リプロ)のCOOです。※CIOだったら 超 イケてる お兄さんだったのに

僕の経歴は丸の内のエリートサラリーマンからはじまった

プロローグで書いた通り僕は三菱化学の丸の内本社勤務からスタートしました。3万人企業の中でもいわゆるエリートサラリーマン。僕がブルックスブラザースのスーツを着て丸の内のオフィスで元気ハツラツなプレゼンをし、ランチタイムに丸の内仲通りを闊歩する姿を想像してください。うん、若き日の織田裕二ですね。丸の内中のOLを僕は心の中で「リカ」とよんでました。

製造販売管理スタッフとしてスタートし日本中のプラントを颯爽と飛び回り、7年半もの間日本中の製造現場のおじさま方と全力で酒を酌み交わしていた僕ですが、そんな日々にお別れの時が来ました。企画系部門を離れポリプロピレン(ポムポムプリンのお友達)の営業部門に配属されたのはサザンオールスターズのエロくもメロウなサマーバラードが流れる季節でした。

営業 修耕作

財閥系企業の中でも化学、その中でも石油化学原料と言うもっとも泥臭い一方化学のメイン事業の本部の中にありながら7年も生産計画のキーマンの立場だったおさむくんはガチで生意気でした。部長の方々でさえヒラ社員の僕の承認押印が必須なんですもの。月次の本部会議では20代にして常務、本部長、各部の部長さんに対して分野別実績の分析とプレゼンをしてたんですもの、そりゃ勘違いしますわよオホホ。そこから一気に営業のbest of ぺーぺーに。ヒーハー

もちろんなのですが営業としても実績出しました。化学な人、且つコンビニ業界ステークホルダーズにしか分からないので細かい事は省きますが三菱、三井の財閥の壁を超えて地球環境問題に対応したポリプロピレン製透明お弁当蓋(世界初?)をセブンイレブンに採用して貰ったのです。それから20年たっても各コンビニでの採用範囲は拡大しています。今やこれだけで年商何十億?何百億円?になっている事でしょう。20年前ですから僕がマイナス3才の頃の出来事ってことですね。今後コンビニのお弁当コーナーでお弁当の透明蓋を愛おしそうになでなでしている17才のお兄さんを見かけたら声かけて下さい。それは僕です。

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四日市研究所の山口 耕先輩とマイナス数十度の耐寒試験室でガタガタ震えながら落下試験を繰り返した日々が懐かしいです。いまだに僕が怒った時に胸ぐら掴んで「奥歯ガタガタ言わずぞ!」ってつい言っちゃうのも経験がものを言ってますね。みんなごめんね 

半沢直樹な日々

おい半沢直樹はどこだよ!?ってなってると思いますがご安心ください。なかなかにファンタスティックでした。おちゃめなところからいくと、僕の上司によく休日に三浦海岸のご自宅に招いて招いてくださったO谷さんと言う肌の色も髪型も顔立ちもサミー デイビス ジュニアそっくりの方がいらっしゃったのですが、


O谷さんの口癖は「俺を味方にしても別にいい事ねーが、敵にまわすと後悔するぜ!」。カッコいいですね。池井戸潤さんにも是非小説で使って欲しい台詞です。

ぶっちゃけガチに派閥はありました。先輩を通じてM上(僕が尊敬する上司)に付いてってもいい事ないからこっち側につけとかなんとかプレッシャーかけてくるA氏。しぶとく何年も。他人に人望が集まるのを疎む人はどこにでもいますね。疎んだり妬んだりすると自分を苦しめるだけなのに。返す僕のスタンスは常に「誰々の派閥とか誰かに付くとかって事はありません。局面毎に、判断を求められるその時々で僕の考えと同じ考え方をする人を支持して僕も全力を出します。自分の思いには背けないので」でした。くうーっ!!なんてクールなヤングアメリカン、もといクールヤングビジネスマン。惚れるなよ

さあここからが真骨頂、イケ過ぎてるスチャダラパー並にヤングアメリカンな僕に堪忍袋の緒がちょちょぎれた当時本部長だったA氏。品質問題のビッグクレーム大炎上で嵐の土曜日にお詫びと対策会議で愛知のお客様を訪問する際も僕をピンで行かせてくださいました。本部長A氏、営業部長I氏、課長のS氏でさえおらず最ペーペーの僕一人です。日本のトップメーカーの一社であるお客様側は常務以下20名ほど出てこられてるのにこっちはぺーぺー。PayPayならキャッシュバックもあるから素敵だけれど。そして品質問題のあった製品のロットナンバー(製品管理番号)が印刷された紙を握りしめて僕は平謝りし、問題の製品番号をお伝えしたものです。ロト6なら僕たちロトモダチ♪になれたのかもだけど。そしてその数日後、他の製品番号の製品でも同様の問題があることが発覚してもう炎上⇒もう森が燃えている状態に。なるわよなそりゃ。

大クレームが燃え盛ってる時の本部長A氏の振る舞いはとっても素敵でした。表向き僕の名前は上げないながらもこれは人災だ、人災だ!と騒ぎ立て自身の身を全力で守りながら表から裏からつぶしに来て下さいました。いやいや、僕は製造現場から提出された製品番号を伝えるしかなかった訳ですから流石に周りも何が起きてるかみんな分かってますよ。元上司や先輩たちから「お前大丈夫か?気にするなよ!」と励ましのお言葉をこっそりと多数頂戴しましたが当の僕は何にも気になりませんし「倍返しだ!」とも「でんぐり返した!」とも思いませんでした。だって僕わるくないもん。本部長A氏、更にその後の人事評価では前代未聞の低評価をしてくださり「うちの会社は一度バツ付いた奴は二度と這い上がれないんだよ」と言ってくださったときの嬉しそうな顔は忘れられません。その後すぐに人事制度変わったんですけれども。

旅立ち

てな波乱万丈の三菱化学時代でしたがそのステージでやるべき事はやり切った感を感じて9年5か月でお別れをすることにしました。あと半年で退職金が跳ね上がるのも気にせずに。※本当はちょっぴし惜しかった。

三菱化学で僕は素晴らしい上司、同僚に恵まれました。ビジネスマンの原点を培っていただきました。その後6,000億企業の社長にもなられた村上さん(新卒の娘さんの就職相談にホテルカフェにも呼ばれました。みんな親バカ♡(笑))、増田さん、加藤さんなどなど本当に感謝しています。いまだに皆さんの定年の壮行会には呼んで頂いています。社会人としてのあるべき後姿を時に煌びやかに、時に泥くさく見せていただきありがとうございました。愛されてたなぁ。

ああ、僕 おちゃむはおちゃめでよかった!

さようならいとしの三菱化学。

ソフトバンク編につづく。。。かも?

つづき ・・・ 17歳 Repro COOの自己紹介③(やわらか銀行編)


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